第4話 立合い・1
「それでは二人とも、準備はいいですね?」
五メートルほど距離を離して対峙するロミアとレオルの、ちょうど中間くらいの位置に立っていたリーゼロッテが、神妙な面持ちで二人に告げる。
まさかこんなことになるとは思ってなかったロミアは、微妙な顔をするばかりだった。
あの後、互いに自尊心を傷つけられたロミアとレオルが皮肉の応酬を繰り広げていたところ、
「だったら実際に立合いをして、雌雄を決するのは如何でしょう?」
そう言ってリーゼロッテは、どう返答したものかと悩むロミアとレオルを連行する勢いで階下に移動させた。
そして、テーブル等の備品をちゃっかりと壁際に押しやり、ちゃっかりと多種多様の木製武器を取りそろえた、「さあ、好きなだけ立合いなさい」とばかりにお膳立て済みの宴会場に二人を案内したのであった。
ロミアとしては、ちょっといけ好かない近衛騎士長と白黒つける場を用意してくれたことは、渡りに船だと言いたいところだが。
リーゼロッテが明らかにこの状況を楽しんでいるせいで、宴会場に案内されてからずっと毒気を抜かれっぱなしになっていた。
「リーゼって、いつもこんな感じなの?」
つい、レオルに訊ねてしまう。
「言っただろう。陛下のお考えは、小生如きには及びもつかない――と」
「いや、答えになってないから」
ますます毒気を抜かれるロミアを尻目に、レオルはその手に持った木剣の先端をこちらに突きつけ、挑発混じりに言う。
「構えるがいい。騎士と傭兵ではどれほど格が違うのかを、その身をもって教えてやる」
根が生真面目なのか、こんな状況になってなお毒気を抜かれていないレオルにため息をつく。
とはいえ、気が抜けたまま立合うのはそれはそれで危険なので、ロミアは気を引き締め直すついでに、底意地の悪い笑顔で挑発を返した。
「まぁ、アタシを護ってくれる騎士さんの実力は、知っておいて損はないわね」
近衛騎士長であるレオルは、状況次第では主君の替え玉となったロミアのことも護衛しなければならない。
その事実に今さら気づいたのか、反論もできずに渋面をつくるレオルに、ロミアはからからと笑った。
そんなやり取りを楽しげに見守っていたリーゼロッテは、フンスと鼻で息を吐いて立合いを始めようとするも、
「さすがに危ないので、リーゼロッテ様は引っ込んでいてください」
いつの間にか背後に忍び寄っていたエサミに両脇の下を掴まれ、軽々と持ち上げられながら部屋の隅へと強制連行されていった。
「え? あ? ちょ、ちょっとエサミさん!? わたくしが立ち会わなかったら、誰がこの立合いに立ち会うのですか!?」
「リーゼロッテ様。わざと、ややこしい言い回しをするのはやめてください。鬱陶しいです。それからお二方。始めるなら適当に始めちゃっていただいて構いませんよ?」
「鬱陶しいはひどくないですか!?」
本当に余命幾許もないのか疑わしくなるほどギャーギャと喚く女王陛下を見送ってから、ロミアは気まずそうに訊ねる。
「え~っと……じゃあ……始める?」
「好きにするがいい」
こちらと違って、些かも動揺せずにレオルが応じる。
その様子を見て、ロミアは確信する。
やはりリーゼロッテは、普段から〝こんな感じ〟であることを。
(それはそうと、エサミ……だったっけ。リーゼの背後に忍び寄った手並みが、明らかにメイドのそれじゃなかったんだけど……)
もしかしたら――と思いつつも、レオルに視線を戻す。
左手も、短剣タイプの木剣を持った右手も垂れ下げた、これから立合うとは思えないほどに自然体なロミアに対し、レオルは長剣タイプの木剣を中段に構え、覇気を漲らせていた。
どこからでもかかってこい。全て受けきってやる――そんな幻聴が聞こえてきそうなほどに、堂に入っていった佇まいだった。
(へぇ。言うだけのことはあるじゃない)
