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第36順


 今日の私は、貴族的な衣装と比べるとかなり地味な、平民のややお金持ちといった層に近い格好をしています。


 いわゆるお忍び――といいますか、モカ様がお茶会をする場所として指定したお店が、下町のしかも怪しく薄暗い裏路地の奥という場所だったので。


 路地裏の入り口から店内までは中立地帯という特殊なロケーションの場所だと手紙には書いてありましたが、やはり怖いモノは怖いです。


 とはいえ、そうも言ってはいられないので踏み込みましょう。


 そうして路地裏の道を進んでいくと、正面から殿方が歩いてきます。

 身なりは綺麗ですが、雰囲気は傭兵や冒険者などの流れ者――いえ、それよりももっと剣呑としているといいますか、真っ当な方ではなさそうな空気を感じます。


 するとその方は笑いながら話しかけてきました。

 どこか猛禽類を思わせる鋭い形の鼻に、歴戦の古強者を思わせる空気、そしてこちらを値踏みするような様子に背筋が強ばります。


「嬢ちゃん、ここは初めてか?」

「え?」

「緊張するな。ここは中立だ。私は裏社会の組織のボスをやってはいるが、例え騎士団長や国王であろうとも、ここですれ違った場合は、互いを攻撃したりはできん」


 緊張感を見抜かれていたのも驚きですが、それ以上にこの方の言葉が気になってしまい、訊ねます。


「ここはそれほどまでの?」

「ああ。奥の店は有名な店でな、表も裏も関係なく旨いメシで持て成してくれる。そこを出入り禁止にされたくないから、ここの利用者は普段の顔がどうであれ、お互いに無関心無関係を貫くのさ」


 怖い顔で笑うお方ですこと。


 ダンディオッサ侯爵の自前の怖いお顔とは異なる――明らかに恐さを感じる笑み。だというのに不思議なカリスマ性を感じます。


 裏社会のとある組織のボスを自称していましたが、あながち嘘ではないのでしょう。


「ですが一緒に路地裏を出たら逮捕――とはなりませんの?」

「そんな無粋な手を使うやつは、利用者たちから村八分だ。同じタイミングで中立地帯から外に出たなら、背を向け合ってこう言うのさ」


 楽しそうに笑っているはずなのに、怖いと感じてしまうのはこの人の持つ威圧感のようなもののせいでしょうか。


「それじゃあまた明日。本来の関係でお会いしましょう――ってな」

「なんだか素敵な響きに聞こえる言葉ですコト」

「だろ? そう感じられたなら、お嬢ちゃんも利用者の資格アリってところだな」

「あら、試しましたのね」


 そう口にすると、殿方は組織のボスらしい笑顔でうなずきます。


「ああ。そうだ。新顔を見たなら、資格を試したくなるというのが常連の人情というモノだろう?」

「そう言われてしまいますと、否定しづらいですわね」

「ともあれだ。ここは上下の身分も表裏の顔も関係ない。一人の人間として扱われるし、他者を一人の人間として扱うコトを強要される場所だ。その在り方だけは理解しておくといい」

「ご丁寧に教えて頂きありがとうございます。

 友人にこのお店を指定されておりまして、少し怖々しておりましたので」

「なるほど密談に使うか。それもまた一つの使い方だな。ここほど、他者に漏れずに密談できる場所はないだろう。その為の部屋もある」


 上下の身分も表裏の顔も関係ないお店なのに、密談用のスペースがある……?


「美味しいお店というのも本当なのでしょうけれど、お互い一人の人間として扱われる場所だからこその交流や交換がある場所というコトでよろしいですか?」

「フッ、それを口にしないのもまたお約束というモノだ」

「失礼しました。無粋はよろしくないのでしたね」

「わかってるではないか。貴族の嬢ちゃんもお前さんみたいなのが多いなら、楽しいのだがな」

「……貴族だとバレバレで?」

「お忍びのつもりだろうが、言葉や仕草は貴族のそれだろう? 姿形だけでは、身分を誤魔化すというのは難しいものだ。身についた仕草や癖というのは生まれ育った場所や階級特有のモノになりやすいからな」

