7.どうしたい?
はい、事情説明。
ようやく立ち上がったモロウは──どうやら身長の差からこちらを見下ろすことになるのが不作法だと感じていたらしい──そう一言で求めた俺に粛々と語り出した。
「母はこの国の辺境にある地域の、とても貧しい村の出身です。苦労を重ねながら日々を生きるに精一杯の毎日でしたが、父と一緒になり、僕が生まれ、贅沢とは無縁ながらにそれなりに幸福だった……と母は当時を振り返って言っていました。しかし僕の誕生に前後して流行り病が村を襲ったのです。それは交流のあった近くの村から持ち込まれたもので、母の村の人々が事態の深刻さに気付いた頃にはもう近村は壊滅と言っていい状態でした。地主に助けを求めようとしましたが、先の村が同じことをしていたのでしょう。事情を把握した地主は先んじて国の使いを送ってきました。それを救助だと喜んだのも束の間、彼らは村の封じ込めを行いました。そのまま日数が経過して村人たちが一人また一人とその数を減らしても、彼らはそれ以上何もしてくれなかった。そこで母たちはようやく悟ったのです──国は私たちを見捨てたのだと。今から二十年程前のことです」
「…………」
よー喋る。と思いながら聞いている俺とは違って下唇を噛んでいるのはセリアだ。俺の視線に気付いた彼女は弱弱しい仕草で頷いた。
「あり得る話だと思います。現王が即位した三十年前からこの国の腐敗は加速したようですから。寒村を救うために金を使うくらいなら、と如何にもやりそうなことです。外向けには対処が間に合わなかったとでもしておきながら、その実手を施す気は最初からなかったのでしょうね」
「そうか」
惨い話だな。二十年前からそんなことが起こっていてよく最近まで国民の決起が抑えられていたものだ。
と言っても、特に酷い仕打ちを受けていたであろう辺境村の連中からすれば王都も王城も遠くにある。ともすれば彼らにとっての異世界と言って差し支えないぐらいに……立ち上がって攻め込め、なんていうのも無茶な要求かな。
「それで?」
「父を失ったとき、母は僕を連れて村を出ることを決意しました。その頃には村人の数もだいぶ少なくなっていて、村を捨てられず残る者と生存に一縷をかけて出て行く者とで別れました。残ると決めた者たちが夜半に騒ぎを起こし、その隙に母たちは一斉に村を離れそれぞれ別の方角へと逃げました。幾人か見張りの衛兵に取り押さえられたような声が聞こえても母は必死になって走り、生後半年の僕を抱えたまま一晩のうちに野を越え山を越え、ようやく追手の心配もなくなったかと安心できた時分に……僕の発症が判明したのです」
「そんな」
息を呑む声。セリアはすっかり聞き入っている。まるで夜を逃げるモロウの母の姿が実際に見えているようじゃないか。
そこには単なる同情以上のものがあると察したか、モロウも痛ましさを感じさせる目をちらりとセリアに向けてから、すぐに俺へ視線を戻して続けた。
「無論、病に対する術など母は持ちません。末期の父に頼まれた我が子だけはせめて守り通さねば。その一念で初めて村の外に飛び出した母ですから、そのときの心情がどういったものかは推し量ることもできません。しかし深い絶望があったことは確かです。あのときは陽の下でも何も見えないほどに目の前が真っ暗だったと母は僕に言いました──そしてそれ以上に暗く深い、真っ黒な森に出くわしたと」
「あ」
そこかー、俺との縁は。
そうかなるほど、セリアみたいにある程度の当たりをつけて来たのかと思っていたんだけど。なんとたまたま流れ着いたパターンだったのか。すごい幸運だ……というのは少し違うか。赤子を抱えたままかなりの距離を踏破し、そして黒い森にも怯まず進む。母の力は凄しと言ったところか、そのパワーを発揮できたからこそ掴み取れた幸運なのだから。
それはもはや必然に近い。
「あとはイデア様の知っておられる通りです。あなたは闖入者である母の要望に応え、もはや病に侵し尽くされ死を目前にしていた僕を救った。それはもう、まさしく神の御業のようであったと母は奇跡を目の当たりにした歓喜を常々思い出していました。そればかりかイデア様は、不思議な飲み物を振る舞って疲れ切っていた母の肉体まで癒してくださったとも聞いています」
「ああうん、俺特製のハーブティーね」
そうは認識されていなかったようだけど。不思議な飲み物か、そうか。確かにそれよりぴったりな形容もない。作って毎日飲んでいる俺自身あれがなんなのかよくわかってないものな……なんとなく癖になっちゃったから飲み続けているだけで。
「で、その母親はどこに?」
