第24話 帰国
当然と言えば当然の話だが、会談は、交渉相手であるデニモルトが捕縛された時点で閉会となった。
これもまた当然の話だが、デニモルトの処遇については、すぐに決められるような話ではなかった。
一国の主を拘束するという行為は、多かれ少なかれ周辺諸国に波風を立ててしまう。
デニモルトを詰問しようにも、まずは拘束に至った経緯について各国の国主に説明しなければならない。
それが終わったところで、デニモルトが襲撃について素直に話すとは思えない。
調べ上げるにしても、莫大な時間がかかるのは必至だった。
ゆえに〝リーゼロッテ〟ことロミアは、何か動きがあり次第ミストミル公に使者を送ってもらう約束を取りつけてから、ルイグラム王国に戻ることにした。
「正直、〝あの時〟は肝を冷やしたぞ」
翌日、帰りの箱馬車の中で、レオルがロミアを非難する。
〝あの時〟とは、昨日の会談で、ロミアがデニモルトの包帯を斬り裂いたことを指した言葉だった。
「デニモルト王の悪事が発覚したことで有耶無耶になったが、会談の席に無断で刃を持ち込んだ挙句、刃を使って一国の主に危害を加えるなど、一歩間違えればこちらの立場が危うくなっていたところだったぞ」
「いや……そこは近衛騎士長さんの言うとおりだとは思うけど……逆ギレしてきたデニモルトに、ほんとカチンときちゃって……」
ロミア自身、時間が経った今では〝あの時〟の行動は軽率だったと思っている手前、返す言葉はどうしても、しどろもどろしてしまう。
短剣を会談の席に持ち込んだのは、デニモルトの怪我が嘘であることを曝く最終手段として使うつもりため。
その意味では、用途そのものは狙いどおりだったと言える。
だが、今ロミア自身が言ったとおり、逆ギレしてきたデニモルトにカチンときてしまったせいで、〝最終〟と呼べるほどにまで手を尽くし前に短剣を抜いてしまった。
ゆえにロミアも、今回ばかりは反省しきりだった。
そんな彼女に、隣に座っているエサミが助け船を出してくる。
「いいじゃありませんか。見ている分には面白かったのですから」
もっとも、言っていることは助け船と呼んでいいか微妙なところだったが。
「さ、さすがに今回は『面白い』で済ませていい話ではないと思うが!?」
「そうですか。『面白い』がダメならば言い方を変えましょう。レオル様……デニモルトのあの見事な吠え面、見ていてスカッとしませんでしたか?」
誰に対しても敬称を忘れないエサミが、しれっとデニモルトを呼び捨てにしていることはさておき。
どうやらレオルもスカッとしていたらしく、何か言いたげな顔をしているだけで二の句はつげない様子だった。
「まぁ、結界オーライということで」
ここぞとばかりに話を終わらせようとする、ロミア。
「貴様が言うな貴様が」
当然のように入ったレオルのツッコみに、ロミアは窓から見える景色を見るフリをすることで顔を逸らした。
(それにしても、吠え面……か)
『それに、ロミアさんも見たいと思いませんか? デニモルト王の吠え面』
三日間に及ぶ会談が始まる前日、リーゼロッテが言っていた言葉を思い出す。
おそらくこの言葉は、リーゼロッテを暗殺させまいと肩肘を張っていた、こちらの緊張を解す意図もあっただろう。
だから、彼女がどこまで本気で言っていたのかはわからないけど、
(リーゼにも見せたかったわね、デニモルトの吠え面)
彼女のことを想っても、やはり涙は出そうになかった。
窓の外――並走している箱馬車に視線を向ける。
その箱馬車には、棺の中で眠る、リーゼロッテの遺体が乗せられていた。
彼女が生まれ育った国に、ルイグラム王国に帰すために。
彼女の実妹であるシャルロッテに、会わせるために。
(リーゼの遺体は、シャルロッテや城のみんなには見せたくないけど……そういうわけにはいかないわよね)
もとより替え玉の存在を教えていない、民草や地方の貴族はともかく、事情を知っている者たちにはリーゼロッテの死を伝えないわけにはいかない。
替え玉のくせに、リーゼロッテに護られて生き残った。
それがリーゼロッテ本人が望んだことであったとしても、到底許されることではないのは、ロミアもわかっている。
どのような責苦でも甘んじて受け入れる――悲壮なまでの覚悟を胸に、ロミアは、リーゼロッテの遺体が乗る馬車を見つめ続けた。
◇ ◇ ◇
かかった時間は往路とさほど変わらないにもかかわらず、一分一分がひどく長く感じた復路を経て、ロミアたちはルイグラムの王城に到着した。