感心しながらも、こちらから仕掛けることに決めたロミアは、それとなく、ほんのわずかに、視線を上に向ける。
それに対してレオルは、一見何の反応を示さなかったように見えた。が、その実、わずかに生じた視線の揺らぎと筋肉の強張り、より〝気〟を張ったことによる緊張感の増大を見て取ることができた。
そこから洞察できるのは、レオルが、フェイントや視線誘導の可能性が高いと断じながらも、万が一本当に空中から仕掛けられた場合にも対応できるよう、少しだけ上に意識を割いたこと。
ロミアには、その〝少し〟で充分だった。
転瞬、レオルの意識がわずかでも上に向いたのを良いことに、ロミアは地を這うほどにまで姿勢を低くして、一足で肉薄する。
人間の目が縦の変化に弱いことを理解した、相手の意識と視線を誘導した上での足元からの奇襲。
ロミアが好んで使う初見殺しの一手に対し、すんでのところで反応したレオルが、脇腹を狙った一閃を木剣で防御した。のも束の間、ロミアは即座に床を蹴って跳躍。
相手を飛び越し、視界の天地が逆さまになる中、レオルの延髄目がけて短剣を振るった。
さらなる縦の変化に惑わされながらも、かろうじてロミアの動きを把握していたレオルは、振り返る暇すら惜しんでその場に屈むことで必敗の一閃を回避する。と同時に、着地直後の隙を狙って、振り向きざまの横薙ぎを繰り出そうとするも、
「なッ!?」
背後にいるはずの、ロミアの姿が見当たらない。
そのことに吃驚したレオルの横薙ぎが、半端に振り切った形で止まってしまう。
そして――
「勝負あり、でいいわよね?」
そう言って、ロミアは背後から、木製短剣の刃身をレオルの首筋に押し当てた。
ロミアはレオルの背後に着地した後、彼が振り向きざまに横薙ぎを繰り出した際に、横薙ぎから、ひいてはレオルの視線から逃げる方向に回り込むことで、彼の背後をとり続けていたのだ。
反撃に意識を割いたことで、ロミアの動きを把握し損ねた。
その時点でもう、レオルの敗北は決定づけられたも同然だった。
己が敗因を理解していたレオルは、苦々しい表情を浮かべながらも、素直に負けを認める。
「……ああ。貴様の勝ちだ。こちらの視線を盗み、死角を突くことが貴様の強みであることに、勝敗が決する前に気づけなかった時点でな」
ロミアは「へぇ……」と、感心の吐息を漏らす。
今のレオルの言葉こそが、まさしくロミアの強みであり、幾人ものレーヴァイン王国の指揮官を屠った戦技だった。
「視線の盗み方が、明らかに騎士のそれとは違う。いったいどこでそんな技術を学んだ?」
そこは、ロミアの生い立ちに関わる話だった。
だったから、
「育ちが悪かった……とだけ」
はぐらかすしかなかった。
こちらの心中を知って知らずか、レオルは「ふん」と鼻を鳴らす。
「まあいい。タネがわかった以上、次は負けん。もう一度勝負――」
「いやいや。実戦は負けたらそれで終わりなのに、〝次〟なんて言うのは甘えでしょ」
ぐうの音も出なかったレオルは、悔しげに口ごもる。
「それにアンタ、この城で一番強いのは自分みたいに振る舞ってるけど、実際のところはアンタよりも彼女の方が強いよね?」
そう言って、楽しげにこちらを見ているリーゼロッテの、そのすぐ隣に控えていたメイド――エサミを見やる。
ますます悔しげに口ごもるレオルを見て、ロミアが「やっぱりそうだったか」と得心していると、
「ふっふっふっ……」
不意に、リーゼロッテが無駄にあくどい笑い声を漏らし始める。
「バレてしまったからには仕方ありませんね。エサミさん。ルイグラム王国、陰の最強と謳われたあなたの実力、存分に見せてあげなさい」
「お断りします」
即答で拒否するメイドに、ちょっと泣きそうな顔でリーゼロッテがこちらを見つめてくる。
さしものロミアもどんな反応を返したらいいのかわからず、ただただ視線を逸らすことしかできなかった。