「母は……イデア様の下を発ったのち別国にまで逃れ、そこで女手一つで僕を育ててくれましたが。僕が十歳のときに、亡くなりました。過労によるものです。後年の母はイデア様への信仰と僕の成長だけを寄る辺にしていましたが、やはり知人の全員、それに父を失った悲しみはなくせず心身共に弱ってしまっていたのです。僕がもう少し早く母の助けになれていれば……そんなことにはならなかったのかもしれませんが……」
痛切の表情でそう言ったモロウに、セリアも俺も黙り込むばかりだ。うーん、重い。重すぎる。こんなことならハーブティーだけじゃなくモロウの母にもエイドスの魔力をぶち込んでおくべきだったかな。
でもなー。マジで死にかけだったから止む無しで魔力を注いだモロウが特例なんだよな。珍しく一発で成功したってことも含めて。
エイドスの魔力はそこらの魔法使いが生み出す魔力とは異なる、言わば高次魔力だ。耐性のない人間には毒でしかなく、ましてや赤子に対してはとんだ劇物。しかしその劇物でしか救えそうにもなかったんで失敗を覚悟してやったんだが、そのときの俺はモロウの母の言う通り神がかっていた。上手い具合に赤子の生命力を取り戻し、その肉体から病因だけを追い出すことができたのだ。
これでもし失敗していたら体の中身が丸ごと外に出ていただろう。あるいは内側から裏返ったり、細胞のひとつひとつが解けて塵のように消えた可能性もある。とにかくそれくらい危険な行為だったのだと知っておかれたし。モロウの母に同じことをすれば高確率で俺は孤児を抱えることになっていただろう……いやまあ、似たようなことは何度かやってきているんだけどさ。他ならぬアーデラこそがその最たる例だ。
「けどなんというか。生い立ちからするとすごく立派になったな」
お世辞抜きにそう思う。子どものうちに独り立ちを強いられたからには大変な思いもしてきただろうに、よくぞ宮廷魔法使いにまで登り詰めたものだ。苦難を偲ぶ俺に、しかしモロウは思いのほか明るく答えた。
「いえ、僕にはイデア様より授かったエイドス魔法がありましたから!」
「あー……そっかそっか」
この感じは、たぶん色々と良からぬ方向にエイドス魔法を使ったりもしたな? そうでなきゃ子供一人では生きられまい。その経験の結実が先ほど確かめた空っぽの王城に表れているのだとすれば然もありなんと言ったところだが、まあそこは別にいい。
俺は正義の使者ではないのだからして、モロウが善か悪かなどは知ったことではない。関りがないのであればどこで誰が助かろうと死のうとどうだっていいというのが正直な所感だ。
けれど、確認すべきところはしておこうか。
「モロウ。他所の国で暮らしていたお前がどうしてこの国に戻ってきて、なんでこんなことをしているんだ?」
「それは……」
少し言い淀んだモロウだったが、意を決したように話し出した。
「母は、イデア様への敬意と感謝を最期まで忘れませんでした。僕への愛と、いつかあなたへ恩を返すようにと言い含めたのが今際の言葉となりました。しかしそんな母が、同じく最期まで忘れられなかったものがあります。──この国への恨みです」
「じゃあやっぱりお前の目的は、その恨みを晴らすことか」
「はい。母や顔も知らぬ父、その仲間たちが受けた仕打ちに対する復讐。それを胸に僕は三年前、この国へ戻ってきたのです。初めは王都の民を先導して反乱を起こさせるつもりでした。イデア様もご存知の通り、僕のエイドス魔法はそれに向いたものだったので」
口を閉ざし、ちょっとの間。どうやら肯定を待っているらしいと気付き、俺は曖昧に頷いておく。するとモロウは再び口を開いた。
「しかし王は僕の想定以上に臆病で用心深かった。反乱の空気が形になる前から王城の守りを厚くし始めたのです。以前よりも兵士の訓練に力を入れるようになり、そしてたった一人しかいなかった宮廷魔法使いを増やそうとした……これは逆にチャンスだと思いました。どうやって王その人に接触するかが課題だったものですから、初めは暴徒が起こす混乱に乗じようと計画していたのです。しかし向こうが門扉を開いてくれるのならそんな手間をかける必要もない。宮廷魔法使いになれれば遥かにリスクも少なく王へ近寄れる。晴れて審査に合格し王城へ招かれた僕は……あとのことはそちらのバーンドゥよりお聞きでしょうね」
実のところそんなに詳しくは聞いていない。けれど想像はつくかな。真っ先に王を操って、残りの王族、古参の宮廷魔法使い、兵士たち……といった順に操っていったんだろう。操る前に殺す作業があるけれど、まあ自由を永遠に奪うという意味では同義のようなものだ。
「聞きたいことは聞き終えた。さて、セリア。モロウをどうしたい?」
「えっ……?」
俺の問いをまったく予期していなかったのか、セリアは目を瞬かせる。その様子はまるで幼子のようだった。