本来ならば、国主の死は早馬を使ってでも報せるべき話だが、今回死んだのは、対外的には替え玉ということになっている。
ゆえに、ルイグラムに早馬を走らせるわけにはいかず、シャルロッテも含めた城内の人間にはリーゼロッテの死はまだ知らされていなかった。
替え玉について知っている城内の人間には、リーゼロッテの死を伝えないわけにはいかない。
だからといって、帰ってきたばかりで誰が出入りしているかも把握していない城内で、いきなりリーゼロッテの死を伝えるわけにもいかない。
ゆえに到着し次第、リーゼロッテの遺体は人目から隠す形で、彼女の私室へ運んだ。
それが終わったところで、レオルは、今回の騒動で亡くなった四人の部下の遺体を運ぶために、城の敷地内に停車させていた箱馬車のもとへ戻っていった。
リーゼロッテの私室に、エサミと二人取り残されたロミアは、棺の中に眠るリーゼロッテを見つめながら訊ねる。
「これから、どうすべきだと思う?」
まるで、リーゼロッテに語りかけるような問いだった。
この場にいたのがレオルだったならば、自分に問いかけられているのかどうか判断できずに、すぐには答えられなかったところだろう。
だがエサミは、今の問いが、自分とリーゼロッテの両方に向けられたものであることを瞬時理解した上で、即答した。
「替え玉について知っている皆様には、できるだけ早く公表すべきだと思います」
「公表する場所は……地下の祭祀場しかないか」
「ええ。城内全ての人間を集められて、なおかつ外に漏れにくい場所は、そこしかありませんので」
と、二人して意識的に事務的に話していたところで――二人して、弾かれたように部屋の入口に顔を向ける。
「誰かが、こっちに向かってきてるわね」
会話が外に漏れないよう、完全に閉め切られた入口の扉を見つめながら、ロミアは言う。
「さすがに、外部の人間ではないと思いますが」
言いながら、エサミは棺の蓋を閉めてから入口へ向かい――またしても、二人して気づいてしまう。
この部屋に向かってきている気配の正体に。
気づいてしまったからこそ、ロミアの表情に緊張が走った。
ともすれば、黒ずくめの集団に囲まれた時以上の緊張が。
エサミでさえも常よりも神妙な顔をする中、入口の扉を控えめにノックする音が部屋に響く。
「お姉様……入ってよろしいでしょうか?」
扉の向こうから聞こえてきた声は、シャルロッテのものだった。
ロミアたちの不審な行動から大凡の事態を察しているのか、シャルロッテの声は……震えていた。
自分が本物のリーゼロッテではないという思いが、シャルロッテのお姉様ではないという思いがあったせいか。
返答に窮しているロミアに代わって、エサミはゆっくりと扉を開き、シャルロッテに応じる。
「どうぞ、お入りください」
姉の返事がなかったことで、ますます察してしまったのか、シャルロッテは顔色を青くしながら部屋の中に入ってくる。
そして、ロミアと、部屋の中央に安置されている棺を見比べ、誰ともなしにお願いする。
「……開けてください」
その言葉が、棺の蓋に対して言っていることはわかっている。
けれど、ロミアも、エサミさえも、シャルロッテにリーゼロッテの遺体を見せることに躊躇を覚えてしまい、その場から動くことすら出来なかった。
「開けてっ!!」
業を煮やしたシャルロッテが、王女らしい言葉遣いをかなぐり捨てて叫ぶ。
そのあまりの悲痛な響きに屈したエサミは、表情をわずかに陰らせながら、言われたとおりに棺の蓋を開けた。
シャルロッテは、恐る恐る棺に近づき、中を覗き込む。
防腐処理を施された、一目見ただけで命の息吹がないことがわかるリーゼロッテの遺体を見て、シャルロッテの顔色がいよいよ真っ青になる。
血のつながりの為せる業か、シャルロッテが姉と替え玉を見間違えたことは、ただの一度もない。
それでも、見間違いであってほしいと思ったのか。
シャルロッテは、棺の中のリーゼロッテと、その傍に佇むロミアを、何度も何度も見比べた。
そんなことをしても、目の前の現実が覆らないことがわかっているのか。
見比べるたびにシャルロッテの目尻に涙が溜まっていき……やがて堰を切ったように溢れ出す。
「ぁ……あぁ……」
嗚咽を漏らしながら、棺の中のリーゼロッテに縋りつき、
「ぅぁあああぁあぁっ!! お姉様……お姉様ぁああぁあぁああぁあぁっ!!」
聞いているだけで心が引き裂かれそうになるような悲痛な声で、子供のように泣きわめいた。




