84.知らないことが多すぎる
「罠の可能性がある?」
書きかけの書類から顔を上げてそう訊ねれば、急ぎ申したいことがあると執務室を訪れたモロウはしかつめらしい表情でうむと頷いた。
黒鉄の魔女ディータの強襲から一月と少し。主に使っていた第一居館の機能を第二居館──どちらも寝殿造りで言うところの対屋である──に移し終えて日常の風景を取り戻しつつあるイデア城は今日も今日とて忙しい。あの大わらわの数日後には予定通り各地の領主と対面して監査実行前の詰めを行ったしね。で、それと並行して色々と動いていたらしいモロウは長丁場の作業と熟考、そして政務室での侃侃諤諤の議論の末にとある結論に辿りついたのだと言う。
「ふむ。聞かせてくれ、モロウの考えるその罠というのがどんなものか」
居合わせているセリアも、そしてあのマニすらも今ばかりは真剣な面持ちでいる。それは俺も同じだ。部屋中の視線を一身に集めてモロウは口を開いた。
「イデア様もご存知の通り、政務室は今日まで『魔女会談』について調査を行ってまいりました。そもそも僕たちは中央への伝手を持たないために、その地のまさに中心において行われるという会談についての情報もすぐには成果と呼べるものが集まりませんでしたが、けれどイデア様の御威光が成した『東方連書』。その同盟国の協力によっていくつか判明したこともございます」
すぐには集まらなかった、とは言うがあれから若干三十日。ゼロからのスタートを思えば充分に手早い情報収集ができていると思うが、しかしモロウはそれを自分ではなく俺の手柄だと考えているようだ。確かに、今や東方全域をカバーするに至った『東方連書』の条約がなければ収集作業にももっと手間がかかっていたであろうことは間違いないので、その成立に最も寄与したのが俺の存在だという点を踏まるならば彼の認識もまた正しい物の見方なのだろうけれど……とまれ是非はともかく。
それにしたって、魔女によって区分けされているせいで地方ごとに情報網も交通網も隔絶、ないしは著しく制限されている中でよくぞまあ魔女会談について議論できるだけの材料を揃えられたものだ。それはたとえ東方中の国から協力を得られたとしても簡単なことだとは思えないのだが。実際、この新王国やセストバル王国にも中央の国々の話は噂話程度にしか聞こえてこないのが実情だし。
「中央から各地方への出入りは他地方間ほど制限されておりませんので、この東方においても中央圏に近い国ほど有益と判断できる情報を提供してくれました」
「そっか、ここは東方でも末端の僻地だものな──そりゃあ場所によっては別の地方の事情に通じているかどうかにも大きく差が出るか」
ちょっと行けば海に出るほど大陸の端なのだ、我が国は。中央はもちろん、南方とも北方ともかなり距離がある。この距離というものがこちらの世界では相当に重たいのだ。
前世の感覚で言えば車に鉄道に飛行機にネット回線。最低限のインフラさえ通っていれば距離などさしたる問題にはならなかったものだが、こっちの移動は最速でも馬車。聞けば中央にでんと構える件の帝国には列車が走っているとも聞くが、それも国内を巡回するだけのものらしいので……なんであれ人流も物流も速く大量に、となると到底一筋縄ではいかないのである。
空を飛べて、目印さえあれば移動にかかる時間をすっ飛ばして目的地に到着できる俺や、他の魔女や賢者なら別として。この世界の人間がイメージする数十キロはかなり果てしないと思っていい。それが地方線を跨ぐ進路であれば尚のことに。だからこそその制約を越えて行われている国家間の交流、それによって得られる諸々の知識には俺が思う以上の価値があるということなのだろう。
「で、有益だっていうのは?」
「各々の支配における毛色の違い。そこから推察される各魔女の方針や性格といったものも大変興味深くはありましたが、そちらは真偽の定かではない伝聞に更に推察を重ねたもの。会談を紐解くに充分なものとは思えませんでした──しかし出自の異なる情報群の中には内容が一致するものもありました。それが『魔女会談の開かれる時期』です」
「開かれる時期……?」
「はい。魔女の不在が確認された日付の重なり。これはとても単なる偶然や無意味なことだと片付けられはしないでしょう──僕ら政務室はこれを極めて重要視すべきと判断しました。つまり、二人ないしは三人以上の魔女が同時に支配域から姿を消しているそのタイミングこそが会談開設を意味するものであると」
「や、それはわかるけれど……そのタイミングをそこまで気にする理由がわからないな」
