48.可愛いよ
もぞりと身じろぐ体。目覚めの気配を感じ取った俺が顔を覗き込めば、やはりその瞼はゆっくりと開いて。
「お師匠様……?」
「おはよう、ノヴァ」
「おはよう……」
寝ぼけているのか、態度が少し幼い。昔を懐かしむ気持ちで髪を撫でてやればノヴァは嬉しそうにする。ぐりぐりと押し付けるように頭を動かして──そして押し付けているのが俺の太ももであると気付き、それからさっきまで何をしていたのかも思い出したんだろう。いきなり表情を硬直させたかと思えば、みるみるうちに真っ赤になっていった。残念だ、意識だけのタイムスリップから帰ってきてしまったらしい。
「なっ、何してんだよ!?」
「何って……見ての通りの膝枕だよ。ほら、もうちょっと横になっておきな」
起き上がろうとしたところを強引にまた寝かせる。ノヴァは抵抗しなかった。顔だけは恥ずかしそうだが、本当に嫌なら俺の手なんか振り払ってしまえばいい。そうしないということは、そういうことなんだろう。なんだかんだまだ甘えたがりのようだ。
再び横たわりはしたがノヴァの目はばっちり冴えているようで、眠り直す必要はなさそうだった。俺が誘発させた魔力酔いの症状は完治したものと見ていいだろう。
魔力に酔う──一般的な言い方だと魔力酩酊になるのか──というのは扱える以上の魔力を操作しようとすることで起こるもので、未熟な魔法使いが陥りがちな代表的な失敗例のひとつだ。短時間に魔素の吸収・変換を何度も繰り返したり、あまりにも多量の魔力を一度に操ろうとすると、容量の小さい者はあっという間にダウンする。魔力とは呼んで字の如く魔の力。それそのものに特別な力があるのだ。精神力を消耗させながらそれを自身の支配下に置くというのだから、その行為に負担がかからないわけがない。
もちろんキャパシティは人によって異なるし、三半規管よろしく鍛えることもできるので、それぞれ魔力酔いが起こるラインは違う場所に引かれている。それを踏まえるに、エイドスの魔力を使用できるノヴァのラインは他の魔法使いと比べて相当高い位置にあるだろう。仮に今も戦いが続いていたとしても彼が容量限界でダウンすることはなかったはずだ。空きを埋めるべく魔力を注いだ感覚で俺にはそれがわかる。
はい、お察しの通り。本来ならオーバーしないはずの彼のキャパを俺が無理矢理超過させたということだ。しかも俺がやるとただの魔力酔いに留まらず、麻痺というか石化というか、そういったものに近い状態になるんだよね。と言っても俺以外に他者に魔力そのものをぶち込める奴をお目にかかったことがない(※人間以外ならある)ので、他の魔法使いでも同じことをして同じことが起こるか否かの判別はつかないけれども。
「気分はどうだ?」
「……悪くねーよ」
念のために確かめてみれば、ふてくされたような返事をされた。あらら、ひと暴れさせても反抗期は継続中か。まあ多少ぶっきらぼうなくらい全然いいんだけどさ。
「そのままでいいから俺の質問に答えてくれ」
「ふん。いいぜ、俺は負けたんだからな。今度はこっちがなんだって答える番だ」
「じゃあまず、ステイラ公国に手を貸していた理由が知りたいな。賢者を目指すことと何か関係があるのか、それは?」
「あるからやってるに決まってるだろーよ、お師匠。賢者ってのはな、英知で人々を導く者なんだと」
「ほう? それが賢者になる条件なのか」
「ああ、魔女と人々を結びつけるのもそれ関連だ。要するにバランサーだな。お師匠は知らねーだろうから教えといてやるが、中央賢者ってのが主催する『魔女会談』がある」
「なにそれ」
「やっぱな。伝説の魔女たちが何年かに一度集まって話し合う場だよ。どういう話題が出て何を決めてるのかはさっぱりだが、お師匠。あんたはそれに毎度欠席してることになってるらしいぜ」
「いや、そもそも呼ばれてないんだけど……」
「そうなのか? 今まで一度も? へー……まああんたからそんな話を聞いた覚えもなかったし納得と言えば納得だな。で、だ。魔女一人につき賢者も一人。専属っつーか直下っつーか、お付きになってるんだよ。中央賢者だけは完全中立で特定の魔女の下にはいないみたいだがな」
「そいつ以外の魔女と賢者はワンセットになっているってことか……ん、じゃあまさか?」
「ああ、そのまさかだぜ。あんたにも専属の賢者がいる。そして何を隠そうそれこそが、他ならぬあんたの一番弟子。アーデラだってわけさ」
