嫉妬
虎太郎のライバル心を知ってか知らずか、街中での屋台巡りや渓谷を上流に向けて探検するシャワークライミング、ゴムボートに乗っての急流下りと、虎太郎と舞香が行く先々に、
「これはマドモアゼル舞香。またお会いするとは奇遇ですね」
アレックスが現れて、いちいち大仰に挨拶して舞香の気を引こうとした。その度に虎太郎はイラ立つも、もう我慢ならないと突っかかって行こうとするタイミングで、
「それでは失礼」
アレックスは調子よく去って行くものだから、怒りをぶつけることができずに虎太郎はストレスが溜まる一方だった。
そんな中、街中で最も高台にある高級ホテルのスイートルームに虎太郎たちがチェックインしたところ、
「これは奇遇ですね。隣室にお泊りとは、マドモアゼル舞香とはつくづく縁を感じます。ダンス・パーティーはこのホテルからエスコートして差し上げますね」
アレックスがドアからニヤリ顔を覗かせた時には、虎太郎の怒りはピークに達して、
「いい加減にしろよ、あんた! ストーカーかよ」
廊下中に響く声で怒鳴ってしまった。
「舞香も嫌がってるだろ。空気を読めよ」
「そうなんですか?」
ヒートアップする虎太郎に動じることなく、アレックスは涼しい顔をして舞香に訊く。
「わたしは別にそんな」
舞香の曖昧な態度も虎太郎の神経を逆なでする。
「だそうですよ?」
アレックスがバカにしたような笑みを向けてきたことで、虎太郎は理性を失った。
「テメェ!」
怒りに身を任せてアレックスに殴りかかった。
けれど、相手は魔王を倒した百戦錬磨のツワモノ。虎太郎の貧弱なパンチなどまったく脅威にならず、片手で平然と受け止めると、
「暴力は反対なのですが、どうしても買ってくれと言うなら相手になるしかないですね」
虎太郎の拳をそのまま握りしめた。万力で締め付けられるような痛みに耐え切れなくなり、
「グッ、クソ!」
虎太郎はもう片方の手でパンチを繰り出すも、こちらもあっさり受け止められてしまい、アレックスの凄まじい握力の餌食になった。
「グァッ!」
その痛みに虎太郎は呻き、両膝を床についてしまう。
「ギブアップするかい? 弱い者いじめをする趣味はないので、そうしてくれると助かるんだけど」
怒りと悔しさ。両拳を握ったまま見下してくるアレックスの姿が涙で滲む。それでも虎太郎はギブアップしたくなかった。
「コーちゃん謝って。アレックスさん、もう許してあげて下さい」
舞香がふたりの間に入ったことで、
「それでは、マドモアゼル舞香に免じて」
アレックスは虎太郎の手をパッと離した。その両手が骨まで痺れ、虎太郎はうずくまってしまう。
「今夜のダンス・パーティー、楽しみにしていますよ。それではまた」
アレックスは虎太郎の存在を無視して、舞香の手の甲に軽くキスして去って行ってしまう。
「コーちゃん、大丈夫?」
心配した舞香に肩に手をかけられるも、
「うるせえ!」
恥ずかしさとイラ立ちから、虎太郎はその手を払いのけて立ち上がり、さっさと部屋の中に入ってしまう。
色とりどりのウェルカム・フラワーで飾られた豪華な部屋も、窓の向こうに見えるレンガ造りの家々や湖の景色の美しさも、虎太郎のクサクサした心を癒しはしなかった。
「クソッ!」
外まで聞こえそうなほど大声で悪態をつき、ソファの上にドサッと寝そべった。
「コーちゃん、よくないよ。いきなり殴りかかるなんて」
舞香が軽蔑したような顔で見てくる。
「俺はお前を守ろうと思って」
「わたしが頼んだ? そんなこと」
いつになく強く主張する舞香に虎太郎は戸惑ってしまう。
「舞香は世間知らずなんだよ。あんな軽い男、いい顔してたらどんどんつけ上がるだけだ」
「世間てどこのこと? 病院だって世間だよ。学校と同じように色んなひとがいる。いいひとか悪いひとかぐらい、わたしだって自分で判断できるよ」
舞香の言葉が予想外に強く、虎太郎は驚いてソファから立ち上がった。
「いや、そういうわけじゃないんだ。なんつーか、俺は舞香のためを思って」
「もういいよ。コーちゃんは罪滅ぼしのためにわたしのことずっと気にかけてくれてるみたいだけど、『舞香のため』って言われる度に『俺の人生を犠牲にしてる』って押しつけられてる気持ちになるの」
舞香の目に涙が浮かぶ。
「俺はそういうつもりじゃ――」
「手術が成功したらやりたいことを見つけて。って言ったのも、そういう意味。過去のことは忘れて。コーちゃんはコーちゃんなりに自分の人生を楽しんで欲しいの」
そう言うと、舞香はベッドルームへ駆け込んでドアを閉めてしまう。
「おい、舞香!」
ドアにはカギがかけられ、虎太郎が呼びかけても、
「ひとりにさせて!」
完全にシャットアウトされてしまい、虎太郎はやるせない気持ちになってソファの上に寝転んだ。
『舞香のため』
確かにその言葉をここ数年、無意識に使っていたような気がした。それを迷惑に思われていたなんて……。
虎太郎はショックで立ち上がる気にもなれず、色々な疲労感もあって、そのまま眠りに就いてしまった。