5.正面突破
セリアの予想時間よりも少し遅れて、馬車は目的地である王城の目と鼻の先に停まった。原因は道が混んでいたせいだ。
「活気があるな」
呼び止めたときと同じく丁寧に礼を言って馬車を行かせたセリアは、俺の言葉を聞いて頷いた。その動作には深い同意があった。
「貴族の粛清が終わり、街は上向きなのです。それで市井も活気づいているようです」
青い血の放蕩。その終幕の影響はまだ本格化していないが、少なからずとも既に市民には変化が表れている。行き交う人々の顔色を確かめながら俺は言った。
「道理で圧政に苦しんでいる顔付きには見えないわけだ。セリアの住まいも立派なものだったし」
「仮にも王都ですから、それなりに。ですが、整備の行き届いた区画と道をひとつ挟んでスラムが並んでいたりもするのですよ」
「スラムだって? 耳を疑うな。王城のお膝元にそんな場所が?」
「はい。悲しいことですが」
本当に悲しそうにそう言われては二の句もない。聞けばスラムは掃き溜めとして放置され続けてきた、まさに王都における王族・貴族の贅沢の割を食った犠牲者の終の棲家であるらしい。黄金のように煌びやかな生活の裏にある真っ黒な闇の象徴。
それが改善されない理由は明白だっていうのに、よく今まで革命の兆候が出てこなかったものだ。自身が肥えることしか考えていない豚のような上流階級も、圧政の長期安定化という暗君としての負の才能はあったということか。やれやれだな。
「十中八九と俺は言ったが、もしも一割か二割の可能性を引いたらどうする? つまり、手口がどんなものであるにせよ、モロウの目的が完全に君と一致していた場合のことだけど」
「それは……」
目にも声にも迷いがあった。そうであった場合、モロウが王たちに何をしたにせよ、自分はそれを咎めるべきか否か。良識と良い結果とは必ずしも両立できるものではない。しかし、それを迷うこと自体がセリアの善良さを物語っているとも言える──そしてそれは俺にとっても好ましい性質だ。
手段を択ばないことを常識としているような危険人物は、そうたくさんいられちゃ困る。具体的には。
俺一人だけでいい。
「ま、そいつは聞き出してから悩もうか。行こう」
「は、はい」
デンとそびえ立つ王城の正門へと歩を進める。後ろからおずおずとついてきたセリアは、恐る恐るといった調子で訊ねてきた。
「あの、どのようにしてモロウの下へ辿り着くおつもりなのでしょうか?」
「どうもこうも」
迷いなく答える。
「正面突破でしょ」
◇◇◇
セリア・バーンドゥは人生最大級の混乱の中にいた。
彼女は当初、王城に乗り込む手段を楽観視していた。つい数ヵ月前まで自分も勤めていた場所であるし、交渉の仕方さえ誤らなければ元同僚であるモロウへ取り次ぐための足掛かりくらいには役立てるだろう。あるいは、始原の魔女のことだ。自分には及びもつかない大魔法で全てをどうにかしてしまうのかもしれない。
といったような、ひどく恣意的な解釈を元にした楽観がどれだけ的外れであったかを、今セリアはひしひしと痛感させられていた。
なんの冗談かと思った「正面突破」の言に違わず堂々と正門から王城へと侵入を果たしたイデアが、押し寄せてきた兵士らをつまらなそうに相手取っている様を後ろから眺める。確かに目の前で起こっているその非現実的な光景、そしてイデアの荒唐無稽さにセリアは援護も忘れてただただ呆然としていた。
否、援護の必要などない。セリアの助けを頼りにしているような口振りだったイデアはしかし、単独で十分過ぎるほどに兵士を蹂躙し無力化させつつある。その戦いぶりたるや圧巻の一言だった。武器を手に迫りくる一人一人を弾き飛ばし、弓兵の射撃を止め、指の一振りで高所から叩き落とす。
この城の兵士の装備や練度はそう大したものではない。けれど王は自分の身を守ることに余念がなく、死兵と切って捨てられるほど価値のない者たちでもない。ただ塊になって襲ってくるだけの戦法には指揮官の不在が顕著に表れておりどうしたことかと疑問には思うものの、弾き飛ばされてもすぐに起き上がり突撃を繰り返す様子からは「なんとしても侵入者を排除する」という強い意思を感じる。
厳しく訓練を受けさせられている割には待遇面がいまいち見合っていなかった──それでも他から見れば『高給取り』の部類ではあるが──彼らにも不満はあったはず。なのにこれほど熱心に王を守ろうとするとはなんと見事な忠誠だろうか。巨大生物に何度蹴散らされても決して諦めない小動物たち。そんな健気な様を連想させる奮闘にセリアは思わず、自分の陣営がどちらであるのかも忘れて応援までしかけてしまった。
「ああ……なんだ。もう死んでいるのかこいつら」
