58.嘘から出たまこと
モロウの働きかけによりセストバル・ステイラ両国と同盟を結んだことは知れ渡っているし、それに付随して俺が他国の王と民を救ってみせたという逸話化されたエピソードも今や新王国全体に広まっている。それはここオーリオ領でも同じことで、領民たちも始原の魔女の新しい伝説──俺がこれを自慢にしていないことだけはどうかご理解いただきたい、あくまで客観性を重視しているのだ──で話題が持ち切りのようである。
無論、この領でその情報をいち早くキャッチしたのは領主たるリーナだ。なので俺から改めて彼女へ話すようなこともないと言えばないのだけれど、しかし逸話化という表現からも察せられる通り、事実との相違はなくともいくらかズレはあるからね。
これは魔女という偶像が一人歩きし過ぎた故の形骸化というか、俺個人の中身がどうにも軽視されてしまっているというか。噂の中の俺は恐怖の魔王であり、慈悲の女神でもあり、あまりに超然としている有り様だ。それが実際の俺と乖離している事実は今更強調すべきことでもないが、だがこの問題の難しいところは、そんな等身大の俺を間近で見て知っているはずの人物でもその大方が畏怖を抱いたままでちっとも打ち解けてくれない点にある。や、それなりに仲良くはなっているはずなんだけどね……。
このリーナだって初対面のあの態度からすればぐっと親密になれていると言える。だけどやはりどこか、俺がどれだけ胸襟を開いてみせても通じ合えていない感覚がある……それが始原の魔女に向けた敬意の表れであることは見抜くまでもなくわかりきっている。だからこそ、こうして機会を見つけてはモロウとは違った意味での布教活動をしておかなくてはならないわけで。
「一応言っておくけど、リーナ。モロウは俺が義理人情で動いたように国民に思ってほしいようだから、この話は他言無用で頼むよ。聞かせるにしてもアルフまでに留めておいてくれ」
「かしこまりましたイデア様。確かに、これを知って驚かない者はいないでしょうね。決してこの口で触れ回ったりしないと約束させてください。……ですがならば、どうして私にはこのことを教えられたのでしょう?」
「国王と領主である以前に君とは友人のつもりでいる。だからまあ、友達にくらいは正しく俺を知っていてほしいってことだね」
「まあ……イデア様からそのように仰っていただけるなんて。恐縮の至りですわ」
破願するリーナ。その顔色は以前にも増して良くなっている。しばらく国外をメインに活動していたために彼女と会えていなかったのが今回の顔出しのもうひとつの理由でもあるのだけど、なんというか。もうすっかり薄幸の気配は消え失せているね。
人間、特に女性は気の持ちようで大きく変わるものだなぁ。第一印象より一回りは若返って見えるリーナを見て俺はつくづくそう実感する。うん、良いことだ。俺が顔と名前を認識している純粋な国民はリーナとアルフのたった二人だけなものだから、交友関係の中では貴重な存在でもある。二人から見た俺が即ち国民から見た俺であること、そこには一定の価値があるだろう。
他者と同様に畏怖はあれど、国民のように遠くもなければ臣下のように近くもない。そういう立ち位置だからこそどちらの視点も兼ね備えてよりフラットに国のしていること、王のしていることに素直な評価を下してくれるはずだ。俺が成り行き任せで大体のことを決めていると知ったリーナが多少覗かせた、呆れの感情。それこそが俺の欲していたものであるからして、この考えはおそらく間違っていない。
そういうリトマス紙のような扱いをしている、とは言わないほうがいいのだろうな。秘密を共有できたと嬉しそうにしているリーナを見ている限りは、きっと。
「オーリオ領まで聞こえてきた噂では、イデア様は東方全域を支配下に置くつもりでいるとのことでしたが、ではこれも?」
「ああ、真っ赤な嘘。そんなことはちっとも狙っちゃいないよ。……ただしこれに関しては嘘から出たまことになるかもな」
「というと?」
「『東方連書』……ほら、セストバルと接触を持つきっかけになったっていう古い条約のバージョンアップ版。あれの制定でどうもね」
他の国もこぞって反応しているんだよなー、えらくフレキシブルに。自国もそれに加え入れてくれってさ。『東方連書』というネーミングは新王国とセストバルとステイラ、この三ヵ国のみに留まらず将来的には別の国も同盟に迎え入れることを予定してのものであり、つまり早速の打診についても見越した通りのものだと言えなくもないが……しかしそれにしたって反応がちょっと早すぎないかとは思うね。
俺としては「お前たちが勝手に東方を代表するな」と──これと似たような話はいつでもどこででも起こっているものだし──文句のひとつやふたつでも飛んでくるんじゃないかと危惧していただけに、多国籍での会議という名の論争を挟まずして、条約制定からそう時間もかけず参入の結論に彼らが達したことを意外に思っている。
