88.太陽と月
「それじゃあまたあとで」
「ショーは着替えるの早いし、先に行ってていいからね!」
「おう、そうする」
ステイラバートでは知識を頭に詰め込むだけでなく、体を動かすこともそれと同程度に重要視される。魔法使いに必要なものを挙げる際には際立てて精神力ばかりが取り沙汰される傾向にあるが、精神を鍛えるためには体力をつけることも欠かせない。健全な肉体にこそ健全な魂が宿る──とはいつからか伝わる決まり文句であるが、そう気取った言い回しをせずとも単純に、体が疲れれば思考も鈍る。それを避けるために運動も講義に取り入れるというだけのこと。
とりわけ成長期にあたる少年少女たちがこの時期に体作りを行う意義は大きい。ステイラバートの生徒は学年で年齢が統一されておらず、中には成長期と無縁になった者も少なくはないが、しかしオラールの民が中心である以上通学者の多くはやはり年若い幼年から少年期の子供が多い。それは彼らの親がなるべく早いうちに自身の子を学術院へ通わせてやりたいと願うためだ。
ショーやメルの父母もその例に漏れず、家庭教師を雇うことで「確実に入学試験を突破できる」という水準まで学ばせてのちに、どちらともなくタイミングを見計らってステイラバートへ送り出した。……あまりよく覚えていないが、イーディスもそれに合わせて試験を受けたのだとショーは認識している。
「……、」
専用の運動着に着替えるために生徒は一旦、グラウンドへ向かう前に男女別の更衣室へ立ち寄る。他の女子たちに交じって遠ざかっていくメルとイーディスの背中をなんとはなしに眺めていたショーが、そろそろ自分もと踵を返したところで。
「よっ、ショー! 今日も朝から見せつけてくれるなぁ、お前は」
「わっと、トリオルか……なんだよ、見せつけるって?」
ガシッといきなり肩を組まれて何事かと思えば、ショーのすぐ横には見慣れた顔があった。クラスメイトの一人、トリオルである。意味ありげにニヤついてる彼の言葉をショーが訝しむと。
「とぼけなくたっていいだろう。メルとイーディスのことだよ」
「ミッドも! あの二人がどうしたっていうんだよ?」
また横からクラスメートの男子が現れた。男子二人に挟み込まれるようにしてまったくわけがわからないでいるショーに、彼らは「はあ……」と揃ってこれ見よがしなため息をついてみせた。──トリオルとミッドはよく連れ立っている仲良しコンビであり、ショーはそれを自分で言うところのメルやイーディスとの関係性に近いと思っている。そして彼自身にとってもこの二人は気を置かずに接することのできる友人でもあった。
そんな良き友の一人であるトリオルは、大袈裟な様子で顔を手で覆って言った。
「しょうがない奴だなショーは……俺たちは周りの目を集め過ぎだって話をしてんのさ。今日なんかメルと手を繋いで登校してきて、校門ではイーディスと見つめ合っていたって聞いたぞ?」
「誰から聞くんだよ、そんな話?」
「みんなからだよ! 他の生徒も大勢いる中でそんなことしてたらそりゃあ噂にもなるぜショー。特にあの二人相手にロマンスしてたら……大問題だろ」
「あー、そういや前にもそんなこと言ってたっけっな。どうしてメルとイーディスだと問題になるんだ?」
「本当にわからないのか!?」
もはや絶叫に近い驚きの声に共に更衣室へ向かう周囲の生徒たちからの視線を集めたが、騒ぎの中心にいるのがショーだと見るや皆一様に納得したように興味を失う。その反応になんとなく憮然としながら、ぐいぐいと揺さぶってくるトリオルの腕を鬱陶しげに肩から外してショーは言った。
「ああわからないな。どうして幼馴染と登校しただけで他の連中がこそこそと噂話になんてするのか、俺にはちっともわからないぜ」
「ショーは本当にショーだなぁ」
「こんなだから逆にいいのかもしれないぞ」
「おい、どういう意味だよ」
いいかショー、と聞き分けの悪い生徒を諭す教員のような声音と口調でミッドが語りかけてくる。
「前は説明が足りなかったみたいだから改めて言おう。お前はな、多くの男子から妬まれているんだ。うちのクラスはともかくとして他のクラスとか、上の学年からもな。なんでかって? それはなショー、お前が人気の女子を独り占めしているからだ!」
「人気の女子を……独り占め?」
「意味わかんなぁい、みたいな声を出すなショー! 俺たちだってすげー妬ましいんだ、反感を煽るんじゃない!」
「いやそんなつもりはないけど……というかだから、俺たちは幼馴染で昔から仲がいいだけだって。なんでそれで妬まれなくちゃならないのかって訊いてんだけど」
「昔からどうこうなんてお前たち以外にはなんの関係もないだろう? 一人だけでも充分に許せないところを二人も可愛い女子を常日頃侍らせている……他の男子の目に映るショーって男はそういうすけこましだ」
「可愛い女子って、あいつらが?」
「そこまでとぼける気かこいつッ! メルは前々からうちの学年のトップオブ美少女としてグッドガールランキングに君臨してるんだぞ!」
うんうん、とトリオルの言葉に頷くミッド。まずその意味不明なランキングの存在が初耳なんだが、とひょっとして俺って気付けていないだけで色々なことにハブられていたのだろうかと地味な衝撃を受けつつ、それ以上に気になった部分をショーは訊ねてみた。
「メルはって、じゃあイーディスは?」
「「え?」」
「え? じゃねえよ」
