79.縛られている
リナイトが沈黙した。負けたのだ。始原の魔女の配下に撃破された──馬鹿な、と思う。地上のたった数名。あの程度の戦力に私の騎士が敗北を喫したというのか。硬度を持ち、機動力を有し、修復機能まで備えているリナイトを、魔女でもなければ賢者でもないただの人間たちがどうして倒せる?
信じ難いが、けれど騎士が伏したるは確かな事実。創造主としてまさかそれを勘違うはずもない……領域のしもべは全て壊されてしまった。その事実に目眩すら覚える私に対し、始原の魔女は。イデアは口に手を当てて意地の悪い様子で笑っていた。
「腹が痛いよ。そんな恰好で睨まれても冗談みたいじゃないか」
「……、」
反論は、できない。従えていた兵隊を失くし、着込んでいた鎧は砕けて、僅かに残った両腕の防具も癒着し手錠の如くに私の自由を奪う拘束具へと変貌している。勿論、これはイデアがやったことだ。全部全部奴がやった。
デュポーンズがやられたことも。鎧が破壊されたことも。リナイトの死と同じくらい、いやそれ以上に信じたくない気持ちはあるが──だってそうさせないために開いた領域なのだから──しかしどうにか理解できるとして。一番の問題はこれだ。
この鎧を、破壊よりも変形させたこと。私の支配域にて私の支配物に、奴の力が上書きされた。これはもはや信じる信じないの話ではない。理屈が通っていないのだ。ここは私の、私だけの絶対王政。創造物を壊すことがまだしも可能だとして、支配権において主たる私を上回ることなどできない、はずなのに。いくら同列である魔女と言えどそんなことは不可能であるはずなのに。
イデアはそれをやった。
「これはいったい、どういうこと。お前はこの領域に何をした?」
「魔力比べだよ。扱いきれない魔力はただの毒だろ? 対処しきれない他人の魔力もそうだ。俺のそれはいっそうに有害だからな……このフロアで戦い始めてまだ十分も経っていないけれど、それだけあれば十二分だ。希釈なしの高次魔力をこんなに垂れ流したからには、ディータ。君自慢のお城にだってその備品にだってそりゃあ多少の影響くらい出る」
「……!」
こいつはふざけている。掛け値なしにそう思った。
冗談で誤魔化しているとか、適当なことを言って騙しているとか。そんな風に疑ってはいない。イデアが口にしているのはおそらく真実。領域内で、支配権を簒奪する。あり得べからざるそれをこいつは難なくできてしまうのだ──それが何よりもふざけている。あまりにも馬鹿げているから、いくら笑われようとも私は睨みつけるのをやめられない。
ただでさえ情けない姿を晒しているという自覚はある。だがそれで諦めを見せるようでは情けないどころですらなくなってしまう。反骨の意思はせめても示さねばならない。私の矜持として、そして私自身への真義として。それができないようならいよいよ己を許せなくなる。
「んっ……!」
繋がれた両手に力を込めて、奴の物となった黒鉄の籠手を引き千切る。それを見たイデアは「ほー」と小憎たらしい仕草で首を小さく動かした。
「うちの弟子の他にもいるものなんだな……怪力の魔法使い。邪道だと思うんだけど」
なんとでも言えばいい。何も答えずに私が立ち上がれば、継戦の意気が伝わったのだろう。そこでイデアは少しばかり表情を真剣なものに変えた。
「どうしてそこまでする?」
「どうして、とは」
「君が怒る理由はまあ、わからなくもない。俺としては不本意だけれど。だが、南スエゴスを同盟国としない代わりに東方圏からいくらか融通を利かせる方向でまとまろうとしている。これは君からすれば俺の手が自分の物にべたべたと触れてきているようで不快なんだろう、というのは想像がつくんだ」
だけど、と私の心の奥底まで見定めるような、あるいは何も見ていないような真っ黒な目で奴は続けた。
「ここまでか? その怒りは、君が大事にしているという十二箇条を自ら破ってまで。単身で他の魔女の支配域へ乗り込み、拠点に奇襲をかけてまで晴らさなければならないほどのものなのか。そうしなければ晴れないほどの怒りなのか……? そこがちょっと理解に及ばない」
「…………」
どう答えたものか。奴の足元、長く奴の高次魔力とやらに触れ続けていたせいで光沢のある黒鉄が一切光を反射させない、そら恐ろしいまでの純黒──奴の瞳のそれとよく似た救いのない色へと変色している一帯。侵されている私の世界の一部を見つめながら、ひしひしと正しさを考える。真義はひとつ、しかしそれが他人に詳らかとできるものではないことを私は知っている。
「……必要があるから」
「ん?」
「人に必要なものは、そう多くない……たったふたつだけあればいい。それは生きる『意義』とその『意思』。私が大事にしているのはそのふたつだけ……たったそれだけのものを他人に奪われることには辛抱がならない。奪われるぐらいなら奪う。そのために私はここにいる」