どうしてこうなったのかいつもの如くモロウ先生に解説をお願いすれば、これも結局は俺のせいらしい。
始原の魔女の実在に関しては既存国を乗っ取っての国興しで、そしてその実力が個人で一国を落とせるレベルであることはセストバル侵攻戦(あの国境での出来事を国際的にはこう呼ぶことになったらしい)で証明されている。新王国だけでも脅威的だというのに、そこに追従する国がふたつもできた。どちらも武力面では大したものではないが、その点は他の国においても大差がない。となれば、俺率いる東方同盟に慌てて頭を垂れようとするのも無理からぬこと、というよりそれ以外に選択の余地はないのだ。と、モロウは語っていた。
みんな耳が早いし判断も早いなぁと俺なんかは感嘆しきりだが、彼らからすれは冗談抜きで差し迫った国家存亡の危機だ。潜在的なものとはいえそれがいつ顕在化するかもわからない以上は──始原の魔女が次にどんな行動を起こすのか彼らの視点だと知れたものでないので──これくらい迅速に決断できなくては王など務まらないということなのだろう。同じく国を預かる身として感心してばかりでなく素直に見習うべきところかもしれない……まあ、見習ったとて政治面で俺にできることは何もないんだけど。下手に口を出しても良い結果に繋がるとはとても思えないので、お飾りに甘んじておくのが俺のためにも国のためにも吉である。南無南無。
「予定通りではあるから加入の申し出も基本、受け入れるつもりでいる。そうやって『東方連書』がこの地方の全ての国をカバーするようになれば、それは結果的に噂に違わず東方全域を支配下としたことになるんじゃないかな」
新王国と密に国交を行える距離か否かに関わらずあちらからもこちらからも声が上がっている現状、本当にそうなってもおかしくない。そう考えて肩をすくめた俺に、リーナはくすりと笑った。
「イデア様はあまり気が進まないご様子ですね?」
「これ以上責任が乗るのは遠慮したいところかな。新王国の中だけでならともかく、この同盟に加わったらどの国も俺に首根っこを掴まれている気になるだろうし……それで色々と判断を仰がれることになっても困るんだよね。決められっこないから」
「私からはご立派に責任ある立場を務めておいでに見えますが……」
本気で言っているのだろうか? 俺の目は疑わしげなものになっていただろう。それを受けてリーナは居住まいを正した。と言っても元から姿勢はよかったのだけど、明らかに意識して背筋を張って顎を引き、より厳粛な雰囲気を見せたのだ。
「冗談を言っているのではありません。私はイデア様ほど良き王を物語の中でも知り得ません。私とこの領を、そしてこの国を腐敗から掬い上げてくださったのはイデア新王なのです。国民にとって『王』とはイデア様お一人を指す言葉になりました。その支配下にいる幸福を他国も味わうというのであれば、それは何より素晴らしいことだと疑いようもなく信じられる程度には、始原の魔女様。あなたの民はあなたに対し深く信奉と感謝を捧げているのです」
つまり、と一拍の間を置いてリーナは民としての意見を述べた。
「この国だけでなく、東方全体の支配者としてイデア様が君臨なされることは私たちにとっても喜ばしいことだと言えます。始原の魔女の伝説は元より旧リルデン王国だけのものではありませんし、またイデア様が一国の王のみに収まる御方だとも思ってはおりませんから」
「ああ、そういう認識があるから侵攻戦の話と一緒に地方統一なんていう妙な噂までくっ付くようになったのか……」
「そういうことですわね」
にこりとリーナは笑んだ。活力を感じさせる笑みだ。それは痩せぎすだった以前とは違ってその身に生命力が満ち満ちている証拠であり、とりもなおさず彼女の生活が公私ともに順風満帆であることの象徴でもあった。
「順調そうだね」
「なんのことでしょうか?」
「お付き合い。移住者の中に良い人が見つかったんだろう? アルフから聞いているよ」
「なっ……!? い、いえっ! まだ彼とはそういった関係ではなく、その、知り合って日も浅いですし──」
「まだ、ね。どうなりたいか気持ちを明かしているようなものだな。……そのときはちゃんと知らせてくれよ? 結婚祝いを送るから」
「で、ですから私は……」
「いいからいいから」
頬を赤らめて慌てているリーナの様子はなかなかに可愛らしかった。そうでなくても極貧領主だったとは思えぬ気品を持ち合わせている彼女のこと、日々に余裕さえ持てれば婚約者候補の一人や二人くらい簡単に見繕えるというものだろう。
まだ何か言い訳のようなものを口にしているリーナを眺めながら、俺は彼女自慢の銘柄である例の紅茶を啜った……うむ。いつもより甘く感じるのは気のせいではなさそうだ。




