ユグシア
虎太郎がユグシアのことを知り、そのバーチャル世界へ舞香を連れて行ってあげたいと最初に願った時、一番のネックに感じたのは、入会費十万円と一時間の利用料金が一万円という高額の資金を用意することでも、チケット争奪戦を勝ち抜くことでもなかった。
お金はバイトで、チケット入手に関しては、抽選に応募し続けていればいずれ当選する時がくるだろうと楽観視していた。
ただ、いくら幼なじみでお互いに信頼関係があり、行き先は仮想空間とはいえ、高校生の男女が泊りがけで旅行するとなると、お互いの両親が何と言うか虎太郎には未知数だった。
両親を説得するため、虎太郎は翔悟からニーベリアに関する資料をもらい、ゲームの仕組みをより詳しく教えてもらっておいた。
ユグシアと現実世界とを隔てるのは、運営会社『アースガルズ』の本社にある『ギュルヴィ』という装置だ。ギュルヴィはいわばユグシアの心臓部ともいえる装置で、そこからユーザーが入る『スノッリ』というブースに様々な情報を伝えるパイプが繋がれる。
スノッリは人間の細胞と同じ成分の培養液『MTC液』で満たされ、ユーザーはそのMTC液と自身の細胞とを同期させる橋渡し的な役割を果たす『エッダスーツ』という全身スーツを着用。さらに、呼吸器や脳に電子信号を送る機能が付いた『ノルド』というフルフェイス型のヘルメットをかぶる。
栄養摂取や排泄用の管がエッダスーツのあちこちに繋がれていて、MTC液に満たされたスノッリ内で眠るユーザーの姿は、母親のお腹の中で羊水に浸かる、全身黒ずくめの巨大な赤ん坊といったところ。
「うーん、よくわからないな」
資料に目を通しながら虎太郎から説明を受けていた父親は首をひねり、晩酌のビールに口をつけると、
「お母さん、どう思う?」
すぐ後ろで晩飯の用意をしている母親に話を振った。
「お父さんがわからないなら、わたしにわかるわけないでしょ。アチチッ」
と、グリルの中の焼き魚をひっくり返す。
「虎太郎が利用する分には反対しないけど、舞ちゃんとふたりきりとなるとなぁ。ねえ、お母さん」
やはりそうなるかと虎太郎は思う。ここが一番の難関だ。
「わたしは構わないけど。舞ちゃんとなら。でも、そのバーチャル空間? では舞ちゃんも自由に歩けるの?」
「そうなんだ。舞香の奴、手術にビビってるらしくてさ。足が治れば、これだけ世界が広がるぞって背中を押してやるためにも、連れてってあげたいんだ」
ここが押しどころとばかりに虎太郎は力説した。
「舞ちゃん、やっぱり手術怖がってるんだ」
母親は顔を顰める。
「ヒロちゃんも心配してたのよね。せっかく足が治るかもしれないのに、あまり前向きじゃないみたいだって」
ヒロちゃんとは舞香の母親の博子のことだ。虎太郎の母親とはふたりきりで旅行するほど仲が良い。このホットラインを攻めようと虎太郎は最初から決めていた。
「今日さ、舞香、手術が怖いからって泣いたんだ。麗子と翔悟がせっかくプレゼントしてくれたわけだし、母ちゃんから博子おばさんを説得してくれよ」
と懇願する。
「よーし、任せなさい。ただし、あんたたちはまだ未成年なんだからね。そのことをちゃんとわきまえて行動をとること」
「わ、わかってるよ、んなこたぁ」
母親が何を言わんとしているのか気づき、虎太郎は急に恥ずかしくなった。