第3話 余命
その後、ロミアはフード付きの外套を羽織らされた上で、窓のカーテンが閉め切られた箱馬車に乗せられ、ルイグラム王国の王城へと連れて行かれた。
どうやら替え玉について隠す必要があるのは、民草や諸外国から流れ着いた余所者、地方の貴族に対してだけのようだ。
王城に足を踏み入れた時点で外套は脱いでも構わないと言われたので、ロミアは素直にお言葉に甘えた。
リーゼロッテに先導される形で城内を進む中、ロミアは、生まれて初めて訪れた王城に好奇の視線を巡らせる。
「傭兵への報酬がいやに羽振りが良いから、王城はさぞ豪華絢爛な感じになってるんだろうなぁって勝手に思ってたけど、意外と質素ね」
忌憚のないロミアの意見に、どこか楽しげな笑みを浮かべながらリーゼロッテは答える。
「お城の内装なんて、対外的に見窄らしく見えなければそれで充分ですから。そんなことにお金を使うくらいなら、それこそロミアさんのように、我が国のために戦ってくださっている方々に払い渡した方がよほど有意義だと思いませんか?」
「いやいや、アタシら傭兵は金のために戦ってるだけで、国のためになんて戦ってないのがほとんどだから」
「そうであったとしても、傭兵の方々が我が国を護ってくださっているという事実に変わりはありません。レーヴァインに対して騎士団の存在が抑止力になっている以上、その力を保つためにも傭兵の方々のお力は、我が国にとっては必要不可欠。この国を治める者として、いくら感謝してもし足りません」
まさかの賛辞に面映ゆさを覚えたロミアは、つい視線を逸らしてしまう。
レーヴァイン王国は、傭兵のことを消耗品程度にしか思っていない節があり、そうした理由もあってルイグラム王国側についたロミアからしたら、リーゼロッテの言葉は過分も過分だった。
そうこうしている内に、客間と思しき部屋に辿り着く。
正方形のローテーブルを挟む形で備えつけられたソファ。
その奥側のソファにリーゼロッテは腰を下ろすと、「どうぞ」とロミアに対面側に座るよう促した。
質素ではあるものの、ロミアからしたら上等すぎるソファを前に、一戦闘こなして汚れた旅装で座るのは如何なものかと思い、座るのを躊躇してしまう。
そんなロミアの心中を察したのか、リーゼロッテは楽しげにクスクスと笑いながら、掌を差し出してソファに座るよう再び促した。
他ならぬ女王陛下が座ることを許しているのだから、これ以上気にしてもしょうがない――そう思ったロミアは、ガラにもなく遠慮がちにソファに腰を下ろした。
エサミとレオルがリーゼロッテの傍に控え、近衛騎士長の部下と思しき二人が部屋の入口の立哨についたところで、リーゼロッテが訊ねてくる。
「ロミアさんは、若輩者にすぎないわたくしが、どうして国の主を務めているのかご存じですか?」
「三年くらい前にあった大地震で城の一部が倒壊して、運悪く国王と王妃が巻き込まれてしまったため、当時第一王女だったリーゼロッテ女王が継ぐことになった――とは聞いてる」
「あ、わたくしのことはリーゼって呼んでくれて構いませんよ。呼び方だけ畏まられても反応に困りますし」
笑顔で、歯に衣着せないことを言ってくる。
表情一つ変えていないメイドのエサミはともかく、近衛騎士長のレオルや、立哨についている二人は、己の主君が傭兵風情に自分のことを愛称で呼ばせようとしていることに、なんとも言えない微妙な表情を浮かべていた。
普通ならば遠慮するなり、居心地の悪さを覚えるなりする場面かもしれないが。
レオルたちがどんな反応をするのか見てみたいと思ったロミアは、底意地の悪い笑みを浮かべながら女王陛下のご要望に応えてあげた。
「わかったわ、リーゼ」
途端、レオルたちの表情がさらに微妙な案配になる。
同時に、無表情に等しかったエサミの頬が一瞬だけひくつく。
もし仮に、ロミアと同様、レオルたちの反応を面白がっているのだとしたら……存外、良い性格の持ち主なのかもしれない。
