81.新手
──日照権を侵害して止まない邪魔な城砦を排してのち、荷物を抱えながら地上へと戻れば。そこには我が城の臣下たちが勢揃いして俺のことを待ってくれていた。というより、この場から移動することもできなかったって感じかな。
「イデア様! よくぞご無事で……!」
感極まったように(実際ちょっと泣いている)モロウがそう言ったので俺も「お前たちこそ」と返す。
「全員無事みたいで何より。上から魔力で探って確かめてはいたけれど、ちょっと心配でもあったんだ」
無事、とは言っても出迎えるだけの体力を残しているのはモロウとセリアだけのようで、ダンバスとミザリィはへたり込んでいるし、フラン君とマニに至っては横たえられたままで完全に沈黙。一目でわかる苦労のあとに俺が思わず苦笑していると、セリアが。
「イデア様はどうなのですか? どこかお怪我は──されていないにしても、不調などはありませんか。それに敵はどうされたのですか?」
もっともな質問に頷きつつ、肩に担いでいた荷物を地面に下ろす。
「安心してくれ。見ての通り俺に怪我なんてないし、お前たちを苦労させた張本人はほら。この通りだから」
「そ、それは……?」
「うん? だから、こいつが襲撃者だよ。黒鉄の魔女ディータと名乗っていた。たぶん偽物じゃあないと思う」
「いえ、そうではなく……その有り様はいったい、何があったのかとお聞きしているのですが」
「ああ、そっちね。ちょっとお仕置きとして血管と神経を引き摺り出したんだ。全体の半分ってところかな……はは。これでもまだ生きているんだから凄いよな、魔女っていうのは」
普通の人間ならとっくに死んでいるだろうにな、と笑いかけたがセリアたちの反応はいまいちだった。んー、むしろ引いている? なんとまあ、殺されかけておきながらその下手人に同情できるとは、みんな人間が出来過ぎているね。善性素晴らしきかな。けれど、それでこらしめた俺のほうがマッドな感じになってしまうのはちょっといただけない。
「言っておくけどこうしたのは趣味ってわけじゃないからね。必要があったから血管を引き抜いたんだ。そうでもなきゃこんな倒し方はしない」
神経まで付いてこさせたのは物のついでというか、つい興が乗ってしまった結果ではあるけれど。そこは言わなくてもいいだろう。と、あくまで仕方なく痛めつけたのだと主張する俺に対しセリアは「わかりました」と極めてクールに話を変えた。
「それよりも、マニが重傷なのです。イデア様の御力でどうにかなりませんでしょうか?」
「む……そうなのか。どれ、ちょっと診てみよう」
セリアに促されてマニの具合を確かめてみる……あー、けっこうこっぴどくやられているな。いざというときの仕込みも残っているし命に別状があるほどじゃあないけれど、生身の部分が割と深刻なダメージを受けている。聞けば黒鉄の騎士へ果敢に攻めたはいいが二度も手痛い反撃を食らってしまったのだとか。うーん、アレに殴られた程度でこうなるのか。これはもうちょっと身体面での調整が必要かもしれないな。
まあそこは追々考えるとして。マニの傷を治しつつもう少し詳しく何があったか聞けば、騎士を倒すのに最も貢献したのはフラン君。次いで彼が目覚めるまでの時間稼ぎをほぼ一人で担ったダンバスだとか。魔力で大まかな流れは俺も把握していたけれど、現場の声を実際に聞くのとではまた印象が変わるものだな。上からだと割と危なげなく連携を取りながら勝利していたようにも思えたのだが、当事者たちからすると死と隣り合わせのかなり過酷な戦場だったようだ。
で、本当なら避難も兼ねて王城を出たかったようだが、六人中四人がダウンして内一人はかなり重篤。となればうかうかと移動することもできず、また空中の城砦で爆発している魔力からして決着は近いと判断し、思い切って俺を待つ決断をしたと。そしてそれからしばらく、予想通りに俺が下りてきたというわけだ。
「あまり待たせずに済んでよかったよ。なんにせよお疲れ様──を言うにはまだ早いか。モロウ、早速だけど正門前にいる市衛たちと協力して市民を安心させてきてくれ。セリアは俺と一緒にこいつの……あれ?」
振り向けば、そこに置いたはずのディータがなくなっている。血痕だけを残して消えた……そのことを訝しんだ瞬間に感じられた、まったく新たな気配。なるほど、そうなるのか。とりあえず回復の目途も立ったところでマニへの手当てを中断し、そちらへと視線をやった。
──宙に浮く新手。今にも泣き出しそうな顔をしているおかっぱ少女。と、表情や目付きから如何にも気の強そうな少女。ちなみにディータは彼女の腕の中にいる。そしてこの二人に隠れるように妙にコソコソしている長髪の女が一人……こちらは外見年齢が一人だけ上なこともあってちょっと浮いている。
ふーむ、なかなか個性的な三人組だな。
「なんだお前たちは!」
モロウとセリアが臨戦態勢を取るが、俺はそれを手で制した。荷が勝つ、と口に出して忠告しなくてもわかっているんだろう。二人は大人しく従ってくれた。賢明な判断だ。後ろの女はともかく、前の少女らはちょっとマズい。気配がディータのそれに近いので、おそらくはどちらも魔女。そして長髪女は誰かしらの賢者といったところだろうか。
