61.精霊使いの魔女
「始原の魔女もいいけれど、アクアメナティス。旧知の友である君には是非ともイデアと呼んでほしいところだ」
「よろしいのですか──?」
「構わない。他国の王からもそう呼んでもらっている」
「ではお言葉に甘えイデア様とお呼びいたします。改めて、よくぞ我がインディエゴへお越しくださいました。イデア様がわたくしのことをお忘れになられていなかったこと、大変嬉しゅうございます──」
「まあさすがにね。君はあの頃に出会った連中の中では珍しく話のわかるやつだったし」
別れたきり、これが初めての再会である。折に触れて思い出すような機会もなく、そういう意味ではすっかり彼女のことを忘れていたようなものだが、しかしアクアメナティスの名を出されればすぐに記憶の扉も開こう。何せそれは俺が名付けたものなのだから。
「いつ消えるとも知れぬ弱き水精だったわたくしを、イデア様はお救いくださいましたね。この御恩に、わたくしは片時たりとも感謝を忘れたことはございません──」
「恩なんて感じなくていいって。君の棲み処を危険に晒すことになってしまったから逃がしたっていうだけのことで、これで感謝されるのはマッチポンプが過ぎるだろう」
「あなた様はあのときにもそう言って、恩返しを不要なものと断じました。しかしわたくしはいつの日か必ずあなた様の御力にならんと誓い、こうして国を創るにいたりました──まさかその後、イデア様も国を興しになられるとは夢にも思いませんでしたが」
「それだ、そこが気になる。『始原の魔女』という呼び名もそうだけども。こんな人里離れたどころじゃない地に国を持っておきながら、どうやって俺の近況を知ったんだ?」
「我が娘たるメナティスは以前のわたくしよりも余程活発に陸上での活動を可能としております──中でもトゥーツメナティスは人にも紛れるほどの巧みな擬態を行います」
「へえ。君の手と目はこの海中だけじゃなく陸にも及んでいるわけだ」
するとうちの城まで石板を運んだのもトゥーツということか。間者──という言い方は語弊があるが──を通して俺が一国一城の主となったことを知り、自分も女王の立場を預かっているアクアメナティスは、今こそが恩返しの絶好の機会である。そう捉えてあの手紙ならぬ手石板を寄越したようだ。
「国と国の諍いをたったひとつの魔法で治めたと知り、イデア様ご本人であることを確信いたしました。そして東方の地をひとつにまとめようとしておられるとも聞き及び、力添えとはなれずともせめてその一端を担うことを願いました──」
つまり、もしもまた個人的な恩返しが拒否されたとしても、『東方連書』の同盟国にインディエゴも加わることだけはしておきたいということか。こういうのは加盟国が多ければ多いほど箔も付いて内にも外にも強固なものとなるし、そこに名を連ねて協力しようという言い分はまあわかるかな。そして彼女が真にそれを希望しているのであれば、俺としては加盟してくれて全然構わない。
人以外が営む国家という点で少々特殊な部分も出てくるだろうが……この同盟は各国が足並みを揃えて発足・維持しているのではなく、ほとんど『始原の魔女』の名ひとつで成り立っているようなものだからなぁ。海底国家という色物が加わったところで、他ならぬトップである新王国こそが魔女に支配された国である以上、特に問題らしい問題もなかろうとは思う。モロウとかに確かめてみないと確かなことは言えないけれど。
「インディエゴが加盟するに相応しい国だと認められるかご判断いただくためにも、イデア様にこの地へご足労願うほかありませんでした──御身にお手数をおかけした不躾をどうかお許しくださいませ」
「謝らなくていい。むしろいいものを見せてもらえて礼が言いたいくらいだ。この国はとても美しい……辿りつけさえすれば人が住めそうなのもポイント高いぞ」
「イデア様のためにと整えられた環境ですから、そう言っていただけるのなら何よりでございます──」
「俺のため? じゃあ海底なのにこんなに空気を取り込んでいるのって……」
「以前、水の中は不便だと仰っておいででしたので。インディエゴにおいてはイデア様に不便を強いぬよう工夫をいたしました──」
そうだったのか。こうも凝った構造なのは来訪者のためだろうという予測は当たっていたが、まさか訪れることを想定されているのが俺だけだとは思わなかったよ。……言われてみれば何度か彼女のために水中で話をした際、そんなことをぼやいた気もするな。それをずっと引きずっていたんだと思うとなんだか申し訳ない気持ちになる。
「ひょっとして客人は俺が第一号なのか?」
「いいえ──以前に一人だけ。この国の存在に気付き、自力での入国を果たした者がおります。その者はイデア様と同じく『魔女』を名乗っておりましたが──」
「!」
ほほう。伝説の魔女の一人がここに? いったい何をしに、と訊けば。