まだ替え玉をやらされる理由については聞かされていないが、少なくとも退屈はせずに済みそうだ。
そう思いながら、ロミアは話を続けた。
「ただ……リーゼって確か、アタシと同い年よね?」
「ええ。今年で二一になります」
「当時も思ったことだけど、他の王侯貴族は、当時一八歳だった小娘に、よく国の舵取りを任せる気になったわね」
レオルが「こむ……ッ」と呻いたり、エサミの頬がまた一瞬だけひくついたりしていたが、今は無視を決め込んでリーゼロッテの話に耳を傾けた。
「公然の秘密になっていますが、ルイグラムの国主は代々世襲制で決まっているのです。だから、わたくしが小娘を通り越して年齢一桁のお子様であったとしても、わたくしがこの国の第一子である限り、望むと望まないとにかかわらず国主の座に就かされるという寸法になっています。ただ……」
リーゼロッテはあくどい笑みを浮かべながら――とはいっても品の良さの方が勝るが――言葉をつぐ。
「わたくしのことを小娘だと侮り、傀儡にしようとしていた叔父や叔母を黙らせる程度には、頑張らせていただきましたけどね」
そう言って「ふっふっふっ」と、あくどい感じで笑う。
やはり、品の良さの方が勝っていることにも気づかずに。
ここまでの話を聞いて一つの確信を得たロミアは、ちょっと得意げな顔をしながら、自信満々にリーゼロッテに訊ねた。
「つまり、そういった連中を出し抜くために、アタシに替え玉をやれってことね?」
「いえ。全然違います」
だが、盛大に的が外れていたらしく、盛大に赤っ恥をかくハメになってしまう。
絶対そうだと思っていた手前、無駄に得意げに訊ねてしまったことが、完全に恥の上塗りだった。
リーゼロッテがクスクスと笑っているところを見るに、もしかしたら顔も赤くなっているのかもしれない。
その全てを誤魔化すことに決めたロミアは、わざと不機嫌そうな声音を取り繕って、リーゼロッテに訊ねた。
「だったら、何が理由なのよ?」
「至極単純な理由ですよ。原因不明の病に冒されたせいで、わたくしの余命があと一~二年程度しかなくなり、替え玉が必要になった。それだけの話です」
あまりにもサラッと、事もなげに言われて、ロミアは「……は?」と呆けた声を漏らしてしまう。
からかわれているのかと思ってレオルに視線を向けるも、沈痛な面持ちで目を逸らされてしまう。
ならばとエサミに視線を向けるも、物憂げな双眸を伏せているだけで何の反応も返してこなかった。
若き女王陛下が余命幾許もないなど想像すらしていなかったロミアは、どこか縋るような声音で、他ならぬリーゼロッテに訊ねる。
「本当……なの?」
「はい。意外と元気に見えるから信じられないかもしれませんが、本当です」
そう答えてから、リーゼロッテは何かを思い出したように「あっ」と声を上げる。
「言い忘れてましたけど、お婆さんになるまで替え玉をやってほしいとか、そんな無茶な要求をするつもりはありませんので、そこはどうかご安心ください」
言われて、自分が今の今までどれくらいの期間替え玉をやるのか訊ねてなかったことに気づく。
緊張しているのか、それともリーゼロッテの話に気が動転しているのか。
真っ先に聞くべきことを聞いていない自分を、らしくないと思ったロミアは、どうにかこうにか気を取り直し、自虐めいた皮肉を返した。
「それは確かに安心ね。そんなに長い間替え玉なんてやらされたら、絶対どこかでボロを出す自信があるもの」
「何ですか、その自信」
クスクスと楽しげに、リーゼロッテは笑う。
自分のせいで暗くなった空気を払拭しようとするかのように。
「で、アタシは何年くらい替え玉をやればいいの?」
「そうですね……短くても三年。長くても五年といったところですね。それまでには、シャルも一人前になっているでしょうから」
「シャルって……もしかしてリーゼの妹の?」
「はい。シャルロッテ・エリア・ルイグラムのことです」
「それで短くても三年ってわけか」
そう言って、ロミアは得心する。