「なるほど。勉強になります」

「参考になったならば幸いだ。さて、私は行く。いつまでもお嬢ちゃんの時間を貰っていては、待ち合わせの相手に悪いだろうからな」

「改めてありがとうございました」

「構わん。ああ、そうだ――相手に時間について何か言われたら、怖い人からここのルールを教えて貰っていたと答えろ。ここの利用者であれば怒りはすまい」

「重ね重ねありがとうございます。親切な人に教えてもらっていたと答えますわ」


 私が笑顔で告げると、殿方はフンと鼻を鳴らしながらも嬉しそうに去って行きました。


 その背に軽く一礼をして、私もお店へ向かって歩き出します。

 今の方とお話をしたからか、緊張感のようなものもなくなりました。


 そうして裏路地の道を進んでいくと、奥まったところに確かにお店はありました。

 お店の名前は『錆色の渡り鳥亭』。こぢんまりとした様子のお店ですね。


 奥まった場所にあるお店ながら、落ち着いたお洒落感のある不思議なお店でもあります。


 ドアを開けると、付けられていたドアベルが鳴り、カウンターにいた細長い印象を受ける男性がこちらを見ました。


「あら、いらっしゃい。初めて見る美人さんね」


 どこか女性的な雰囲気をもったその男性に私はうなずいてから、答えます。


「ええ。初めてですわ。アイボリーという方と待ち合わせしているのですけれど」


 モカ様の手紙にあった通りの言葉を口にすると、お店の人はなるほどと笑いました。


「アイヴィちゃんのお客様ね。ええ、聞いているわ。お店の奥のあの扉の先に個室があるの。廊下に出て一番左の部屋よ」


 お店の人の示す方向には重そうな鉄の扉がありました。

 そこのことを言っているようです。


「ありがとうございます」

「ああ、そうだわ。うち、必ずメニューを一品頼んでもらうコトになってるのだけれど、お食事とデザート、どっちがいいかしら?」

「そうね。デザートでお願いします」


 そう答えると、小さな男の子がたたたたっと近づいてきて、「これをどーぞ」とメニューを私に渡してきました。


 ありがとう――と一声返してそれを受け取り、メニューを見ると、色々とあるようです。

 先ほどの親切な殿方は食事が美味しいと言っていたのもあって、どれも興味が湧くものの、今日は食べるのではなく密談がメインです。


 あまり迷うワケにもいきませんね――と、思った時、本日のオススメというのが目に留まりました。


「今日のオススメはなんですの?」

「ふふ、今日のオススメはルビィの実のショートケーキね。知り合いからいっぱい貰ったの! それを真っ白なショートケーキに実を挟んだりトッピングしたりしつつ、ルビィのジャムも一緒に添えてお出しするわ」


 宝石のような美しい光沢を持つ皮をした赤い木の実――ルビィの実。

 成人女性の小指の爪ほどの大きさの丸い実は、見た目愛らしく、どこか優しい甘酸っぱいその味がするものです。


 貴族女性にはこれが好きな方が多いのですよね。私も例に漏れずですけれど。 

 それをたくさん使ったショートケーキというのは興味あります。


「では、それで。お茶もそれに会うモノをお願いしても?」

「ええ。承ったわ。個室へどうぞ」

「失礼しますね」


 小さく会釈しながら、お店の奥へと向かいます。

 

 鉄の扉の奥を考えなければ決して大きいとは言えないお店です。

 カウンターの方と、メニューをくれた小さな男の子と、空いたお皿を片付けている小さな女の子の三人で切り盛りしているのでしたら、手が一杯になるだろう規模ではありますが。


 そんなお店が、お昼の過ぎの時点でカウンター席含めて埋まっているのですから、その人気ぶりが伺えます。


 ……お客さんの顔ぶれの中に、王城に勤めていらっしゃる方や、有名な貴族のご当主様に似た顔があるのは、気のせいということにしておきましょう。


 予想通り重たい扉を押して廊下へ。

 廊下と言っても人がすれ違うのもやっとのような狭いものです。

 なんだか先日赴いた地下牢を思い出す雰囲気ですね。お店のお洒落な感じとはほど遠い無骨な廊下です。


 そんな廊下には七つほど扉が並んでいることを思うと、外から感じたこぢんまりとした印象とは裏腹に、かなり大きい建物なのかもしれません。


 この廊下の一番左。あれですね。


 独房の扉を思わせるような無骨な鉄のドアを、私はノックします。


「ルツーラです」

「どうぞ。お入り下さい。とても狭いので驚きになりませんように」

「失礼します」


 モカ様のお返事に思わず笑ってしまいながら、扉を開けました。


 中は石造りで、窓のない――どこか閉塞感を感じるお部屋です。


 しかも小さなテーブルと椅子が二つあるだけなのに、それだけでいっぱいいっぱいに感じるほど狭いお部屋でした。


「……想像以上に狭いですわね」

「元々は表にも裏にも置いておけない扱いの困る悪人を一時的に閉じ込めておく場所でしたので」

「ああ、無骨に感じた印象は間違っていませんでしたか」


 まさか本当に元は牢屋だったとは。

 そんなことに驚いていると、モカ様がどうぞ――と促してきたので、部屋の扉を閉めて、椅子に座ります。


 狭くはありますが、一連の動きをすることは可能な狭さで助かります。


「こんな場所にお呼び立てして申し訳ありません」

「いえ、それだけ人に聞かれたくないお話なのでしょう?」

「理解して頂けて助かります」


 そう言ってうなずくモカ様の格好も、普段と異なりお忍びスタイル――なのでしょうか?