「回収に来ただけかな? それとも加勢に来たのか……どっちにしても俺は歓迎するぞ」
モロウが声を上げてもなお無言で。観察するようにこちらを見据える彼女たちにそう話しかけてみれば、応じたのは予想に違わず気の強そうな彼女だった。
「挑発的なのね。一方的にディータがやられていることに驚かされはしたけれど、あなただって消耗しているはずでしょう? 連戦で私たちを同時に相手取るつもり?」
「必要とあらばね。そのためのウォーミングアップも済んだところだ……一戦交えてみるかい?」
「…………」
少女は目を細めた。そうやって俺のことを改めて上から下までつぶさに眺めて……やがて重く息を吐いた。堂に入ったため息のつき方である。なんとなーく気苦労の多そうな子だな、と俺は思った。
「お初にお目にかかるわ『始原の魔女』……とてもそんな気はしないけれどね。とにかく名乗っておきましょう。私はクラエル、こちらはフォビイ。それぞれ『晴嵐』と『死生』が呼び名よ。それから、後ろにいるのは賢者のミモザ」
「あ、ちょっ。うちの紹介はしなくっていいですよぅ……!」
「そういうわけにもいかないでしょう。ほら、フォビイも震えていないでしっかりして」
「あ、う、うん……よ、よろしくおねがいしましゅっ! ──あうぅ、嚙んじゃった……」
「と、いうわけだから。私からもよろしくお願いさせてもらうわ、始原。できればイデアと呼んでも?」
「あ、うん」
いいけどさ。それはいいんだけど、なんだろうこの……どうにも締まらない感じは。もう少し緊迫した展開になるのではないかと予感していただけに、いやに毒気を抜かれてしまったよ。
けれども、彼女らのうちの誰の手管かは知らないがここに連れ立って現れてディータを奪って。その一連を、戦闘後でまだいくらか気が昂っているところの俺にも気付かせない静けさで実行してみせたこと。これは素直に舌を巻ける技量だ。……もしもその状態で攻撃されていたならディータの強襲など比べ物にならないほどの被害を被っていただろう。
狙われた場合、まず間違いなくセリアとモロウは死んでいた。それがはっきりしているだけにここは俺だけが矢面に立つべき場面であることは確かである。毒気だけでなく気まで抜いてしまってはよろしくない、ので。
今の俺は我ながら珍しくも、少しばかり本域の警戒をしているところだ。
「晴嵐に死生、そして黒鉄か。今日だけで随分と魔女の友人が増えてしまったな……それでだ。『よろしく』というのは具体的に、何をどうしたいと言っているのかな?」
晴嵐と言えばインディエゴの件の訪問者であり、そして『魔女会談』でも特に重要な役割を担っている魔女だったはず。まるで故も知らぬことではあるが、ディータ曰く会談の十二箇条をふたつも破ってしまっているらしいからな、俺は。それを指摘した本人も独断で動いていると認めていたし、つまりは規則破りが二人もいることになる。
そのことを受けて、クラエルを始めとした他の魔女がどういった行動に出るかは正直さっぱりわからない。なのでこうして素直に訊ねてみているわけだが。クラエルは俺の問いに盛大に眉をひそめて、それからゆっくりと答えた。
「……これまでは半ば黙認していたけれど。こうなってしまったからには、イデア。あなたには次回の会談に必ず顔を出してもらいたいと思っているわ」
「もらいたい、か」
「ええ。強制はしない。自発的に参加してほしいところね」
「もしも断ったらどうなるのかな。会談から除籍とか?」
それならむしろ望むところだと伝わるように言ったのだが、クラエルは俺の茶目っ気に対してもあくまで冷徹だった。
「会談の場から排することは魔女として認めないということ。とても重い罰だし、私たちにとっても取り返しのつかないものよ。だからそれは最終手段。万が一あなたが円卓の座につくことを拒否したとしても除籍処分は考えていないわ。その代わり」
「その代わり?」
「あなたが不在の場にディータがいれば彼女への酌量が強く働くことになる。そうなれば高い確率であなたを除く全魔女と、アーデラを除く全賢者が、あなたに敵対的立場を取ることになるでしょうね」
「ほー……それはまた、難しいことをするんだな」
「ええ、そうね。それはあなたが善意に従ってくれさえすれば全てが丸く、加えて易しく収まるということでもあるわ。そのときは何も起こらない、ディータにもこれ以上の勝手はさせない。会談責任者の名において約束しましょう」
ふうん、と俺は頷く。まあ、私闘かつ手を出された側とはいえ、魔女の一人と事を構えてしまったのだから呼び出しくらいは仕方ないことかもしれないな。煩わしさがないわけではないが、俺もここ一年程でさんざ魔女の名を利用した身。そろそろその権利だけでなく義務のほうも果たしておくのも悪くはないだろうから……うん。
「開催はいつになる?」
「半年後を予定しているわ。流動的だから暫定のものだけれど、大きくズレはしないでしょう。……予定を訊ねるからにはそういうことだと思っていいのね?」
「ああ、次回の魔女会談。是非とも『始原の魔女』として出席させてもらおうじゃないか」




