思ってたのと違うけど
「いらっしゃいませ〜」
宿屋のドアを押すとカランカランとベルの音が鳴り、店員らしき女性がカウンターから声をかけて来た。
奥で飲み食いしている客らの騒がしさなど耳にも入らず、私は真っ先にカウンターに向かった。
「ヒカルという人に会いに来るよう言われてます。ここに滞在しているかと思うのですが。」
「えっ!!!!!」
耳がキーンとなるほどに店員が大きな声で立ち上がった。人間領の接客方法なのかな?随分と変わっている。
「ゴホンッ。失礼しました。お名前を伺っても?」
「…ローズ。」
「ありがとうございます。ヒカル様よりお話をお伺いしております。ヒカル様は現在外出中ですが、一階のカフェエリアでお待ちになられますか?」
カフェエリアと言われても、昼間から酒を飲んで真っ赤になって騒いでいる者達がいるだけ。これが人間領のカフェだとすると随分と奇妙な文化ね。
「ヒカルの部屋で待ちたいのですが。」
「かしこまりました。ご希望に沿うようにお伺いしておりますので、部屋までご案内いたします。」
ヒカルは随分と気が利くみたい。やっぱり会いに来て良かった。
「ヒカル様は夕方には戻られると聞いております。では何かあればフロントまでお声がけください。」
最上階の一番奥の角部屋。随分と広い部屋だ。まさかヒカルは偉い騎士なのかな?でも最近剣を手にしたばかりのようだし。どこかの王子?貴族?私が言えたことじゃないけど、ヒカルからはそんな感じもしないな。
ふと机を見ると置き手紙とティーポット、焼き菓子が目に留まった。
『ローズへ。待ってる間によければどうぞ。』
「本当、随分と気が利くのね。ありがとう。いただきます。」
自分でお茶を淹れるなんて、数えるほどしかやったことがない。ここ何年はポットに触ったことすらないな。ミルルのように美味しく淹れることは出来なかったけど、良い香りのする紅茶だった。
やることも終え、暇になった私はソファに横になった。ヒカルが帰ってくるまであとどれくらいか分からない。こんなことならゲームを持って来れば良かったな。
横になって目を閉じると、いつものゲームの世界に飛び込む感覚が襲って来る気がした。
ーーーーー
「あ、起きた?ローズも飲む?」
「はぇ?」
眠っていた。完全に眠っていた。どうやって会うべきか、挨拶はどうするか、入念なシュミレーションをしていたのに、完全に予期せぬ展開だった。
「はっ!!マント!!!」
「あ、マントはそこだよ。床に落ちてたからかけておいたよ。」
「あ、ありがとう…じゃなくて!!見たのね?」
「何を?はい、紅茶どうぞ。眠気が覚めるよ。」
「ありがとう…じゃなくて!私のこれ!ツノよ!!」
「なんだ、ツノのことか。可愛いツノだね。」
「ありがとう…じゃなくて!!」
完全にヒカルのペースだ。見た目はイメージしていた髪の色は違えど、サラサラの黒髪ににこやかな笑顔をしているイメージしたまま。でも、もっと優しい雰囲気を想像していた。こんな私をからかって腹を抱えて震えている姿は想像していなかった。
「ごめんごめん。俺あんまりこの世界に詳しくないんだけど、人間領に魔族の人がいるのは珍しいんだっけ?」
「当たり前じゃない。」
「なるほどね。じゃあローズは危険を冒してでも会いに来て来れたんだね。ありがとう。」
「べ、別に。私が会ってみたかっただけだから。ヒカルはなんだかイメージしていたより優しいけど優しくないわ。」
「そうかな?ローズはイメージ通りだよ。」
ヒカルの言動は予想していた全てと違う。魔族に悪いイメージがなければ正体を明かして別れようか、それとも何も告げずに別れるべきか。あんなに悩んでいた自分がバカバカしく思えてくる。
「…魔族を見ても動じないなんて、ヒカルは魔族に会ったことでもあるの?それに、この世界に詳しくないって、ヒカルはどこかの国の王子か何かなの?」
「ぷっ!俺が王子に見える?」
「見えないけど!見えないけど、魔族に会ったら普通怯えたり剣を向けるものでしょ!」
「あはは、どっちも違うよ。魔族と会うのもローズが初めてだし、王子でもない。でも、俺は最初に会えた魔族がローズで良かったって、今すごい感謝してる。」
「…そう。」
そう言ってもらえるのは嬉しい。でも本当は彼にとっての最初の魔族が私だったのは非常に可哀想なことだ。私が魔族だと知られてもなお冷静に会話ができているのは、彼がもしいつ腰に下げている剣を向けてきても、簡単に彼を殺して無かったことにすることができるからだ。
「あ、この剣怖いよね?ごめんね、常に身に付けてろって固いベルトで固定されててさ。外すのに時間がかかるんだよね。」
「別に人間の武器なんて私怖くないわ。」
「でも聖剣だよ?いくらローズが魔王でも、何か特別なオーラみたいなの感じられるんじゃないの?」
キョトンとした顔で見てくるヒカルに私は理解が追いつかなかった。
ん?今ヒカルはなんて言った?