「ふむ? 生きるために必要なふたつか……俺なら『興味』と『自由』ってところかな。とまれ、君の信条であり教義でもある戒律のようなものに俺は抵触してしまったわけだ──うん、よくわかったよ。君は十二箇条よりも余程に自分自身のルールに縛られているってことが」
「──、」
「少し真面目過ぎやしないかい? いやなに、真っ直ぐなのは悪いことではないけれどさ。そんなに良いことでもないと思うな」
私が、自分自身のルールに縛られている。そんなことを言われたのはこれが初めてだった。思いもよらぬ指摘、だけれど、確かにそのままの事実かもしれない。私は誰よりも私に厳しい。それは安寧のためであり発散のためでもある。線引きがいるのだ。そこまでが許容、そこからが非許容。そのルールを厳格に定めないことには何もできなくなってしまう。それが私。奪われることと同じくらい奪うことも嫌いな、自縄自縛のちっぽけな女。
そう言われたわけではないが、そう言われたも同然に私は衝撃を受けていた……では翻って、イデアはどうなのか。良くも悪くもまるで無頓着に他者の物に手を出してしまえるこの縛られない魔女は。クラエルですらも放置という諦観に等しい対処しかできていないこの少女は、いったい何者としてそこにいるのか。
知りたい。
むくむくと私の興味が鎌首をもたげる。
「被害は建物と庭の一部だけ。死人も出ていないことだし、ここで矛を収めるならちょっとばかしのお話だけして手打ちでいいと思っているんだが。……どうもそんな雰囲気じゃないな」
「逆の立場だとして。お前はそんな言葉に応じて降参するの?」
「はは、しないかもな。でもどうしても敵わないなら大人しくはするよ。それくらいの差が君と俺にはあるだろう──そもそも相性が良くないよ。いくら黒鉄が魔法戦に優れた代物だとしても俺にとっては大した優越にもならない。君のフィールドで戦ってなお立っているのは俺だったんだ、それはもう証明されているはず。なのに、まだやるっていうのか?」
「だから、まだやる」
「いい答えだ」
ちゃんと潰してやろう、と。
指をくいと曲げて「かかってこい」とイデアは示す。
王者の風格、待ちの姿勢。私は挑戦者、食らいつく弱者。まったくふざけている。その構図に違和感を覚えない私の頭をかち割ってしまいたい衝動に駆られるが、それは勝負に勝ってからでいい。今はとにかく始原の魔女。この謎多き存在を打破することだけに注力する。
「ふー……、」
実を言えば。この城最大の兵器はまだ残っている。切り札であるキングとクイーンの二駒だ。片方だけでも稼働にリナイトとデュポーンズを合わせた以上の消耗を強いられる魔力食い虫ではあるが、領域はそういった燃費の悪さを補うためのものでもある。ここまででそれなりに多量の魔力を使ってきてはいるが、リソースはまだ充分。それ以上にイデアのリソースが底知れないのが難点ではあるものの、黒鉄の『王』と『女王』を同時に動かしても限界には程遠い。最強の二駒を両翼として攻めるのはひとつの手だろう──が、しかし。
その戦法はデュポーンズと共に攻め立てた先の一幕の発展形でしかなく、故に結果もそれをなぞることになるのが想像に難くない。まったく通用しない、ということはないだろうが。取り立てて意味を持つとも思えない。数でも質でもそれらを兼ね備えた物量攻めでもダメで、ならばまずは疲労させようと狙った兵隊を使っての包囲殺陣も成果を上げなかった。この失敗続きで招いた凋落を鑑みるなら、私が選ぶべきはきっと創造ではなくて。
まさしくこの手で直接に引導を渡すことであろう。
「領域収縮──巡れ、黒鉄の隕血」
「!」
流石。一瞬にしてイデアはそれに気が付いた。領域に宿る力を私の身体へと収めたことで、この城がただ宙に浮いているだけの置き物になったことを見抜いたのだ。
やはり奴の眼力、とりわけ魔力を読む目は凄まじい。特に動作が素早いわけでもないのに不思議と攻撃が当たりにくいのも、驚異的なまでの精度で私の魔力、その動きを先んじて読み切っているからなのだろう。だがもうそれも関係ない。いくら先読みされようと避け切れない速度で、受け切れない力強さで。皮肉のつもりであろう感心を奴が見せたこの怪力を更に更に極大のものとして。思い切りぶつけてやろう、叩き込んでやろう。
「お前が血反吐を吐いてのたうち回るまで、私は止まらない」
「怖いなディータ……その殺意。俺にはとても眩しいものだ」
「抜かせ」
一瞬の間。互いに口を閉ざした秒間にも満たない静寂の次にはもう衝撃が辺りに響いていた。仕掛けたのは無論、チャレンジャーである私のほうだ。
初撃は躱された。が、さっきよりも回避に余裕がない。砕け散った床の破片が舞い散る中で、私とイデアの視線が絡み合うように交わり──。




