もう少し
ヒカルが国境の街に来ると言ってから一ヶ月。私は楽しい採取すらもままならない程に狼狽えた。
ミルルはそんな私の異変をいち早く勘付き、問い詰められた私はヒカルの存在を打ち明けた。
「…でさ、約束の日まであと1週間もないんだよね。断りを入れたいんだけど、ログインしてないみたいで…」
「魔王様、いいえ、ローズ様はどうしたいんですか?会いたいんですか、会いたくないんですか?」
「そりゃ、何年もずっと話してきたから、現実だとどんな人か気になるけど、私はほら、魔族だし。魔王だし。」
自分で言っていて悲しくなってくる。
「ローズ様、何をうんうん言っているのです。行きたいのなら行けばいいじゃないですか。」
「ミルル、そう簡単に言うけどさ、私が行ったのがバレたら魔族が攻めてきたって、戦争になるでしょ。今は互いに牽制し合ってて、なんとか止めてる状態だけど、そろそろ限界だもの。」
「ですが戦争が始まってしまったら、それこそもう会うことは難しいかもしれませんよ。」
分かってる。私や私の部下達がこれから殺すであろう何千、何万人の中にヒカルはいるかもしれない。ヒカルだけではない。良い卵が取れる魔獣のスポットを教えてくれたり、新しいレシピを共有してくれたりした、大好きなゲーマー仲間がその中にいるかもしれないのだ。
魔王としての教育だけ受けていればこんな思いは感じなかった。
『人間は殺すもの。魔族を排除しようとする憎むべき敵』
幼い頃から教わってきた当たり前の事実に疑問すら抱いたことのなかった私を変えたのはゲーム内での彼らとの交流だ。人間とは会話も出来ない、駆逐するべきものだと思っていた私の考えは時が経つにつれ、戦争をしたくないとまで思うようになってしまった。
「勇者がいなければな…。」
これまで魔王として魔族で一番の力を誇る私が一喝すれば大抵のことはやり込めた。しかし勇者。彼の存在が周知の事実となってからは、いつ勇者が攻撃をしてくるか怯える者。襲われる前に殺すべきと躍起になる者。様々な感情が魔族領に溢れ、このままでは領内の暴動が起きるのも時間の問題だろう。
「ローズ様。私は幼き頃よりローズ様のおそばに居ります。魔王様になられてからは日々のお仕事に追われ、お疲れのご様子でございました。しかしゲームという、魔王様ではなく、ローズ様になられるお時間を見付けられてからは、昔のローズ様にお戻りになられたようで、私はとっても嬉しかったのです。お眠りにならずにゲームをされているのは些か気になる所ではありますけどね!」
ミルルが人差し指でツンと私の鼻をつついて笑った。
「魔王として、魔族を率いる者として、ローズ様には辛いご決断かもしれませんが、人族と戦わなければならないのは逃れらない運命だと思います。ですが、もし本当にお嫌であれば、私と共に逃げましょう。」
ミルルの私とは違う、暖かく柔らかい手が私の冷たい手を包み込んでくれると、その優しさが体に染みていくようだ。
魔王が逃げる。そんなことできるわけもない。ミルル以外に魔族領に親しい者や守りたいと思えるほどのものはいないが、魔王になったからには魔族領に住む者達のために人間領を攻め落とす。それは私の責務だ。覚悟を決めなければならない。
「…ミルル、いつもありがとう。決めたよ、ヒカルに会って来る。1日不在にするけど、留守を頼めるかな?」
「かしこまりました。」
「後は、宰相のルートをどうやって使うかな。」
「商人のフリをしたらよろしいのではないでしょうか?いくらか魔石を持って行けば怪しまれないかと。」
「商人?」
「純正の魔力が篭った魔石は魔族領の方がよく採れますから、人族と秘密裏に交渉を行う。そのためのルートでございますよね?」
「あ、ああそうだったね。よし、それでいこう!ありがとうミルル!」
「お役に立てて光栄です。」
ミルルの耳がピコピコ揺れる姿はなんとも愛らしいが、宰相ルートの使用目的についてすっかり失念していたことは魔王として口が裂けても言えない。何世代も前からあるルートであることと、管理については歴代の宰相が行うのですっかり忘れていた。魔王としていくらあの宰相の話だとしてももう少し耳を傾けるべきだったな。
話が長く自慢ばかりの宰相に少しばかり反省の念を抱いて、1週間後、私は魔石を手に、ツノ隠しのマントをかぶって魔王城を後にした。
ーーーーー
魔王城から魔族領側の国境の街までは私の飛行能力を持ってすれば1時間ほどで到着する。魔族には飛行能力を持っている者も少なくないので、私の存在がバレないよう高空飛行をし、そこから街から数キロ離れた洞窟目がけて急降下する。
洞窟を抜ければ人間領に出る。洞窟の管理人らしき男も、魔石を見せれば何も聞かずに通してくれた。問答することなくここの存在を知っている者なら通れるようになっているのだろうか。
洞窟を抜けた際、人間領側の管理人からはカードをもらった。カードを街の門番に見せ、門番が何かにカードをかざすと人間領の国境の街に入ることができた。
カードにどのような情報が書き込まれているのか分からないが、全ての街でこのようなことをしているとしたら人間領はよほど管理が徹底している。魔族領の街にも門番はいても口頭質問のみで意味をなしていない。門番すらいない街もあるし、強い者が偉いという慣習の違いだろうか。
「そこのお嬢さん!!良かったら見て行ってね!」
不意に露店の店主から大声をかけられ、体がビクッとしてしまった。恥ずかしい。
でも店主を見れば、彼は明らかに人間だ。周りもそう。人間達だ。ツノや耳の生えているものは見当たらない。
ああ、私、今本当に人間の世界にいる!まるでゲームの世界のよう。ついキョロキョロしてしまう。
「お嬢ちゃん1人か?どっか行きたいとこあるんか?」
お嬢さんだなどと呼ばれる歳ではないのだが、人族の中でも小柄な私はそう見えるのかもしれない。それに街に入ってすぐに立ち止まりキョロキョロとあたりを見渡していた私は田舎者のようだったかも。
「ウォッホン。一番大きな宿屋はどこにありますか?」
「ああ、それならこの道をまっすぐ行けば突き当たりを左だね。」
「どうも。あ、これ貰いたいのですが、これで足りますか?」
屋台に並ぶ串焼きに魔王城にあった人間からの盗品である袋に入っていた金の硬貨を渡すと店主はまた大きな声を出した。
「こ、こりゃ金貨じゃねえか!おいおい、そんなに釣りねぇぞ?」
「お釣りは結構です。では。」
「おい、嬢ちゃん、お貴族様かなんかかい?国境の街の観光かもしれんが、悪いことは言わねぇから明日には帰んなさい。騎士様達が来てて、もうすぐ戦争が起こるかもって話だ。」
「ご忠告どうも。」
騎士達が来ている。その言葉にドキンとしてしまった。そう、ヒカルが来ているということだ。
宿屋までどれくらいの距離があったかもわからないが、地面を蹴っている感覚がないほどに、気が付いたら宿屋に立っていた。
いよいよヒカルに会える。私は意を決してドアに手をかけた。