その反応がしたいのは俺のほうだよ、とジト目で告げるショーを前に、トリオルとミッドは一度互いに顔を見合わせて。
「あれ? そういえばイーディスの名前がランキングの上位にあった覚えがないな……」
「おかしいな、イーディスだって目を引くしショーの傍にいて余計に目立っているっていうのに……」
自分たちでも釈然としていないことがよく伝わる様子にショーは「なんだそりゃ」と呆れる。と同時に、それだけ自分のいないところでこの二人も含め男子がメルとイーディスを話題にしているのかと思うと、なんだか胸のあたりがムカムカとしてきた。別に彼らが悪事を働いているというわけではないが、けれどどうしてか無性に腹が立つのだ。
そんな彼の様子に気付かず、気を取り直してトリオルは続ける。
「とにかくだぜショー。メルは明るくて元気で誰にも優しいだろ? 他の大半の女子とは違って俺たち男子にもだ」
「俺は怒られてばっかだけど」
「それはお前が悪い。むしろ男子の中からは偶には自分のことも叱ってほしいって声が上がっているくらいだ」
「馬鹿じゃねえの」
「男はみんな馬鹿なんだよ! それから、イーディスもメルに負けじと優しい……というか包容力が凄い。そしてどこかこう、普通の女子にはないような神秘的な雰囲気があるよな。さながらメルは太陽、イーディスは月。お前は太陽と月の女神を独占しているんだ! これは違法行為だぞ」
何が違法だ、と口に出すことも馬鹿らしくなってショーは唇をへの字に閉ざして不満の意とした。……だが正直、二人が言っていることもまるで理解できないわけではなかった。
メルが太陽、イーディスが月。なるほどしっくりとくる例え方だ。何かとうっかりしがちな自分をあの二人はそれぞれ違うやり方で助けてくれる。温度と色味の異なる光で照らしてくれているのだ──などと考えたところでショーはぶんぶんと頭を振った。いけない、妙にポエミーな表現をするミッドに引っ張られてしまったようだ。
「より多くのファンがいるのはメルだな」
「でも熱狂的な信者がいるのはイーディスのほうだ」
「どちらにしろあの本科生連中にも知られるほど有名なんだ。そんな二人がいつもお前にべったりとなったら、女子と縁のない男子はどうなる?」
「俺とかな、ショー!」
「縁を作ればいいじゃん」
「くたばりたいか貴様っ!」
「さっきからトリオルおかしくねえ? テンションヤバいだろ」
「言ってやるな、アーミィに声をかけて振られたばかりなんだ」
「あー……」
「お前がバラしてどうするミッドぉ! ショーもそんな憐れみの目で俺を見るなぁ!」
どうやら酷く傷心中だったらしい。このウザ絡みの原因はそれか、とショーは辟易とする。
(ミッドもそんなのに付き合うなよな……)
悪い奴らではないし、向こうもこちらを友人だと思ってくれていることはよくわかるのだが、時折こうして妙なテンションで振り回してくるのが若干の困りどころではあった。だがまあ、前々から気になっていると時折零していたクラスの派手な女子アーミィにデートを申し込んだ勇気。そして呆気なく玉砕した悲劇に免じてそこには何も言うまい。
「トリオルのことはともかくだ」
「ともかくってなんだぁ~、ミッド~……」
「お前たちが注目の的になっているのは嘘でもないし大袈裟に言っているわけでもないんだ。最近は前にも増して悪目立ちしている気もするしな」
「悪目立ちって、今のトリオルみたいにか?」
「ショー、お前までなんだその言い草はぁ……」
「いやこれより酷い。クラス内、学年内だけならまだしもステイラバート全体の語り草になりつつあるんだぞ? これは五回生の兄に聞いたことだから間違いない。せめて人前ではもう少し控えたほうがいい……あの二人が無用なトラブルに巻き込まれるのは嫌だろう?」
「このままだとそうなるっていうのか?」
「もしもの話だ。だけど、決してあり得ないことじゃないだろう」
「俺もそう思う。だからこうして注意してんだ」
「ミッド、トリオル……」
片割れの態度の乱高下具合に戸惑いつつも、ショーは友人二人が冗談で言っているのではないと感じ取った。自分と仲良くすることでメルとイーディスにどんな災難が起こるのか、その点についてはいまいちピンとこなかったものの、万一にもそんなことになるのは確かに嫌だった。なのでショーはしかと頷く。
「わかったよ。二人にも言って、ちょっと人目に気を付けとく。それでいいんだろ?」
「そうしておけ」
「目に毒じゃなくなるから俺もそのほうがいい」
「トリオルお前、それが本音か!?」
「文句があるなら受けて立つぞショー!」
「おい、これ以上騒ぐな。いい加減に叱られるぞ」
冷静なミッドの言葉に『廊下では静かに』という校則を思い出したショーとトリオルはぎくりとして組み合ったまま動きを止めたが、少しばかり遅かった。講義の時間内外を問わず常に校内を見回っている巡回教員の一人が通路の向こうからのしのしと近づいてきているのを見て、三人は自らのこの後の運命を悟り。そしてそれを静かに受け入れた──というかそれ以外にやれることがなかった。
◇◇◇
「ねえイーディス、ショーったら先生に叱られてて講義の参加に遅れるみたいだよ」
「せっかく遅刻を免れたのに何をやっているんだか……ある意味大物だね、ショーは」
「うふふ、ショーが大物?」
ないないと軽く笑い飛ばすメルに、イーディスは「そうかな?」と本気とも冗談とも取れぬ口調で微笑んだ。