王女殿下であるシャルロッテは、両親を亡くしたリーゼロッテの唯一の肉親として知られており、その年齢は一五。
あと三年すれば、リーゼロッテが王位を継いだ年齢を迎える歳になっている。
ゆえに、リーゼロッテは「短くても三年」と答えたのだ。
だからこそ、ロミアは不安が顔に出てしまう。
リーゼロッテの余命は一~二年。
最低でも一年は、リーゼロッテなしで替え玉を続けなければならない計算になるからだ。
誤差と呼ぶには余命の幅が大きいため、もしかしたらリーゼロッテが三年以上生き長らえる可能性もないとは言い切れない。
だがそれは、希望的観測が過ぎるというもの。
むしろ、彼女の余命が一年持たない可能性の方を覚悟しておいた方がいいかもしれないと、ロミアは思う。
「引き受けたこと、後悔してます?」
試すように、リーゼロッテが訊ねてくる。
取り繕っても仕方がないので、ロミアは素直に答えた。
「まぁ、ちょっとだけ。責任の重さは覚悟してたけど、さすがにこの重さはアタシの想定の上をいってるわ」
「今ならまだ降りられるって言ったら、どうします?」
なおも試すように、訊ねてくる。
おそらくは、替え玉の重責に耐えうる人間かどうか、品定めしているのだろう。
国の未来がかかっているのだ。
これくらいの試しは当然の措置だと思ったロミアは、特段気分を害することなく、あえて鼻で笑いながら答えた。
「まさか。他の傭兵どもはどうかは知らないけど、アタシは信用第一でやってるからね。受けた仕事が想定以上にきついからって、尻尾を巻いて逃げるなんてダサい真似は死んでもしないわ」
そして、意趣返しとばかりに、底意地の悪い笑みを浮かべながら付け加えた。
「それに、ここで降りるなんて言ったら、口封じに殺されてしまうかもしれないからね」
「ふふふ、そんな物騒な真似はしませんよ。やるとしても精々監禁くらいです」
柔和な笑顔をそのままに物騒な返答をされて、ロミアの底意地の悪い笑みが少しだけ引きつってしまう。
それを見届けてから「もちろん冗談ですよ」と言われ、とうとうロミアは頬を盛大に引きつらせた。
さすがは一国の主というべきか。
こういった駆け引きは、相手の方が一枚も二枚も上手であることを思い知る。
「それに、ロミアさんはお強いのでしょう? 危険を冒してまで監禁するような真似はしませんよ」
さらにはしっかりとこちらのことを持ち上げてきて、一枚も二枚もどころか三枚も四枚も上手かもしれないと戦いていると、
「陛下。ロミア・スターツという傭兵が戦場で活躍したという話は、少なくとも小生は耳にしたがありません。おそらく、腕前の方はたいしたものではないかと」
傭兵としてロミアの名が売れていないのは、彼女が悪目立ちしないことを望んだ結果。
ゆえにレオルの話は、ロミアからしたら狙いどおり以外の何ものでもないはずなのだが……ちょっとだけ、カチンときてしまった。
レオルの物言いが、絶妙に癪に障ったという理由もある。
だがそれ以上に、なんだかんだで自分の強さに絶対的な自信を持っていたロミアにとって、こうも面と向かって「たいしたものではない」と言われるのは、少々以上に耐えがたいものがあった。
あったから、脊髄反射で挑発を返してしまった。
「そうね。確かにたいしたものではないわ。アタシなんて、そこにいる近衛騎士長さんに勝てる程度の腕しかないもの」
「……ほう」
挑発が覿面に効いたのか、女王陛下の御前でなければ、今にも剣を抜きそうな風情だった。
実のところリーゼロッテは、レーヴァイン王国との小競り合いにおいて、ここ数ヶ月間、敵指揮官を倒したにもかかわらず誰も名乗りを上げないという事態が頻発しているという噂を耳にしていた。
それを為したのはロミアなのではないかと睨んでいたリーゼロッテは、どこか楽しげな輝きを双眸に燻らせながら、傍に控えていたメイドに命じる。
「エサミさん。下の宴会場が空いてるかどうか確かめてきてくれませんか?」
それだけで意図を理解したエサミは、一礼してから静かに部屋を去っていった。