第5話 立合い・2
結局、リーゼロッテがお淑やかに駄々をこねたことで、ロミアはエサミとも立合うハメになってしまった。
「アンタも大変ね」
例によって五メートルほど距離を離して対峙するエサミに、ロミアはつい同情の言葉をかけてしまう。
「いえ。こんな茶番に付き合わされている貴方様も大概かと」
「茶番はひどくないですか!?」
という女王陛下の苦情を、エサミは表情一つ変えることなく右から左に流す。
強さとは別次元で只者ではないメイドに、ロミアは気を引き締めればいいのか緩めればいいのかわからなくなってしまう。
「精々油断しないことだな」
またしても立会人をやりたがったリーゼロッテに代わって、二人の間に立ったレオルが、ロミアに忠告する。
「貴様の強さのタネが割れた状態で、エサミ君と戦うのは公平とは言い難いから忠告しておく。彼女を前にして油断していると、最悪、一瞬で終わってしまうぞ」
瞬殺もあり得ると言われたロミアは、興味深そうに片眉を上げ、エサミに訊ねる。
「そうなの?」
「そうみたいですね」
他人事ような返答に、ロミアは苦笑する。
どうにもこのメイド、主とは違った意味で捉えどころがない。
「ところで、武器を持たないということは、徒手で戦う手合いと思っていいのよね?」
「ええ。代わりに、防具は両腕に仕込ませてもらってますので」
言葉どおり、袖の内側に手甲でも仕込んでいるのか、エサミは両腕を軽く持ち上げた。
「では、そろそろ始めるぞ」
厳かにレオルが告げるも、
「いや、別に開始の合図なんていらないんだけど。アンタとやった時も、そんなのなかったし」
「レオル様。もしかしてこういうのがお好きなのですか?」
「こういうのとはどういうのだ!?」
レオルは思わずといった風情でツッコみを入れるも、我に返ったように一つ咳払いをしてから仕切り直す。
「と、とにかく、始めるぞ」
貴様たちの了承など必要ないと言わんばかりに、ロミアたちの返事を聞かずに、右手を高々と掲げ、
「始めッ!」
振り下ろすと同時に叫んだ直後、ロミアは思わず瞠目してしまう。
エサミが眼前まで迫っていたのだ。
油断するなという忠告を受け、なおのこと集中して立合いに臨んだロミアが虚を衝かれるほどの速度で。
エサミは間合いに入ると同時に、左の拳打を繰り出す。
踏み込みと同様、目を瞠るほどの速度で繰り出された拳を、ロミアは首を横に傾けることで紙一重でかわした。
続けざまに繰り出された右の拳打を、短剣を持たない左腕で防御する。
さすがに重さは屈強な男よりは劣るものの、いやに芯に響く打撃が左腕を痺れさせた。
痺れが回復するまで数秒。
その時間を稼ぎたかったロミアは即座に飛び下がるも、即応したエサミが一足で追いすがり、側頭部目がけて右の回し蹴りを放ってくる。
本来ならば、丈の長いスカートなど足技の邪魔にしかならない。
はずなのに、エサミの蹴りは速度、鋭さともに尋常ではなく、邪魔になるどころかスカートが蹴りの出所をわかりにくくしていた。
そのせいでわずかに反応が遅れたロミアは、いまだ痺れが残る左腕での防御を余儀なくされてしまう。
このままでは防戦一方だと思ったロミアは、相手が次撃を繰り出す隙を突いて、喉元目がけて刺突を放つ。が、袖の内側に仕込まれた防具で受け止められ、あまつさえ拳打による反撃を許してしまう。
迫り来る拳を半身になってかわしながら、ロミアは心の中で呻いた。
(メイドさんが強いってのもあるけど相性がよろしくないわね……! 手数が凄すぎて、視線を盗む暇がない……!)
ひいては、相手の死角を突くことができない。
エサミも、十中八九それを狙って猛攻を仕掛けている。
そんな戦法をとるくらいだから、体力切れは期待しない方がいいだろう。
事実、これほどの猛攻を間断なく続けていながら、エサミの呼吸はわずかほども乱れていない。
このままではジリ貧になるのは、火を見るよりも明らかだった。
(それなら、やり方を変えるまで……!)
そう決断したロミアは、拳打と蹴撃の嵐が吹き荒れる中、唯一の武器である短剣を手放した。
これにはさしものエサミも驚いたのか、ほんのわずかに片眉が動く。が、示した反応はたったのそれだけ。
驚きはすれども動揺はなかったエサミは、猛攻を途絶えさせることなく右の拳打を繰り出した。
余計な感情が生じた分、片眉の動きよりもさらにほんのわずかに、動きが単調になってしまったことにも気づかずに。
単調ゆえに完璧に軌道を読むことができた拳打を、ロミアはその場で旋転することでかわす。と同時に、顔のすぐ隣を横切っていったエサミの右腕を両手で掴み取る。
そして、旋転の勢いを利用して背中で相手を背負い上げると、掴んだ右腕を思い切り前方に振り抜くことで、エサミを背中から床に投げ落とした。
なんとか受け身をとったエサミが、即座に立ち上がろうとする。が、その時にはもう落とした短剣を拾い上げていたロミアに、その剣先を眼前に突きつけられていたため、中腰以上には立ち上がることができなかった。
負けを悟ったエサミが、あるかなきかの微笑を零す。
「お見事です、ロミア様」
「アンタもね、エサミ。正直、かなり際どかったわ」
爽やかすら覚えるやり取りを前に、立会人のレオルは終了の合図を行うことも忘れて、どこか釈然としない表情を浮かべていた。
そんなレオルに、イタズラっぽい笑みを浮かべたリーゼロッテが、スススと近づいていく。
「レオルさん。『小生とは随分扱いが違うのでは?』と思っているのなら、それはただの自業自得ですよ」
完敗していながら「タネがわかった以上は次は負けん」は、さすがにどうかと思いましたよ~――と、死体蹴りにも等しい女王陛下のお言葉に、近衛騎士長は「ぐふ……ッ」と呻いた。