俺が開催している講義のように参加者の都合次第ではないのか、そんなものは。あるいは魔女たちに思いの外まとまりがあって定例会として設けられていたとしても、それを知ったところで「ふーん」としかリアクションは取れない。いまいち何を言いたいのか掴めずに首を傾げた俺に、モロウはもうひとつ頷きを返して。
「定例会か否かという差異、それそのものが気掛かりとなるのですイデア様。魔女が消える日は定まっておらず、日付にもその間隔にも規則性がまったく見られないとなれば、魔女会談はまさしくイデア様が行なう講義と同じく『不定期』であると断定されます──故にこそ、去り際に晴嵐の魔女クラエルが残した言葉が重大な意味を帯びてくるのです」
「むむ……そうか、あいつは次の会談実施を半年後と言った。定例会として必ず同じ日、同じ間隔を設けて開催しているのでないなら、俺が訊ねたところで事前に決められた予定なんて返ってくるはずがなかった……」
「おわかりいただけましたか──まさに! その点こそを僕らは危ぶんでいるのです!」
予定は流動的であると、つまり確実なものではないと前置きはあったものの。しかしクラエルは俺の問いに対し特に悩む素振りや考える仕草を見せることもなくすぐに半年後と具体的な時期を告げた。
それは俺が質問をする前から、もっと言えばこの城を訪れるよりも前。最低でもディータが襲撃を開始した時点には既にその予定が立っていたということになる。彼女の救援、もしくは仲立ちに駆け付けたからにはその点におそらく齟齬はない……モロウたちが懸念しているのはこの事実から透けて見える危うさにあるのだろう。
「クラエルはディータの暴走を見越していたのではないか。あるいはあの襲撃自体が会談の意向によるものなのではないか。もしもそうだとすれば次回の会談にイデア様を招集する行為の背景が大きく変わってきます……即ち誘いの罠! 魔女たちが一堂に会す場にあなた様を誘い込み良からぬ何かを行うこと……! それこそがクラエルの狙いなのではないか、と僕たちは危惧しているのです」
「うーん、なるほど」
腕を組んで唸る。一考に値する推察ではある。……と言っても、直にディータの言葉を聞き、クラエルの反応をつぶさに観察した俺の所感はそれを否定しているのだけれど。
先に半年後の予定が立っていたところで、それが事前に話し合われて決められたのではなくクラエルの独断で告げられたものであることを否定し得る根拠は存在せず。そして流動的と言ったのもそのままスケジュールの白紙具合を指し、そこに今からペンを走らせて何がなんでも六ヵ月後には会談を開くつもりだという──他の魔女の個人的な予定がどうであれお構いなしに、という意味での──一種の宣言の色が強い言葉だったかもしれない。
だとすればあのときのやり取りにそこまで深刻な疑いを持つ必要もなくなる、が。これはあくまで俺独自の見解だからね。
俺の考えとモロウたちの考え。それらは互いに一定の理がありつつ完全に相反するものでありながら、どちらも否定の推論を持たない。要するにどっちとも言い切れないのだ、現状の情報と知見だけでは。こういう場合に双方が意見を譲らないでいると平行線の議論がいつまでも続くことになるが、まあ。俺たちに限ってはそういった心配は無縁である。
何せ決定権はいつだって俺に一任されているからね。
「政務室からの進言、その意味するところはよくわかった。その上で決断する──次の会談に参加する意思を覆すつもりはない」
「イデア様、しかし……」
普段は俺の決定に対し口を挟まないモロウだが、このときばかりは渋面を見せた。それだけ魔女会談、そこに集う魔女を危険視しているということなのだろう。それがわかっているだけに俺は「待ってくれ」と彼を宥めた。
「直ちに参加を取り止めたりはしない。けれど、もう少し用心したっていいんじゃないかとは思ったよ。そしてそれは会談への出席を視野に入れたことで考えていた『とあること』にも通じるものだ。だからちょうどいいとも言える」
「とあること、ですか? それはいったい……」
訝しむのはモロウだけでなくセリアも同じだ。国王としての俺にとっての右腕と左腕である二人に、なるべく安心感を与えられるようにしかと頷いてみせる。
「俺は知らないことが多すぎる。別に知らずとも済んでいたからそれでもよかったんだけど、会談に──そして魔女たちに。竜に代わって大陸を席巻している現支配者様方に関わろうというのならそうも言っていられないからね。いつかでいい、いずれでいいと後回しにしていたことを早めてしまおうと思っている。手始めにはそうだな……魔法界隈のメッカ。最新最先端の研究が行われているという、例の魔法国を訪問してみたいかな」
できれば一人で、お忍びでね。そう補足すれば、セリアとモロウは例のなんとも言い難い悩める表情を作った……うん? また何か困らせるようなことを言ってしまったかな?