呟きひとつ。しつこい兵士たちにうんざりしていることが背中だけでも一目瞭然であったイデアが口の中で何かを言ったかと思えば、次の瞬間には玉座の間へ続く華美なる正廊は吹き荒ぶ烈風に満たされた。暴風! 見えない腕を操るかの如くに兵士を千切っては投げていたイデアの魔法の正体は風を操る呪文のようだと初めてセリアは気付く。
全身を覆う物ではないとはいえ鎧を着込んだ大の男を軽々と浮かす風力は尋常ではない。それも何十人も繰り返し相手しつつ、定期的に発射される弓矢への対処も行うというのだから凄まじい。流石は始原の魔女といったところか、キャパシティの多寡が自分とは違いすぎる。
と、精々二重構築が限界のセリアはイデアの魔法的技量の高度さに舌を巻くが、あたかも荒れ狂う風の餌食となったかのようにその感嘆も遠くへ吹き飛んでいった。
耳を劈くような風の音はまるで幽鬼の絶叫のようだった。それが兵士を包み渦巻いた僅か数秒後には、そこにはもう何もなかった。兵士も、彼らの着ていた鎧も武器も、何もかも。血霞すらも消し飛ばした烈風が消え去ったとき、つい今し方まで廊下を埋めていた全てを道連れに消失していた。
呆気に取られているセリアと、ふんと鼻を鳴らしたイデアを除いて。
「まったく、無駄な時間を取らせてくれたな……しかし俺にしては加減がうまくいった。城は無事だ」
「こ──殺したのですか」
「殺した? いいや違うな……壊したんだ。正しく言えばな」
「壊した……」
「ああ、もう死んでいる連中は殺せないよ。生きているなら助けるつもりだったが、人形相手にとんだ徒労だった」
言葉の意味がセリアにはわからなかった。人形? 死んでいる? さっきまで彼らは確かに手に武器を取って戦っていた。他ならぬこのイデアとだ。
「だから、死体を動かしていたんだろう? モロウがさ。なかなかあくどい魔法じゃないか。けどこれで王様を動かせる秘密も明らかになったな」
「まさか、王も既に──? いえそれよりも、兵士が死体だったとはとても私には思えません。死んでいるのなら動くはずがない」
「動くはずがない。そういう常識を覆すものが魔法じゃないか」
「仮に……死体を自由自在に動かせる呪文があったとして。死んだ肉体はすぐに朽ちていくではないですか」
「それも魔法でどうにかすればいい。例えば頭の天辺から足のつま先までカチコチに凍らせればどうだ? それなら死体だってずっと持つ」
「氷漬けにするということですか? ですが凍り付いた肉体は固まってしまって、これも動かない」
「融通が利かないな」
「勿論です。魔法は超常を引き起こすもの。けれど決して万能の代物ではないのですから」
「なんだって?」
兵士の増援でも来ることを見越していたのか廊下の先を見据えたままだったイデアの視線が、そこでセリアへと向き直った。常に淡々としている魔女の瞳に初めて心からの不思議が宿っているようにセリアには見えた。
「万能の代物ではない? こんなことで君は魔法の力に見切りをつけるのか」
「も、申し訳ありません。始原の魔女様に私なんかが差し出がましいことを」
「イデアと呼べ。それより確認がしたい。エイドス魔法についてはどこまで知っている?」
始原の魔女ともなれば人より深く魔法に精通しており、翻ってその力を人より高く信奉しているはずだ。実際に彼女の類い稀な技量をこの目で確かめたばかり。それに相応する矜持も抱いていることは想像に難くなく、セリアは迂闊にも自分がそれを貶めてしまったのだと考えた。
が、しかし。イデアの問いからするとその推察はどうも誤りのようであった。今度はセリアが困惑する番だった。
「『エイドス魔法』……? いえ、初めて耳にするものです」
「なに……」
「す、すみません」
愕然とする彼女に不勉強を謝るセリアだったが、口に手を当てて何かを考え出したイデアにその言葉は届いていないようだった。それだけセリアの返答が予想外だったのだろうが、けれどすぐになんらかの結論には達したようで。
「そうか。信じ難いがそういうことなのか。そりゃアーデラが『賢者』なんて呼ばれるわけだ」
「あの、イデア様……ひょっとすれば、あなたには可能なのですか? 氷漬けになった死体をいくつも操り、こうして戦わせるようなことが……」
「どうだろうな。そんなことやりたいと思ったことがないからぶっつけじゃあ厳しいかもだけど……でも練習の時間さえもらえれば」
「──できる?」
「この程度の操作でいいならね」
なんということもなく肯定するイデアにセリアは背筋が寒くなった。
あれだけ高度な攻撃魔法の手腕を披露しておきながら、死体操作などという自らには寡聞にして知見にない魔法まで扱えると断言する始原の魔女を恐れたと同時、それと同様のものを身に着けているというモロウの強大さに思わず唾を飲む。
「じゃあ、玉座の間へ行こうか。そこにモロウもいるはずだ」
セリアの恐怖を知ってか知らずか、イデアはどこまでも軽い口調でそう言った。