49.もしも俺が
「それにしても改めて……大きくなったなぁノヴァは。赤ん坊だったのが嘘みたいだ」
「よく言うぜ。あんたのせいで三十年経ってもてんで身長が伸びやしねー」
「あはは、男子としては確かに気になるところか。でも魔法の修行に終わりはないんだ。それなりになろうと思ったら人より寿命が長くないとやってられないぞ?」
「あんたを追いかけられる時間がたっぷりあることには感謝してるさ……今んとこ追いつける気がしねーけどな」
「追いつけない、なんてことはないさ。現に身体強化だけならお前のほうが勝っている。俺の全てを上回ろうというのならもっと覚悟がいるし、定命じゃちっとも足りないだろうけれど……俺だってそうはさせじと奮闘するからね。ただ、追い抜くならともかく追いつくだけならそんなに難しいことじゃないよ」
ノヴァならきっとできる。と、俺がそう言えば彼は照れくさそうにした。
「もしも、さ」
「うん?」
「もしも俺が、いつの日かお師匠の横に並び立てるような男になったら──……」
なったら、なんだろうか。俺は黙って続きを待ったが、途中で言葉を止めたノヴァは一度口を閉ざして、言いかけたものを飲み込むようにして首を振った。
「なんでもねー。とにかく俺の目標は、あんたにも負けないくらいの魔法使いになることだ。賢者を目指したのはそのついででしかない」
「アーデラへの対抗心からじゃあなかったのか?」
「それもあるけど! ……でも一番はやっぱ、お師匠に認められたかったからだよ。だけどあんたは賢者のことなんかまるで知らないときた。じゃあ俺がそれに仲間入りする価値もないぜ。あーやめたやめた、人々を導く功績作りなんて馬鹿らしい。その間修行してたほうがずっとマシだ」
「ステイラ公国のことはどうするつもりだ?」
「どうするも何もあるかよ。魔減りしない武器も、それを使う兵隊もいなくなって、ついでに俺まで負けちまったんだぜ。こうなったからにはステイラがどうなるかはあんた次第だろ、お師匠」
魔減り、というのは魔化で込めた魔力が時間経過で劣化することの通称だ。上手く定着させたとしても魔減りを防ぐのは至難の業である。まずもって定着にすら苦労している段階の魔法使いには逆立ちしたって真似できない技術だ。十万点ものアイテムにそれだけ丁寧な魔化が施されているのには俺も素直に感心したものだが、ノヴァにとってもその作業は当然の如く大仕事であったらしい。それを台無しにしてしまったことを怒っているのかと思いきや、意外にもノヴァの口調はなんの未練も感じさせないさっぱりとしたものだった。
そして俺次第、という意見だが。これはまったくもってその通りかもしれない。形で言えば俺はセストバルとステイラのいざこざに首を突っ込んでいる部外者に他ならない。が、セストバルを守るため矢面に立っているのは俺一人であり、実質は俺とステイラがやり合っているも同然の状態だ。ここでノヴァが手を引くというのであればいくら血気盛んなステイラ公と言えど降伏以外の選択はないだろう。彼とジョシュアがどういう和解の仕方をするかとはまた別に、セストバルとしては、自国と同様にステイラもまたイデア新王国の下部へと置かれることを望むはずだ。
一転攻勢を仕掛けてステイラ公国を根絶やしにする、という決断でもしない限りは──もちろん温厚で良き王であるジョシュアはどう血迷ったとしてもそんな道を選ぶまい──俺の管理下にあるほうが安全で間違いがないからだ。なので二ヵ国間での取り決めはともかく公国自体の取り扱いは新王国に、というより俺に一任されるのが目に見えている。とくれば、だ。
「それならやっぱり、セストバルと同じ立ち位置になってもらおうかな。暗黙的属国だ。それで何をしてもらおうというわけでもないけど……」
まあ、降って湧いた支配権だ。その使い道が思い付かないからといって捨ててしまうにはあまりにもったいない。何せ対象が国だからねぇ。あるいはジョシュアとしては現ステイラ公の首だけでも獲って世代交代でもさせたほうが喜ぶかもしれないが、どうだろうな。彼の意を酌んで俺がそうしたとなればそっちはそっちで新しい遺恨ができてしまいそうだ。
「いいんじゃねーの。とりあえず目だけ付けておいて普段は放置でよ。他の国とのバランスまで取ろうと思ったら面倒だぜ、お師匠。そんなのはその国同士で勝手に解決させときゃいいんだよ」
「一理ある。でも他国に侵攻させようとしていたやつのアドバイスとは思えないな」
「それはそうする必要があったからそうしたんだよ。ステイラを大国にしたかったからな。それが叶わないなら仕方ないっつーか、今となっては本当にどうでもいいことだ」
「横暴だなぁ。俺に似てくれて嬉しいぞノヴァ」
「……俺はちっとも嬉しくねー」
ステイラに関してはそれでいいとして。俺としてはそっち以上に弟子の今後が気になるところだ。