 黒を基調とした動きやすそうながらも気品も感じる格好です。

 ドレスと言えばドレスなのですけれど、派手な装飾やヒラヒラとしたパーツは少なめのように見えます。


 露出も少なく、一見すると地味なのですが、身体のラインがはっきりわかる部分も多いせいか、妖艶さも感じる不思議な格好です。


「あ。この格好ですか?」

「ええ、はい」


 気になって見てしまったのに気づかれてしまったようです。

 まじまじと見てしまっていたことをちょっと恥ずかしく感じながらもうなずきました。


「いくつかあるお忍び姿の一つです。

 裏社会の、とりわけお金や権力のある方たちの愛人ないし、貴族や大店の商人を相手取る高級娼婦の方々を参考にして作ったものですよ」

「さらっととんでもないコトを口にしますのね」

「別に自分がそういうコトをするわけではありませんし、情報収集などするには近い格好をするって大事ですので」


 ふふ――と笑った顔は、普段の上品なものではなく、どこか妖艶さを醸し出すもの。

 ティノではありませんが、モカ様もそういうお顔をできるのですね……。


「とはいえ、本来の格好だと肌を多く晒してしまうのですよね。

 貴族としてそこはちょっと抵抗感がありましたので、元の服の良さを活かしつつ、かつお忍び先に違和感を覚えさせないように――と考えた結果がこの格好なんです。

 肌の露出を押さえる為、身体のラインのわかりやすいタイプのインナーを下に着てみたんです。これが案外、肌を見せるのとは違う良さがあると、最近はとあるお店で流行はじめてしまいました」

「さらっと、裏社会で流行を作り出しているではありませんか」


 なんというか上流階級気質はお忍びでも抜けきらないということでしょうか。

 流行は上の人間が作り出すもの――とは言ったものです。


 そんな雑談をしていると、部屋のドアがノックされました。


「お料理をお持ちしたわよ~」

「ありがとうございます」


 扉が開くと、先ほど対応してくれたお店の方が、二人分のショートケーキとお茶を持って入ってきます。


 それをテーブルに置き終わったタイミングで、モカ様がお店の人に声を掛けました。


「お待ちどうさま」

「店長さん、これから一時間ほどはここに人を近づけないようお願いします」

「了解よ。他の人なら断るけど、他ならぬアイヴィちゃんのお願いならね」


 店長さんはそうウィンクすると、「ごゆっくり」と口にして部屋を出て行った。


「店長さんでしたのね」

「そうなんですよ。店長のマンディさんは、王家直轄諜報機関『バリスタ』元メンバーで本名をマンデンリンドさんと言います。

 私も最近知ったのですけれど、実はラウロリッティ様の先輩というか師匠でもあるらしいです」

「……ではラウロリッティ様が口走った第十三調査部隊というのは」

「はい。バリスタのコトですね。基本的に表舞台に名前が出るコトは滅多にないのですけれど」


 ラウロリッティ様、問題ないとはいえ結構大胆に口にされたのですね。


「――とまぁここでなら、そんな話を軽々しく口できる程度には、人の耳がありません」

「そのような方が経営していて、場所を提供してくれているのであれば、そうなのでしょうね」


 そう口にしながらも、私は内心の顔は壮絶に引きつっています。

 そんなお店と秘密を――「私なんかに教えてしまって良いのですか……!?」と。



 突発的な裏話&小ネタ。


 路地裏のルールとか店長さんのこととか、本筋からするとだいぶ横道なので、カットしても問題はなかったのですが――


 ルールを教えてくれた人にしろ店長にしろ、本編の方でちょい役で出てましたからね。

 軽い深掘りと本編から継続して読んで下さっている方へのファンサービスも兼ねて尺を使ってみました。


 店長さんに関してはコミカライズの方で、双子のちびっ子共々顔出しもしてましたしね。

 ちなみに双子の男の子はアビカ。女の子はアラカ。二人あわせてアラビカ。


 え? じゃあ路地裏ルールを教えてくれた怖いおじさんは誰だって?


 そこはほら、盗賊退治の時にモカちゃんが勝手に名前を使った『ボス』その人です。

 書籍、コミカライズ共に本人こそ出演してませんが、名前は出てきたのでせっかくだからのご本人登場。

 これを書いている時点での作者の脳内イメージは、某格闘ゲームの悪のカリスマ帝王。他にイメージに近い者と出会うと変わっちゃうくらいあやふやなイメージですが。


 『煙』属性の使い手で、ルアク(の格好をしたカチーナ)の大ファン。

 ルアクと直接やりとりしたことのある人の一人で、その際に、ビジュアルは元より、物怖じ無さとか肝の据わり方とか、その他諸々がツボった人。

 妻とか恋人とか愛人とか、そういうのにしたい――というよりも純粋に推しの感情が近いようです。

 情報屋としても重宝しているのもあって、ルアクの仕事を邪魔するヤツは表も裏も許さねぇ的な。


 なお本編のモカは、勝手に名前を使ったお詫びとして、彼の部下を利用しようとした連中についての情報をがっつり流しました。

 まぁ裏社会的にもお行儀の悪い組織が台頭しはじめており、モカも家のメイドであるラニカの一件があったので、そのお仕置きもかねて。

 ルアクから齎された情報に関して、その打算を理解した上で、ボスもその情報を詫びとして受け取っています。

 つまらない情報だったら推しだろうとケジメを付けさせるつおりでしたが、悪くない情報だったのでヨシとしました。

 それ以外のおまけ情報もいくつか付随してたし、目くじら立てるほどではないな、と。


 それもあって本編のモカが狩猟大会でドタバタしている裏で、裏社会もわりとドタバタしてたりして。



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