7.本当の姿
「なんだお前。見たところ、うちの生徒では無いようだが?」
ハリンドは、オルトから遠ざけるようにクイースを自分の後ろに隠すと、教壇から彼を見下ろす。
「偉そうに演説している奴が居ると思えば、ハリンド第三王子ではありませんか。しかし、生憎と自分の婚約者を邪魔者呼ばわりする愚か者に名乗る名前は持ち合わせていないもんでね」
「婚約者? ああ、元な。そんなことより、俺を第三王子と知っていながらその口の聞き方、王族を侮辱するとどうなるか教えてやろうか?」
「おいおい、そう熱くなるなって。俺は事実を言ったまでだ。それに、これ以上ここに居るつもりも無いんでね」
そう言うと、オルトがエリシアに手を伸ばした。
「立てるか?」
「ごめん、無理みたい......」
「わがままな聖女様だな」
オルトは、身を屈めるとエリシアの体に手を回して抱き寄せると、お姫様抱っこの形で彼女を持ち上げた。
エリシアは、オルトの温かみのある腕に抱かれ、安心感からかどんどんと気が遠くなっていく。
「おやすみエリシア」
オルトがそっとエリシアの額に口付けをすると、踵を返して出口へと向かっていく。
だが、それをみすみす見逃すほどハリンドは馬鹿ではなかった。
「おい待て。それをどこに連れていくつもりだ?」
エリシアをまるで物のように扱うハリンドに、オルトは怒りを覚えながらも冷静に言葉を返す。
「こいつは俺が貰っていくと言ったろ。二度も言わせるな」
「馬鹿を言うな。力は無くともそれは聖女なんだ。どこの誰かは知らないが、お前ごときがどうこうして良いものじゃないんだよ。分かったら下ろせ」
しかし、ハリンドの言葉を無視してオルトはどんどん出口へと向かっていく。
「おい! 聞いてるのか!」
苛立ったハリンドが、オルトに近づこうと一歩踏み出した瞬間、オルトが肩越しに彼を睨み付ける。
まるで赤い視線に体を貫かれるような感覚に陥ったハリンドは、思わず足を止めてしまった。
最早この場に自分を邪魔する者は居ないと悟ったオルトは、悠々と扉に進んでいくが、扉の影から突如として軍服を身に纏った衛兵達が飛び出してきた。
彼らは、この騒動にこっそりと抜け出した生徒が呼んでいたのだ。
「止まれ!」
衛兵の一人が叫ぶ。
彼らの手には木製のフレームで出来たボルトアクション式の銃が握られており、その全ての銃口がオルトに向けられている。
「女性に銃を向けるなんて、王子が王子ならこの国の衛兵もろくなものじゃないな」
誰の目から見てもオルトにとって危機的な状況であったが、当の本人は顔色一つ変える気配がない。
「残念だったな! そいつは聖女を誘拐しようとする不届き者だ! さっさと撃ち殺せ!」
形勢は逆転したと、それまで怖じ気付いていたハリンドが水を得た魚のように生き生きとし始め、嬉しそうに衛兵達に命令する。
だが、下手をすれば助けるべき聖女に弾が当たってしまうため、衛兵達は引き金を引けずにいる。
「第三王子はああ言ってるが、撃たないんならそこをどいてくれないか?」
「黙れ! 聖女様を置いて手を上げるんだ!」
「嫌だと言ったら?」
銃を持つ衛兵達の手に汗が滲む。
圧倒的に有利な状況であるはずなのに、たった一人の男を前に鍛えぬかれた衛兵達は、言い様の圧を感じていた。
オルトが、一歩、また一歩と進んでいく。
「何をしている! さっさと撃たないか!」
「し、しかし、聖女様に弾が当たってしまいます!」
衛兵の一人が堪えられずに叫んだ。
「頭でも足でも撃てばいいだろ! それとも聖女の誘拐に加担した犯罪者として吊るされたいか?!」
第三王子の命令と聖女の命が衛兵達の天秤に載せられる。
このまま撃たなければ終わり、だが、万が一聖女に弾が当たったとしても相手は所詮力のない出来損ない。
ならば、そこまで罪に問われないかもしれない。
そんな考えが衛兵達の頭を過る。
「いいからさっさと撃てぇ!」
銃口が火を噴く。
けれども、それより一瞬早くオルトの体を黒い影が包み込んだ。
けたたましい銃声にエリシアが目を覚ますが、意識は朦朧としていた。
「......オルト?」
弱った声で彼の名前を呼ぶエリシアは、自分の体に影かかっているような気がした。
「大丈夫、大丈夫だから」
優しく微笑むオルトに、エリシアはまた安心して眠りにつく。
「嘘だろ」
オルトのその姿に、誰かが驚きの声を出す。
すぐにはそれが何なのか分からなかった衛兵達だが、撃ち込んだはずの銃弾が床に落ちる音が聞こえ、次第に自分達が何を撃ったのか、何を相手にしているのかに気がつき、銃を持つ手が震え始める。
「お前、それは」
オルトの背中から生えたそれに、ハリンドが震えながら指を向ける。
次の瞬間、銃弾を跳ね返したその黒い影が勢い良く開き、黒い羽根が宙を舞う。
「あく、あくま、悪魔だ」
誰かがそう呟くと、それまで理解を拒絶していた言葉がその場にいる全員に流れ込み、恐怖に支配される。
「悪魔だぁぁぁぁぁ!!」
その叫びを皮切りに講義室はパニックに陥り、逃げ出そうにもその恐怖の対象が出口にいるため、生徒達は皆叫びなから教壇へと避難するしかなかった。
恐怖に呆然とする者に混じり、尚も銃口を向ける衛兵が居た。
「聖女様を離せこの化物が!」
叫びと共に引き金が引かれるが、恐怖のあまり再装填を忘れており何も起こらない。
オルトは、黒い翼を威圧するように大きく開くと一気に羽ばたき風を起こす。
風に煽られた衛兵達が、体勢を崩しその場に尻餅をつくと、オルトは堂々とその真ん中を通って講義室を出ていった。
起き上がった衛兵達が急いで後を追うが、すでに二人の姿は無い。
それでも尚、講義室には恐怖が根を下ろしていた。