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76.しょうもないもの

「ちィ……!」


 またしても一体やられた。残るは三体。遠からず訪れる石像兵の全滅と、そうなれば次に斬り伏せられるのが自分たちであることを予見したダンバスの指揮は更に熱が入り、そしてよりシビアなものとなった。


 位置取り、間合い、フェイント、それに隠された本命。三体を最大限に駆使して騎士を翻弄すべく立ち回らせる。幸いなことに騎士はやはり自律機動。石像兵の剣では己が身に傷を付けられないと知ったはずにもかかわらず、攻勢を見せると彼も熟練の剣士の如く相応の慎重さを見せる。自分がそうしているように主人が直接現場を見て操作していればこんなチグハグさはあり得ない。そこにダンバスは付け込み、一秒でも長く騎士の時間を消費させ、そこに込められた魔力が──たとえ広大な湖におけるほんの一滴程度だとしても──消耗されることを切に願う。


 齢七十七にして最高潮、そう言い切れるだけの凄まじき集中力を見せるダンバスの横で。若きモロウは激しい自責の念に苛まれていた。


 彼は一介の魔法使いなどではない。少なくとも彼自身は己をそう評している。本来ならこの場においても率先して黒鉄の騎士の前に立つべきが自分なのだ、と。しかしここまでに彼のしたことと言えばセリアを凶刃から守り、今も万が一、石像兵を動かすダンバス本人が狙われた際に備えていつでも【プロテクション】を張れるよう備えているという、ただのサポートが精々。人はそれでも充分な役割を果たしていると言うかもしれないが、他ならぬモロウがそれに納得できていないのだから仕方がない。


 黒鉄の騎士が人間であればまた話も違っただろう。だが生憎と騎士は完全なる無機物。モロウの得意とする魔法は人の精神に作用してその生死すら好きに操るという強力かつ凶悪なものだが、その性質上、非生物との相性は極めて悪い。それでもダンバスの石像兵程度なら高次魔力のゴリ押しでその操作権を奪うこともできるのだが、残念ながら魔女製の騎士に対してはそれがまったく叶わなかった。既に何度も試して失敗しているモロウにできることはもう何もない。


 精神操作を除けばエイドス魔法と言っても既存の呪文を高次魔力で強化する程度のことしかできない彼は、【マジックアロー】の威力もセリアが持つ『ファイアフライ』の射撃に若干劣る始末。つまり、黒鉄の騎士に対しての有効打を何ひとつ持ち合わせていないということだ。


「っ……!」


 だからこその歯噛み。着実に減らされていく石像兵。それに伴ってダンバスの精神力も磨り減り、今や彼は瓦礫の上に片膝をついている。だが大粒の汗を垂らしながらも、それを拭うだけの余裕すらなくとも、その集中力は決して途切れず。残りの二体を同時に騎士の死角から走らせて鎧の隙間に石剣の切っ先を刺し込むという快挙を成し遂げた──だが。


 ダンバスの技量を祝したい気持ちと、しかしこの奮闘がなんの意味もないことを悟ってしまっている空虚さがモロウの胸を締め付ける。彼の予感に過たず、ゴギンと音を立てて折れたのは騎士の体ではなく石剣のほうだった。中身までもが余さず鎧と同じ素材。重く硬く忌々しい、黒鉄の怪物がそこにはいた。


 まだしも。自身に比べてまだしも騎士に通用し、見事なまでに通常魔法のみで食らい付いたダンバスの時間稼ぎもここまでだ。無造作な剣の切り払いで最後の二体が粉砕されたのを見て、いよいよモロウの心中には嵐が吹き荒れていた。そんな冷静に戦況を見る己は何をした。セリアも救い切れず、ダンバスの助けにもなれず、ただ立ち尽くすのみ。傍らで手をついて荒い息を上げ、こちらに向き直った騎士から逃げるだけの体力も残されていない老人に、力強い言葉ひとつもかけてやれないほどに弱い存在。


 そんなしょうもないものが『始原の魔女』に助けられたモロウという人間なのか──。


「!」


 騎士の頭部へ正確に命中する魔力弾。死に体のダンバスから注意を逸らさせるための援護射撃だ。それでモロウは我に返ったが、しかし肝心の騎士の標的はダンバスに向いたままのようだった。確実に仕留められそうな者から狙うようにとでもプログラムされているのか、それともたった三十秒そこらとはいえ石像兵に時間を取らされたことへの恨みでも物言わぬ鉄くれが抱いているのか。どちらにせよセリア、そしてミザリィに騎士の進行を止めることはできそうにない──。


「【プロテク……!?」


 ならば自分がやるしかない。そう決意して先以上の魔力量で強固な壁を張るべく呪文を唱えようとした彼の口が止まったのは、一頭の獣の疾駆を遠目に見たからだ。


安全装置セーフティー、完全解除」


 ──否。その低い姿勢で、足場の悪さなど感じさせない異様な速度で駆けるのは獣ではなくメイド、マニであった。


 殴り飛ばされ地に落ちたマニは軽くはないダメージを受けていたが、それによって魔女の加護が発動。ある程度肉体の不備を無視できるようになり、なおかつ万全以上の駆動が可能となった。収納空間ポケットから魔女謹製ノコギリ『肉落としワンダーバトン』を既に抜き放っている彼女はそれを剥き出しになった黒い右手にしっかりと握り締め、驚異的な脚力で以って戦地へ舞い戻ってきたのだ。


