90.決闘
決闘などとリンドールは大袈裟な言葉選びをしたが、学術院側の扱いとしては『自主訓練』である。
ステイラバートにおいて一回生時点から呪文を用いる実践的な訓練が講義内容に含まれているのは、魔法使いの中にも一定数悪人がいて、また魔法を悪用できることで一般的な犯罪者以上にその摘発・捕縛に手を焼くからだ。つまりは魔法使いに対するカウンターは魔法使いが適任であり、故に対魔法戦を見越した指導は年間講義全体を見渡しても比重の大きなものとなっている。
この訓練室もそのために使われる場所。通常は講義でしか訪れる機会もないが、ショーは初めて放課後にここへやって来た。先客であるまばらな利用者を眺めた彼は、やはりそこに見られるのが上級生ばかりなことに眉をひそめた。
「おい、リンドール。自主訓練が許されるのは五年生以上なんじゃないのか? 俺たちだけで勝手に使ったら叱られるぞ」
校則──これもまた正式には学術院基本総則と表記されるが生徒は誰もそう呼ばない──には破ってはいけない決まりと、それをしてしまった際に与えられる罰が細大漏らさず載っている。大方の罰は生徒を見咎めた教員個人の裁量によって決めてよいとされているが、特に重罪であると定められたものには休日の没収、過酷な労働、最悪の場合は有無を言わさぬ強制退学が適用される。
友人のミッドから「訓練室の無断使用で怪我人でも出したりしたら、退学まではいかなくても懲罰室行きは全然あり得る」と教えられたショーはこんなことで罰則を受けるなど冗談ではないと半ば憤っている──以前講義で一緒になった四回生のとある男子生徒がショーのやんちゃっぷりを知って、自らの体験談を話してくれたことがある。曰く、懲罰室は『罰則』と聞いて思い浮かぶイメージが一変する地獄であると。即身仏めいた遠い目をして滔々とそう語る先輩の姿がいやに恐ろしく、何をしても彼の言葉の真意を知れるようなことだけは避けねばと固く決意したのをショーはまだ忘れていなかった。
なので颯爽と呪文戦のための舞台に上がったリンドールにショーは抗議と非難の目を向けたのだが、しかしそれは「はっ」という嘲笑で軽く受け止められた。
「本当に物を知らないんだな……五回生以上でないといけないのは普通科の話であって、僕たち本科生は事前申請と教員の立ち合いがあれば一回生だろうと訓練室を使うことが許されているんだ」
「えっ、そうなのか?」
「はいはい、その通りですよー」
「うわっ!?」
突然横からした声に驚いたショーがおっかなびっくり何者か確かめれば、そこにいたのはクアラルブルという女性教員だった。本科を中心に受け持つ人物なのでショーにとって馴染みは薄いが、一応は何度か講義で彼女の世話になっている。クアラルブルのほうもそれを覚えているようで。
「ショーくん、本科と普通科ではやっていいことと悪いことに少しずつ差があるのでその違いを覚えておいてもいいと思いますよー。『しおり』にはどちらの決まり事もちゃんと書かれていますからねー」
「そうだったのか……ちぇっ、校則まで星付きを特別扱いかよ」
「それは当然ですよー、本科生が入学前に受けている授業プログラムは普通科のそれとはレベルがまるで違いますから。足並みを揃えようとしても双方の害にしかなりませんよねー? だからこそ科を分けてそれぞれに適切な講義を行っているんですよー?」
「……、」
筋の通った言葉にショーは何も言い返せず、むすっとする。その子供らしい様に苦笑したクアラルブルは。
「ですから先生としては、本科生と普通科生が合同で自主訓練を行うのにちょっーと不安があるんですがー……リンドールくーん。私を除けば申請者のあなたが一番の責任者ですからねー? くれぐれもやり過ぎはめっ、ですよー」
「承知していますよ、クアラルブル先生。どうぞご心配なく」
気障な仕草で腰を折るリンドールにもクアラルブルは困ったように笑うばかりだった。そのやり取りの横でショーはくいくいと控えめに袖を引かれ、そちらに顔を向ける。
「なんだ、メル?」
「ショー……やっぱりやめたほうがいいよ、こんなの。先生だってやってほしくないみたいだよ?」
「それは、正直俺もそう思うけどさ」
リンドールの取り巻き連中も、半数は決闘なんてやめておけと冷静だった。だが残りの半数は普通科に身の程を教えてやれと囃し立て、またリンドールの耳にはそちらの声しか届いていない様子だった──本科にもまともな奴がいるんだなと他人事のようにショーが感心してしまったのは、事実そのときの彼が完全に蚊帳の外に置かれていたからだ。
「だけどそれは俺じゃなくてイーディスに言ってやってくれよ。OKしちゃったのはあいつなんだぜ……それもノリノリで」
そう、売られた喧嘩を買うのはいつだってショーの役目なのだが、今回ばかりは売られたのも買ったのも彼ではなくイーディスである。普段は物静かで自己主張の薄い彼女がどうして今日ばかりは決闘などという野蛮な行為にこうも乗り気なのか、ショーにもメルにもさっぱりだったが。しかしわかっていることもひとつだけあって。