「…ごめんなさい、なんて言った?」
「え、だから、これ普通の剣じゃなくて聖剣って言う特別な剣なんだって。戦ってると光ったりするけど、普段は普通の剣にしか見えないよね。でも魔王のローズなら普段の状態でも何か分かるのかと思ってた。」
「…ん?聖剣?魔王?え?てことはヒカルは勇者?」
「そうだよ。やっぱりローズは気付いてなかった?」
え?頭の中に宇宙が広がっていく。
「な、なんで分かったの?」
落ち着こうと紅茶を飲もうとしても全身が震えてしまう。
「俺さ、別の世界から召喚されてこの世界に来たんだけど、魔法のない世界から来たから、魔力のコントロールのために色々訓練をさせられて。その中でゲームでの訓練なら続けられるって、『クラフトファンタジー』を始めたんだよ。
前の世界だと時間さえあれば誰でもゲームを続けられるんだけど、この世界だと個人の魔力量によって何時間プレイできるか違うだろ?俺は何時間でも出来るけど、他のプレイヤーはそうはいかない。最初は自分だけがやり込めるの楽しかったけど、だんだん虚しくなってきて。
そんな時にローズがやって来たんだよ!プレイ時間がぐんぐん増えていくローズが!」
褒められることか分からないが、確かに始めた当初から毎日何時間も寝落ちするまでゲームをやりこんでいる。
「プレイ時間なんて気にしたことなかった。」
「普通は気にしないよね。ローズが俺のエリアに来た時、少しだけ話をしたの覚えてる?」
「ええ。あなたの剣と私の料理を交換したのよね?」
「そうそう。みんなが剣の造り方を聞いてくるのに、君は交換でいいって言ったんだよね。」
そうだったかな?確かに剣を造りたいと思ったことはなかった。
「ローズが交換でいいって言うから理由を聞いたらさ、なんて言ったと思う?」
「覚えてないわ。」
「人間の武器を造る気はないから要らないって言ったんだよ!」
「それがなんなの?」
「人間だよ、人間。あのゲームをプレイしているのは人族のはずなのに。それから俺ずっと考えたんだ。ローズは人族じゃないのかなって。獣人族、小人族、エルフ族。いくつか他にも種族はいるけど、勇者の俺と同じくらい魔力量を持ってる者はこの世に1人しかいないって気付いたんだ。」
「…魔王、ね。」
「そう!まぁそれでも半信半疑だったけど、今回会えてハッキリしたよ。近くにいると君の強さがよく分かる。」
「私も。ヒカルはもっと弱々しい人間だと思ってたからびっくり。それで、私をどうするつもり?魔王だと分かっていて呼び出したなんて、秘策があるのよね?」
「ないよ!」
「え?」
ヒカルに純粋に会いたかった気持ちが踏み躙られた怒りが込み上げて来ていたのに、彼のケロッとした笑顔で空気が漏れたかのように力が抜けてしまう。
「秘策はないんだけど、提案がある。俺たち、戦うの辞めないか?」
「え?」
「魔王と勇者が戦わないといけない。俺も勇者として召喚されてさ、魔族がいかに酷いことをしてきて、倒さないといけない敵だってずっと教わってきた。ローズもそうじゃないの?」
私はヒカルの言葉に首を小刻みに縦に振った。
「魔王も勇者も、敵同士で、ずっと昔から戦って来たのは分かる。その度にたくさんの人が傷付き、命を落とし、彼らのためにも戦うべきだって。でもさ、それをいつまで続けるんだろう?
俺のいた世界でも戦争は無くならないけど、戦争をしたら戦争が起きるんだって、俺の国は学んでいた。魔族とは会話することも出来ないって聞いてたけど、ローズ、君は違うじゃないか。
俺とこうやって話ができるし、一緒に同じ悩みを分かち合い、共感してくれる優しい心を持ってる。」
「そ、それはゲームの世界のローズだから」
「ゲームの世界も現実の世界も一緒だよ!君が戦いたいのなら、止めることはできない。でもローズは戦いたくなさそうだ。違う?」
戦いたくない。それは私も同じ気持ちだ。
「…でも、そんなこと無理だよ。魔王の私が戦わなかったら、もっとたくさんの魔族が死ぬだけ。それにそんなこと口にしたら私も貴方も同族から殺されるでしょ?いくら魔王と勇者だって、死なないわけじゃないの分かってる?」
「俺らなら大丈夫だよ!俺に考えがあるから聞いてくれないか?」
私はヒカルの突拍子もない話を何度も否定したが、彼のにこやかな笑顔と「俺らなら大丈夫」と言う言葉に言いくるめられ、人間領を後にした。
魔王城に戻り計画をミルルに伝えると、彼女も驚いて何度も飛び跳ねていたが、最終的には私の決定に全力で従うと言ってくれたのだった。