80.少しだけ本気を出そう
全身を使った振り下ろしの殴打。魔力で受けようかとも考えたがすぐに判断を改め、その場から飛び退いて大きく躱す。つもりが、かなりギリギリになった。目の前で炸裂した重打撃は黒鉄の床を一撃でぶち抜いて破片を撒き散らす。あれだけの数であれだけの大暴れを演じてもビクともしていなかったというのに、拳ひとつでこうも簡単に壊してみせるか……直撃すると痛いでは済まなそうだな。
ディータは領域を縮小させた。と言っても力自体はそのままに、大きさを変えただけだが。城全体から肉体へ。拡充していた支配空間を限定させて自身を領域と化し、よりスマートで強靭な術へと昇華させた。素材の強度が落ちたわけではないこの塔をあたかもビロード細工かのように粉砕してみせた彼女のパワーは、ここにきてついに頂点に達したものと見ていいだろう。
推察するに己が肉体の黒鉄化。それも単純な代替ではなく混ざり合わせたな? けっこうなバランス感覚を要求される魔法だと思うが、ディータはそれを危なげなく使いこなしている。その結果、彼女の肉体は黒鉄の堅固さと人体の柔軟さ、相反するはずの双方を損なうことなく発揮できている。硬く柔らかい。俺が保護のために『アクアバッグ』に求めたそれをディータも前々から自身の体で実現させていたのかと思うと、若干の親近感が湧かなくもない。用途としてはえらく違うけれども。
「おいおい」
床が抜けてしまったので飛んで塔から脱出すれば、ディータはそれに天井を突き破って追従してきた。そんな横着をせずともよかろうに。いくら抜け殻とはいえ自作の城になんの思い入れもないのだろうか……? まあ、そんなものがあればそもそも俺を内部に招いたりしないか。
何はともあれ迂回して外に出た俺と違って最短の進路を取ったディータの移動距離は短く、必然それにかかる時間も短く。一瞬で追いついてきたかと思えばなんとも豪快なことに頭突きをかましてきた。ロケットのような勢いで突っ込んで来た頭部。そこはディータにとっても急所であるが、血管に沿って全身に黒い紋様が浮かんでいる今の彼女に弱点などという脆弱な部位は存在しないらしい。こちらが反射的に翳した防御兼攻撃用でもある魔力を物ともせずに突き進むディータは、空中で俺と強かに激突。
第三法則に従ってディータは小さく、そして俺は大きく吹っ飛ばされた。
「ッ、」
どこかに打ち付けられて体が止まった。ここは……中庭に通じるアーチ状の関門、その外壁か。小さな城砦とはいえあそこからここまで飛ばされるとは。そう感心しながら着弾点から発射点である塔を見てみようと視線を上げれば、眼前に足裏。そして頭の内と外から響く轟音。蹴られ、押し込まれ、そして関門すら越えてその先の黒鉄の大地へと埋め込まれてしまったようだ。
すごいな、まるで守りが間に合わないぞ。ノヴァの最高速ほどではないがアレに近しいものがある。黒鉄を体内に巡らせるのは魔力循環の要領であり、それで膂力と耐久性を得る理屈は俺にもわかるのだが、どうやって高速化を果たしているのかはちょっとした謎だ。むしろ重くなって鈍足になりそうなものだが維持どころか逆に速くなる仕組みとは……さてはあの浮き出た血管、単にそこに黒鉄を流し込んでいるというだけでなく相当な高速循環をさせているな?
運動量が大きくなればなるほど鼓動も早まる。これは心臓が全身を動かすエンジンでありポンプでもあるからだ。血流の加速は肉体の酷使において必要不可欠な要素。ならば逆説的に、血流を高速化させることで駆動力を高める理論も成り立つ。いや本当なら成り立たないが、そこを強引に等式で結びつけるのが魔法の役割だ。
不可能を可能に。不可変を可変に。不可逆を可逆に。それが魔法、それが魔法使い。そして魔女はその頂点であると世間から、そして世界から認められている。破られざる規律を破ることが許された存在であると。ディータもその立場に違わず戴かねばならない法則を己の下に置いているわけだ──むべなるかな。おそらく今見せられているものは黒鉄の魔女の境地のひとつだろう。一人の未知を解き明かす者として、素晴らしい技術を惜しみなく披露してくれている彼女には感謝しておかなくてはな。
ほぼ百八十度後方へ曲がっていた首を戻し、魔力を練る。ただの黒鉄になった城の大地を押し広げて宙に舞い戻れば、そこに待ち構えていたディータの首を刈るような後ろ回し蹴りが俺に叩き込まれた。
右腕に魔力を集中させてガード。どうにか間に合った、けれど腕は紙屑のようにへし折れ、横っ面を蹴り抜かれたことで斜めの軌道で再び墜落。黒鉄の地面をバウンドし、中庭を過ぎた外苑の防壁に肩をぶつけて俺は停止する。あたた、これはキツいな。
でろりと剥がれた右頬の肉を引き剥がしながらざっと計算してみる──力はもちろん、生きる速度が俺とは違い過ぎる今のディータと至近戦を演じることは可能か否か。……いやぁ、不可能を可能にするのが魔法使いだ、などとカッコよく言った手前こんな弱音は吐きたくないのだがこれはちょーっと無理そうかな。