「そんなの無理だよ……だってイーディスが決めたことだよ? 私からは何も言えないよ」
「俺だってそうだ。俺たちはイーディスのやることに口を出しちゃいけないんだ──」
だけど、どうしてダメなんだっけ? ふと浮かんだそんな疑問もすぐに霧散する。何故なら考えるまでもないことだからだ。いつも子供らしからぬほど落ち着いているイーディスが実は人一倍の頑固者で、一度こうと決めたからには梃子でも動かない人間だということを、幼馴染である自分たちこそが他の誰よりもよく知っているのだから……だから。
「まずは見届けるしかないだろ? 心配すんな、ちょっとでも危なそうなら選手交代で俺が出るさ」
「それ以前に、危険だと判断したらこの私が止めますからねー」
「き、聞いてたんですか先生……うわっ!?」
にっこりとした笑みを向けてくるクアラルブルに対して以前にも抱いた「よくわからないけど怖そうな人だな」という印象を再び蘇らせたショーは、彼女の横にいつの間にか立っているイーディスを見つけてまたしても心臓が跳ねた。
「おやまあ、イーディスさん。音も気配もなくー……」
ショーの反応で彼女の存在に気付いたクアラルブルも目をぱちくりとさせながら、しみじみとした口調でそう言った。わかりにくいがこれでも驚いているようだ。それに構わずイーディスは「少しよろしいですか」といつも通りの静かな口調で話しかけて訓練室の入口付近……他に人がおらず、ここからでは話し声も聞けないところまでクアラルブルを連れていってしまった。
「何を話してるんだろう……」
「さあ?」
ちっとも予想がつかないのでメルの疑問にも肩をすくめるしかない。イーディスは真面目な生徒で、ショーは勿論のことメルと比べてもなおいっそうに勉強熱心である。寮住みで時間の自由が利きやすいこともあってショーたちが下校してからも図書館や解放されている一部の研究室なんかに足繫く通っているらしく、それだけに彼女は教員たちとも他の生徒よりいくらか距離感が近いようであった。
無論、勉学に一途な生徒となれば教師陣からの覚えがよくなることも当然だろう──けれどそれにしても。
「特にクアラルブル先生とすごく仲いいよな、イーディスの奴」
数日前にもああしてクアラルブルとひっそり話すイーディスを廊下で見かけたが……語り合う二人の背中からは教師と生徒というよりも同僚同士、あるいはいっそ親しい友人同士であるかのような過度にも思える親密さが感じられたものだ。それは今も変わらない。膝を曲げてイーディスの口元に耳を寄せるクアラルブルの態度には、如何にもそういった風情があった。
やがてひそひそ話も終わったらしくイーディスは舞台へ、クアラルブルは舞台の二人を同時に見られる位置へと移動した。オーソドックスな黒のみのローブをたなびかせてそこに立ったイーディスへ、薄く緑の縞模様が入っている上質なローブから洗練された手付きで杖を出したリンドールがにやりと笑った。
「確認するがジェンド。少しでも有利な判定を貰おうと審判に泣き寝入りでもしていたんじゃあないだろうな?」
「あはは、それは思い付かなかった。リンドール君は狡いことに頭が回るみたいだね」
するりと。講義前に筆記用具を取り出すような自然さでイーディスも杖を持った。二人が構えるのはどちらもステイラバートからの支給品。所属科が異なると言えど杖の性能に差はなく、それだけに呪文の巧拙には使い手の技量がありありと出ることになる。
──本来なら本科生と普通科生、それも同じ学年が対峙したとなれば普通科生に勝ち目はほぼないと言っていい。それがわかっているだけにイーディスの物言いに若干のイラつきを見せたリンドールも、どうにかそれを取り繕うことができた。
「ふん、大した余裕じゃないか。君が普通科にしては見所のある生徒だということは本科にも伝わってきているよ……大方自信があるんだろう? 所属こそできなかったが、自分の努力の量。それによって培われた実力は本科にも劣るものじゃないと──笑わせる! それでも過去二年間、僕たちの学年の成績上位者は実技、座学、特殊技能学の全てにおいて発表されるトップ二十を本科生が独占している! つまりジェンド、何位なのかは知らないが君の最高成績も発表者に含まれない程度だということ。ちなみに僕は実技において上位五名から陥落したことは一度たりともないと教えておこう」
とっくにご存知だったかな? と気取って髪を撫でつけるリンドールに、イーディスは特に含みもなく感心したようだった。
「へえ、とりわけ実技に強いと。それはなかなかだね」
「なかなか? なかなかときたか、本当に大した自信だ! 仕方ない、才能に劣る者へ身の丈に合った振る舞いを教えてやるのも高貴なる者の務め……ショー共々二度と僕に舐めた口を利けないようにしてやろう!」
「はーい、それじゃあ始めー」
当事者とは極端なまでの温度差でクアラルブルによる訓練開始の宣言がなされ、それと同時に杖が閃いた。