「ノヴァはどうする? ステイラ公と一緒にこっちへ下るか? うちの城は優秀な人材を絶賛募集中だからな、お前なら大歓迎だ」
「はっ、冗談。宮廷勤めなんてもうこりごりだっての。それにお師匠よ、俺は巣立ちした身だぜ? なのにまたあんたの庇護下に入れってのか? そんな恥ずかしい真似をするはずがねーだろうがよ」
「恥ずかしいかな、それ? お前の姉弟子なら喜んで帰ってくる気がするけども」
「あれと一緒にすんなって」
憮然と半眼になって睨んでくる弟子に苦笑する。姉弟子、残念ながらお前は弟も同然の存在からこんな扱いを受けているぞ──なんて、どこかで誰かがくしゃみでもするようにと念じておくかね。
「そもそもあの子が昔のように甘えん坊とも限らないもんな。あれだけ独り立ちを渋っていたわりには一度も帰ってこないし、案外しばらく見ないうちに遅れた反抗期でもやってきたのかもしれない」
「いやそれはない。絶対にない。あいつがお師匠に反抗なんて天地がひっくり返ってもありえねーから」
「……そこまでか?」
そこまでだよ、とノヴァのきっぱりとした物言いには俺も返す言葉がない。まあ、記憶の中のあの子の印象は確かにそんな感じではあるものだから、余計にね。閑話休題。
「とにかく俺は新王国の一員にはならねー。……ま、いつかどうしても俺の力が必要だってなればそんときは手を貸してやってもいいけどよ。だけどできれば次に再会するのは、今度こそあんたに一泡吹かせられるだけの力を身に着けてからにしたいもんだぜ」
「ノヴァ……」
「へっ……またな。お師匠」
ちょっとした宣戦布告のような台詞を最後に、軽く鼻をこすったノヴァは俺に背を向けて、そのまま歩き出す。もう振り返らずに行ってしまうつもりだろう──俺はその背中に手を伸ばし、彼が来ている白シャツの襟を引っ掴んで止めた。
「ちょい待ち」
「ぐぇっ! な、何しやがる!?」
「ニヒルに去ろうとしているとこ悪いが、もう少しだけ付き合ってもらうぞ。お前がいてくれたほうがステイラ公に話を付けやすい」
「なんだよそんなの、俺がいなくたってあんたなら簡単だろ」
「変なスイッチが入ったらどうする。魔法で黙らせるのか? できるできないで言えばもちろんできるが、最善には程遠いよ。彼がヤケになる懸念をなくしておくのがベストだろう。……そしてそれはお前さえ説得の場にいてくれれば容易に達成できることだ、ノヴァ」
なんならノヴァの口から降伏を勧めさせれば一発だろう。全幅の信頼を寄せている者から明確な敗北宣言がされる。そうなれば送り出した兵士が一人も帰ってこないというある種現実感のない状況よりもずっと克明に、ステイラ公国がどれだけ追い詰められているかを理解できるはずだ。
「お前が始めたことでもあるんだ。ちゃんと終わらせてから次に行け」
「……わーったよ。俺から言えばいいんだろ」
不承不承、といった感じでノヴァは頷いた。これは付き合うのが面倒というよりも、ステイラ公に自分の負けを伝えるのがちょっと恥ずかしいんだろうな。ノヴァらしいことだと微笑ましくなるが、言うまでもなく、それを聞かされるステイラ公にとっては絶望の報せもいいところである。
「じゃあ早速行くぞ。何か目印になるものはあるか?」
「あんたと違って転移なんかできねーんだからそんなもの用意してないっての」
「そっか。なら仕方ない、飛んでいこう」
「俺飛行苦手なんだけどなー」
「お前、どうやってステイラからここまで来たんだ?」
「走ったに決まってるだろ。ウォーミングアップも兼ねてよ」
うーんこの……いや、あえて何も言うまい。弟子が三人ともちょっと変人であるというのは昔から承知していたことだ。
◇◇◇
航空法とか制空権のなんやかやで飛行には制限がかかっていると思っていたのも今は昔、そんなものは影も形もなく、単に一般的な魔法使いは空を飛べないだけだと判明しているからには弟子と仲良く遊覧飛行と洒落込むことに躊躇などなかった。や、目的地が定まっているただの移動なのだから遊覧でもなんでもないけれど。だけど手を繋いで飛翔する俺たちの姿は大空で遊んでいるようにしか見えないだろう。生憎と空で誰かと鉢合わせすることもなかったので、この仲睦まじい様を自慢することはできなかったのだが。
ちなみに手を繋いだ理由は俺が引っ張ってノヴァを安定させることにある。牽引車のようなものだ。そうやって国を跨ぎ、ステイラ公がいる部屋の窓を二人でノックしてお邪魔させてもらった俺たちは、呆然としている彼に事情説明と降伏勧告を行った。野心家かつ武闘派だというさしもの公もこれでは抗う気も湧かなかったようで、あっさりと陥落した。──これにてノヴァの介入と入れ知恵で引き起こされたセストバル王国の危機は無事終幕と相成ったのであった。そういうことにしておこう。