飛び出した途端に攻撃が来るだろうと予測して、それがドンピシャに当たったというのにろくに防げてないものでね……少しじっくりと眺めてみたがやはりディータの魔力は普通では考えられないほどの速度で体内を巡回していて、それは高速駆動だけでなく魔力干渉を撥ね退ける魔法的強固さにも寄与している。あんな量をあんな速さで、しかも魔化しづらい領域内の黒鉄として循環させられては、打撃のインパクトの一瞬に俺の魔力を差し込んでどうこうするのは難しいと言わざるを得ない。
どうしたものか、と考えながら地を蹴って退避。途端、そこに砲撃のように飛び込んできたディータが地面の一角ごと防壁を叩き割った。生きた徹甲弾だな、まるで。クイックターンで彼女がこちらに向けて進路を変えたところを魔力で包み込んでみたが、やはり無理だった。泥沼も同然であろうそれをないもののようにディータは殆ど速度を落とさずに前進。俺が伸ばした手も危なげなく回避しながらカウンターの拳を繰り出してきた。
これではある程度動きを先読みできたところで焼け石に水か、と腹をぶち抜かれて中庭を転がされながらやれやれと息を吐く。ついでに血もドバドバと吐くし内臓の欠片みたいなのも喉の奥から上がってきたがそんなことはどうでもいい。なんというか、ね。俺から見ても一角以上の魔法使いと切磋琢磨できる機会があることはいいんだが、その内容がどうも……ディータといいノヴァといい、どうして俺に挑んでくるやつの最終結論はド付き合いとなってしまうのか。甚だ遺憾なことである。
「ま、いいけど」
本音を言わせてもらえば、シチュエーションのわくわく感とは裏腹に意外と歯応えがなかったことにほんの少しばかりがっかりしていたところなのだ。数を頼りにしたあのデュポーンズとかいう兵隊の包囲網はヤワが過ぎたものだから、あれらはあくまで囮であり本命は時々隙を突いて死角から攻めてくるディータ本人だった、ということを百も承知で、その上で凡庸さが心底つまらないと思った。あれくらいで俺のリソースを削れると算段を立てていたことも見通しが甘いどころじゃなく、失笑ものだったしね。
それと比べるといよいよ本気になったディータの戦いぶりは、およそ魔法使いらしい様ではなくともかなりマシなものとなったろう。称賛してもいいぐらいに。彼女特有のオリジナリティ、彼女にしかできない何かを全面に押し出していること。それ自体がもう手放しに素晴らしいものだと言える。
なので、俺もまたそれに応えてやらねばならないわけだ。
手打ちにしようという提案を拒否したのはディータだ。俺は真実、あそこで引いてくれるなら彼女がしたことを咎めないつもりでいた。ただ許すだけじゃなく魔女会談について最低限のことを聞き出そうとも思っていたが、要求はそれくらいだ。大人しく話してくれるならこちらも大人しく聞くだけに務めていただろう。
だがディータはそれを蹴った。あまつさえより真剣味を増して俺を殺しにきている──そのこと自体は別にいいのだが、しかし選んだのは彼女だからな。人の選択はなるべく尊重したい。故に、相応以上の覚悟もできているものと見做す。
少しだけ本気を出そう。
「……!」
よっこらせ、と立ち上がりながら向かって来るディータ目掛けて魔力を放つ。龍型の魔力弾。威力調節は十段階中の八相当といったところ。ちなみにこの例で言えば光の奔流は六だ。これを正面から食らっては先のようにかき分けて進むことはできない、と瞬時に悟ったのだろう。ディータは瞬間的に進路を曲げた。あんな速度で駆けていながらなんと切れのある方向転換だろう……彼女の体にかかる慣性がどうなっているのか知りたいが、まあ。既にノヴァの超高速を味わっている手前そこまで驚いたりもしないさ。
ともかく圧巻の機動性でディータは俺の背後にまで回ってきていた、が。それがわかるということは俺が彼女の動きを認識できている、ということだ。戦いが続くほどに上昇する魔力探知の確度、それに加えてディータの癖──基本的に真正面以外は真後ろから近づいてくるそのわかりやすさのせいもある。そこは本当に直したほうがいいと純粋にアドバイスしてやりたい気持ちもあるが、今は敵なのだからそんな親切をしてやる義理もない。
「よっと」
「!?」
魔力龍を放つ間に用意していたもうひとつ。凝縮させた魔力で作った第三の腕、言うなれば魔力触腕。ディータがやっているところの、本来なら広大なものになるはずの領域を小さくまとめた戦法。それと同じことを俺も魔力を展開させただけの簡易領域へと施した。その産物がこれ。本物の腕よりもずっと自在に動かせてしかもパワフルな触腕が、ディータの蹴り脚を掴んで止めてくれている。
そして二度と放すつもりはない。
「この城砦も邪魔なだけだよな。お前を使って解体でもしてみるか……ほら」
「っ──、」
返事を聞くつもりもない。俺の意思に従って触腕はぶんとディータを振り上げ勢いよく振り下ろす。黒鉄の大地が大きく穿たれ、めり込んだディータは「かはっ」と切実な吐息を漏らした。おっと、硬化していてもなかなかに痛そうだな。やはり魔力触腕は少しばかり腕力があり過ぎるか? でもまだ序の口だ。
「どんどんいこう。城も、お前の精根も。何もかもが尽き果てるまで」




