お祭り
運動会当日の朝のように、ポンッポンッという空砲の音が鳴り、虎太郎は真っ黒に塗りつぶされたような夢から目を覚ました。
上体を起こすと、隣りに舞香の姿はない。外ではポンッポンッという音が鳴り続けている。
「舞香?」
テントから顔を出すと、舞香はフライパンを使ってホットケーキを焼いていた。
「あ、コーちゃん起きた?」
舞香は振り返ると、
「これ何だろ?
と上空を指さす。それに答えるように、
「ニーベリアのみなさん、おはようございます」
スピーカーを伝って、ニーベリア全域に自信に満ちた男の声が轟いた。
「わたしは勇者アレックス。昨夜、ユグシアの最終ボス・ダークハザードの討伐に成功した」
その声にエコーがかかり、グランピング場にいる他の宿泊客たちの間で、
「おお、遂に!」
「これでユグシアにもしばらく平和が訪れる」
などと歓喜の声が広がった。
「ユグシアでは昨夜からお祭り騒ぎが始まっている。このめでたい気分をニーベリアの諸君にも分け与えたいと思う。宴の費用はすべてわたしが受け持つ。ユグシアの民とともに平和を祝して歌い踊り騒ごうではないか!」
さすがは勇者、というようなカリスマ性のある演説に鼓舞されて、グランピング場だけでなく山頂や山の麓からも拍手や雄叫びの声が上がった。どこからか軽快な音楽も聞こえてきた。
一気にお祭りムードになり、虎太郎の気分も自然と高揚する。
「何だか凄い時に来ちゃったみたいだね」
と笑う舞香の隣りに腰かけた。
「朝食、つくってくれてるの?」
「うん」
「サンキュ。美味そう! これ食べ終わったら山を下りようか」
「そうだね。お祭りに乗り遅れないように」
すでに下山を始めるひともいて、虎太郎は気が急いた。祭り好きの血が騒ぐ。
「熱っ熱っ」
口の中を火傷しそうになりながらホットケーキを食べて、
「もう慌てないの」
舞香にたしなめられるひと時が楽しく幸せに思えた。
ニーベリア入りから十数時間が経っても、舞香の屈託のない笑顔は虎太郎の目に新鮮に映った。この四年あまりの悪夢から目が覚めたように輝いている。
「何、ニヤけてるの?」
「別に」
「変なこと考えてるでしょ。まさか昨日の夜……」
舞香は疑いの目を向けてくる。
「バ、バカッ。キスしそうになったけど、何もしてねえよ」
ムキになって勢いでそう言ってしまい、虎太郎は後悔した。
「ふーん」
今度は舞香がニヤニヤする番だった。
「何だよ、その勝ち誇ったような顔は。腹立つな」
虎太郎は照れ隠しにホットケーキを頬張る。
「しても良かったんだけどな。……なんて冗談」
その言葉で盛大にむせてしまい、舞香を笑わせた。
「お前なぁ……」
抗議の目を向けるも、舞香が目尻の涙を指で拭いながら笑っているものだから、虎太郎もつられて笑ってしまう。
そんなキワどい冗談、現実世界で舞香が口にすることはないだろう。でも、手術が成功すれば、舞香は今のような明るい性格に変わるのかもしれない。虎太郎は少し先の未来を、幸せな将来像を先取りして見ているような気分になった。