「わたくしとの契約が望みのようでした。精霊を使役する魔法が使えるらしく、その力をわたくしにも示しましたが──無論のこと、頷きはしませんでした。わたくしが契約するとすればそれはただ一人、イデア様をおいて他にはないものですから。心苦しくはありましたが申し出はお断りさせていただきました──」
「袖にされて、そいつは大人しく帰ったのか?」
「はい。念を置いての確認をなさいましたが、わたくしの意思が固いと知るや諦めてくださいました──それきり彼女の再訪問はありません。また竜魔大戦からイデア様が訪れた今日まで、かの魔女以外にこの地への訪問者はおりません」
「そうかい……ふむ」
精霊を使役する魔法、か。エイドス魔法とはまた違う特異な魔法だな。少なくとも一般的な通常魔法の枠組みにはないものだ。で、その使い手が伝説の魔女の一員であると。ふうん。おそらくノヴァが言っていた『魔女会談』とやらにも出席しているのだろうな、そいつは。
精霊に詳しいからアクアメナティスの隠れ住むこの国を見つけられた、ということだろうか。そしてその女王たる彼女を自身の新たな力に加え入れたかったと……それは会談で決まった何かしらのための行為なのか、それとも個人の趣味の範疇なのか。そこはわからないしどっちでもいいことだが、彼女の訪問に関して気にすべき点もある。
「やり取りの最中に俺の名は出たのかな? 出したのは君でもその魔女でもいいが」
「既に『始原の魔女』の名は聞こえてきておりましたし、わたくしもそれがあなた様のことであるとトゥーツを通して承知していましたので、大恩ある人物としてその名を出させていただきました──お気に召しませんでしたか?」
「いやそこはいい。聞きたいのは向こうの反応だ」
「クラエルと名乗った精霊使いの魔女は『始原の魔女』と聞いて考え込む素振りを見せましたが、何を言及するでもなくわたくしとの交渉を続け──しかし去り際に『ここを始原の魔女が訪れたら』と言伝を言い置こうとされました」
「言伝。俺宛にか……その内容は?」
「それが、そこで急に口を噤んでしまい──イデア様にどんな言葉を伝えたかったのかはわからず終いとなったのです──」
「あらら」
魔女の一人クラエル。俺に伝言を残そうとしておきながらその気を変えた彼女は、アクアメナティスから見て真剣そのものだったようである。その雰囲気からすると伝言の中身がなんであれそう愉快なものではない、のかな?
会談をずーっとサボタージュし続けている扱いの俺に対し、彼女が何を思い何を言い残そうとしたのか。それは推察のしようもないけれど、しかし確かなこととして……目当ての水精が俺のお手付きだったせいで手に入らなかったという、それだけはクラエルの身に起きた間違いのない事実である。俺と関係を持っていることを彼女の口から明かされてもお構いなしに交渉を続行した辺り、なんとなくではあるが、あまり快くは思われていない感じもする。
ま、そこは気にしないことにして。質問したい点はもうひとつある。
「アクアメナティス」
「なんでしょう──」
「君がしれっと言った『竜魔大戦』っていうのがなんなのか、俺はすごく気になるんだけど」
「当時あなた様が繰り広げたあの戦いのことでございます──人はそれを竜魔大戦と呼称し、『始原の魔女』の最古かつ最大の逸話のひとつとして語っているはずなのですが……イデア様はそのことをご存知ないのでしょうか──?」
「あー……言われてみるとそんな感じのエピソードもあると聞いた気がするな」
竜魔大戦ってワードは確実に初耳だけどね。
セリアから教えてもらったことだが、始原の魔女の逸話には俺からしても眉唾が過ぎるものも数多い。中でも「最古」だとか「最大」だとかが枕詞につくやつはそれはもうけったいな中身になっていて、悪しき神々と戦い勝利しただとか天地創造の魔法で世界を生み出しただとか、いったいどこの神話かとツッコみたくなるようなものばかり。尾ひれがつくどころか尾ひれの集合体も同然の有り様だ。
なのでそれらのひとつひとつを真面目に聞こうとも思わなかったが、なんだ。そういうものの中でも本当のエピソードって混ざっていたりするんだね。竜魔大戦。即ち竜と魔女との大戦に関しては──紛れもなく真実であるからして。
うん、俺は確かにあの頃、大陸で幅を利かしていた竜たちと大喧嘩をしたのだ。その頃は理想世界時代の大一番に次いで激闘の日々だったと言っていい。アクアメナティスを元の棲み処から移させたのも、そうしなければ戦禍に巻き込まれて確実に彼女が命を落とすことになっていたからだ……それがざっと五百年くらい前のこと。いやもっと昔か? 千年はたぶん経っていないと思うが、俺の時間感覚ではもう細かなことは判然としないや。
まさかそれが伝わっているとは、うーむ。なんというか。若かりし頃の恥ずかしい思い出が思わぬ形で武勇伝として地元で語り継がれていたような、座りの悪いこそばゆさがあるぞこれは。