 その発射された矢の如き高速の接近に騎士がなんらかの知覚でもって気付いた瞬間には、もう刃が閃いており。


「なっ?!」


 騎士を肩から脇腹にかけて袈裟斬りにする。以前にもブローカーのゴロツキをそうして処したように、あれだけ硬かった騎士を両断してしまった。そのことにモロウ含め一同は瞠目するが──しかし納得する。黒鉄の騎士が魔女の創造物であるならマニのノコギリもまた魔女が作り出した特一級の一品。殺人具とならぬようあえて威力を上げ過ぎないよう調整が施されているセリアの銃型杖とは違い、処理具としてとことんまで切れ味の追求がなされたものが『ワンダーバトン』であると以前にイデアの口から語られてもいる。


 黒樹の義手の力、呪式魔化で強化された身体能力、そして切ることのみに特化した武器。それらが合わさったことでさしもの黒鉄の騎士も一撃の下に沈んだのだ。


 ──勝った。危うい状況ではあったがどうにか窮地を脱した、と。騎士が斬られた瞬間に皆が疑いもなくそう信じてしまったのは、果てのない絶望から目を背けたかったからなのかもしれない。


「え……?」


 呟きを漏らしたのは誰か。……誰でもあっても同じことだ。その様は全員が共に目撃していたのだから。


 一刀両断されたはずの騎士の身体が、ふたつに別たれた部位が。切断面同士で引き合うように元の位置に戻り、そして接合されて。あたかも斬られた事実をなかったことにしたように何事もなく剣を構えた騎士が──反応の遅れたマニに横薙ぎの一振りを浴びせた場面を、モロウたちはその目にしかと映していた。


 木の葉のように軽々と吹き飛ばされてから、力無く落下したマニ。その口から大量の血が吐き出される。当然だ、安全装置セーフティーが解除された時点で彼女の肉体は相応の傷を負っている。そこに一度目の攻撃を超える負荷がかかればどうなるかなど考えるまでもない。


 辛うじて得物と腕で防御して一命は取り留めているものの。如何に魔女の加護があろうと瓦礫の上で身じろぐことしかできない様子からして、ここで彼女は脱落リタイアだろう……いや、リタイアさせてやらねばならない。マニにこれ以上の無茶をさせては間違いなく命を落とすことになる。損傷が実際どれほど酷いのか他者にはっきりと断定できるものではないが、彼女には安静が必要だという見解は誰しもが一致していた。


 動けないのはダンバスも同じ。ミザリィもそう何度も『すり抜け』を実行できる状態ではない。こうなってしまえば戦えるのはたった二人だけとなる。それを悟って責任が圧し掛かるのを感じたセリアとモロウの額に汗が流れた。


 過度な緊張に包まれる両者だったが、黒鉄の騎士の兜はダンバスとマニという動きを止めた二匹の獲物の間で交互に揺れ、されど選定の悩みは一瞬。より虫の息であるマニから始末せんと動き出した。それを阻止すべくすかさず放たれたセリアの魔力弾とモロウの【マジックアロー】を剣身を盾として防ぎつつ一瞬で標的の下へと辿り着いた彼は、まだ撃たれているにも関わらず敵を殺せるなら防御も要らぬとばかりに剣を大きく振り上げて。


 ──その直後そこに舞ったのは、血ではなく『溶岩』だった。


「! ……、」


 熱流に押し込まれ斬撃が空振る。仕留め損ねた。そのことよりも一際騎士の気を引いたのは、誰がそうさせたのかという点だった。黒鉄の魔女が創造せし誇り高き騎士リナイト。そんな己を後退せしめたのは何者か──それを確かめるべく体勢を立て直し、攻撃の来た方向を見やる彼の視線の先にいたのは。


「……何を、してるんですか」


 子供である。主人たる黒鉄の魔女よりも幼い容貌の、一人の少女。


 ……騎士が人であったなら。新たに姿を見せた敵の正体が嫋やかな少女であることと、そしてそんな幼気な少女の全身が溶岩と化していることに二重に驚き然るべきリアクションを見せたのだろうが。しかし彼は動けし黒鉄、己が意思持たぬ自律人形。指定された通りの行動を黙々淡々とこなすだけのリナイトは何を思うでもなく、敵を確認したからにはその迅速な抹殺へと動いた。


 当然少女の言葉になどなんの興味も持っていないし、そもそも言葉としてすら認識していない。どこまでも機械じみたその行動に、しかし少女のほうも──少女のような少年フランフランフィーもまたこのとき、敵がどんな存在であるかなどまったくもって配慮の外にあった。


「み、皆に──自分の仲間に……! あなたは何をしてるんですかぁっ!!」


「!」


 唐竹に振り下ろされた黒鉄の剣を、その持ち主ごと押し返して。感情の爆発と共に噴出した灼熱の濁流がリナイトの全身を飲み込んだ。



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