3.出来損ない
朝、起きる度に目が覚めたことを悔やむ。
顔を洗うために洗面台に行くと、先に来ていた女生徒達がエリシアの存在に気がつき、哀れむような視線を向けてくる。
それに気がつかないふりをして、顔を洗うと右頬にザリっとした感触を覚えて、鏡を見るとかさぶたが出来ていた。
ああ、これはきっとハリンドに蹴飛ばされた時に出来たものなのだろうと、昨夜のことを思い出して一層憂鬱な気分になる。
顔をタオルで拭いてさっさと自室に戻ろうと、この場を去ろうとするが、出会い頭に誰かとぶつかりそうになり咄嗟に立ち止まる。
「ごめんなさい」
エリシアが謝りながら顔を上げると、そこには見下すような視線を向ける女が立っていた。
「あら、一体どこの誰かと思ったら聖女様じゃないの。まだ、お辞めになってなかったのね」
嘲笑うかのような口調で話すこの女の名前は『ララ・ガレンディール』。
この国の公爵令嬢である。
「別に辞めるつもりなんてないから」
「そうなの? 毎日毎日あんな目にあって、てっきり辛いものだと思っていたのだけれど、聖女様はお強いのね」
「......あなたには関係ないことでしょ」
そう言って横を通り抜けようとするエリシアの腕を、ララが力強く掴む。
「なら、せめてその辛気臭い表情を止めて頂けるかしら? 折角楽しく勉学に励んでいると言うのに、あなたのその顔を見てるだけで気が滅入るのよね」
「視界に入れなきゃいいじゃない。離してよ。痛い」
ララがパッと手を離す。
「ごめんなさい。てっきり痛いのがお好きなのかと思ってたから」
二人のやり取りを見る周囲の目にいたたまれず、エリシアはその場を逃げるように後にした。
あのララと言う女生徒は、ことあるごとにエリシアに絡んできては、やれ学院を去れだとか、やれ聖女の立場を捨てろなどと好き勝手なことを言ってくるため、エリシアは彼女が嫌いだった。
無論、この学院にエリシアが好意的な感情を抱いている生徒など居る訳がないが、出来損ないの聖女として自分のことを避ける生徒が殆どであるため、明確に嫌いと言えるほどの感情を向けているのはララ位のものだった。
なぜそこまでララが自分に構うのかは分からないが、あれはきっと自分より目下の子爵家のそれも力の使えない聖女が、王子に嫁ぐのが気に入らないのだとエリシアは考えていた。
自室に戻り学生服に着替える。
極力人と会いたくはないが、食事を摂るために食堂へと足を運ぶ。
食堂では、トレーを手に食事を受け取るために生徒達が列をなしている。
和気あいあいとお喋りに興じる生徒達の中で、エリシアは一人黙って列に並ぶ。
朝食は、焼き立ての食パンにバターが乗っており、サラダとスープが用意されていた。
エリシアが食事を手に席を探していると、ハリンドがミーナとは別の女生徒達と楽しく話しながら食事をする光景が目に入ってきた。
ハリンドの視線が一瞬エリシアに向くが、挨拶もなくすぐに食事に戻る。
エリシアは、出来るだけ隅の方の席に座る。
苦痛な一日の中で、数少ない楽しみである食事の時間。
学院のシェフ達の腕は確かで、この時だけは何も考えずに食事に集中出来るのだ。
だが、そんな時間を邪魔するように遠くの方が騒がしくなる。
見れば、ハリンドが何かの拍子に食事をひっくり返したらしく、床に朝食が散乱していた。
慌てるハリンドの姿を見ていると、どこか胸のすく思いのエリシアだったが、ふと彼と目が合ったかと思うと不気味な笑顔を浮かべてエリシアのところまで歩いてくる。
「おはようエリシア」
「......おはようございます」
「それ、まだ手を付けてない?」
ハリンドがエリシアの食事を指差す。
「そうですけど」
「なぁ、悪いんだけど譲ってくれないか? さっき朝食をひっくり返しちゃってさ」
「ですが、これは私の」
「お前のならあそこにあるだろ」
彼がそう言って指差したのは、床に無惨に散らばった食事だった。
困惑してエリシアが言葉に詰まっていると、ハリンドが脅すような口調で話を続ける。
「聖女のくせして、なんの役にも立たないんだからよぉ、こんな時くらい俺のために動いたらどうだ?」
ハリンドは、さっとエリシアの朝食を奪い取ると席に戻っていく。
エリシアが何も無くなったテーブルを見つめていると、ハリンドの声が飛んできた。
「どうしたエリシア? お前の食事はここだぞ」
このまま食堂を去ることも許されず、エリシアは思考を放棄してフラりと立ち上がるとこぼれた食事のところへと歩いていく。
その様を、ハリンドは心の底から楽しむように笑顔で見つめる。
だが、その他の生徒はと言うと、こんなものを見せられて気分がいいはずもなく、さりとて第三王子のやることに口を挟む訳にもいかず、まるでエリシアが存在しないかのように食事を続ける。
エリシアは、床に這いつくばると目の前の散乱した食事を、どうしても口にすることが出来ず、無駄と分かっていても助けを求めるように顔を上げてハリンドを見た。
「ん? どうした? 食べろよ」
ハリンドのその言葉に、食べなければ解放されないのだと理解したエリシアは、諦めてゆっくりと床に顔を近づける。
エリシアが、スープにまみれグシャグシャになったパンに手を伸ばしたその時、食堂の入り口から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あらぁ? 一体全体どうして聖女様が床に這いつくばっているのかしら」
その声にエリシアが振り向くと、そこにはララが立っていた。
ララは、まるで周囲を威圧するように大きな足音を立てながらエリシアのところまで歩いてくると、にっこりと笑ってハリンドに挨拶をする。
「おはようございます。ハリンド王子」
「おはようララ。今日も一段と綺麗だね」
「あらやだ。あまりお褒めにならないで。婚約者の前なのですから。それよりも、なぜ彼女はこんなことを?」
「実は、エリシアが食事を落としてしまってね。食事を粗末にするなんて聖女として失格だから、こうして食べるように言ったのさ」
「そうだったのですね。ですが、いくら聖女様と言えど、こんな床に落ちたものを口にすればお腹を壊してしまうかもしれませんし、それに、これから食事をすると言うのにこんなみっともない姿を見せられては、折角の朝食も味が落ちるというもの」
ララは、すっとしゃがみこみエリシアと目線を合わせると、冷たい表情に切り替える。
「悪いんだけれど止めてくれるかしら。そんなことをしても聖女の力を手に入れることは出来なくってよ」
そう言って、ララは立ち上がると、またにっこり笑ってハリンドを見る。
「王子もそれでいいでしょうか?」
「あ、ああ。俺は別に構わないよ」
ララは、手早くスタッフを呼ぶと床の食事を片付けさせる。
それから、新しくエリシアの分の食事を持ってくると、彼女にそれを手渡した。
「ありがとう......」
「ふふふ。あなたも馬鹿じゃないんだったら新しく食事を貰うくらいのことはしたらどうなのかしら」
「それは」
だが、エリシアにはこの先を話すことは許されなかった。
ララがそっとエリシアに耳打ちをする。
「悲劇のヒロインを演じるのも大変ね」
ララは、それだけ言い残すと自分の食事を手に席へと向かっていった。