ノヴァが言うには会談に一回も顔を出したことがないまま俺の席だけが置かれているのは、アーデラが何かしら手を回している結果だろうとのことだった。当人である俺が与り知らぬことであるからして、必然的にそうなっちゃうよね。そもそも『始原の魔女』の名付け親もあいつっぽい節があるし……俺の名を自分のいいように使いでもしているのか、それともそれ自体は目的ではないのか。どちらにしろいったい何がしたいのやらさっぱりだな。
「ノヴァはどう思う?」
「アーデラが何を考えてるかなんて知らねーよ、まだ直接会ったこともないんだから」
「でも賢者を目指したのはあいつに触発されたからなんだろう?」
「それは……まあ、そうだけどよ」
ちょっと言い辛そうにしてから、ノヴァは大きくため息をついて諦めたように話し始めた。
「俺もあんたと同じように疑ったんだよ。お師匠が出不精なのをいいことに、アーデラはこれでもかと虎の威を利用してるんだろうってな。だから成り代わってやろうって考えた。俺のほうがお師匠の専属に相応しいことを証明するためには、まず賢者として他の賢者たちに認められなきゃ始まらない。認められるには大きな功績が必要だ。中央賢者がかつて帝国を育てたみたいに、俺もそれに匹敵する偉業を成し遂げなくちゃならない。それで目を付けたのがステイラ公国さ。戦後のどさくさで初代が損をしたのは事実のようだったし、近場のセストバルもリルデンも武力のぶの字もない弱小国だろ? 余裕でステイラを東方一の国にできると思ったんだ。まずセストバルさえ支配下におければそれは決して夢物語じゃあなかった……だってのに、そこにあんたがふらっと出てきた」
「あー」
「たまげたぜ。十何年とかけてステイラをここらじゃ考えられないほどの軍事国家に育て上げたっていうのに、躍進の第一歩目で石に躓くどころか、あんたっていう大岩に潰されちまったんだから。始原の魔女が国を乗っ取ったなんて話を聞いたときはなんの冗談だよと笑い飛ばしもしたんだがな……俺の知ってるお師匠ならそんなこと絶対にしねーからよ。だけどあんたは本物だったし、まるで図ったように俺の邪魔をしてきた」
「だから、知らないところで実は俺とアーデラが繋がっていて、自分は蔑ろにされていると誤解したのか」
「……本当に誤解なんだろうな? 仮にアーデラのやってることを知らなかったとしても、好き放題してるあいつをあんたが放任してることに変わりはねーし……それにわかってるんだぜ、俺も姉弟子も。俺たちよりアーデラのほうがよっぽど才能があるってこと」
「なんで実際に会ったこともないのにそんな──」
「態度でわかるんだよ、そんくらい! あんた才能のある奴が好きだもんな。だったら弟子を比べたとき、あんたが一番愛するのは間違いなくアーデラだろ。いつも向けられる比較の目に気付かないとでも思ったかよ? だから俺たちはずっと不安だったんだ、いつの日かいきなりあんたに見放されるんじゃないかって……っ!?」
ノヴァが黙ったのは、喋ることができなくなったからだ。俺が口を塞いだ。こちらも口を使って──つまりはキスをすることで黙らせた。逆さまで互いの唇が重なって、数秒。そっと顔を離せば案の定、紅く光って見えそうなくらいノヴァの顔は火照っていた。
「ふふ……どうした、呆けた顔をして。前はよくやっていたじゃないか」
「ま、前って……俺がうんとガキだった頃だろ……!」
「そうだ。お前が今よりずっと小さくて、夜に必ず泣いていたとき。こうしてやると安心してくれただろ?」
「…………」
「俺はお前が可愛いよ、ノヴァ。愛しい弟子だ。なんなら息子のようにも思っている。そりゃあ、仮にも師匠だ。お前たちの魔法使いとしての出来の良し悪しを比べることもするさ。でもそれだけで決めたりするもんか。覚えの悪い子ほどなんとやらっていうのは、案外本当なんだぜ? アーデラよりもよっぽどお前や姉弟子を可愛がった自負が俺にはある。だからさ……」
もう一度髪を撫でる。手触りのいいノヴァの銀髪は抵抗もなく指の間を流れていく。心地良い感触だ。それに近いものをノヴァも味わっているだろう。もう彼は恥ずかしそうにしていない。ただじっと俺の目を見返している。
「僻むことはない、妬むこともない。お前はお前。アーデラはアーデラだ。どっちも俺にとっては大切な弟子で、そこに優劣なんてないし、つけないよ。そもそもどうでもいい奴の面倒なんか見て、おやすみのキスまですると思うか? ノヴァ。お前の知る俺はそんなにも博愛主義者か?」
「………」
無言で首を横に動かした彼に、俺は「そうだろう」と笑う。
「俺はごりごりの差別主義者だ。価値を感じられるかどうか。まずそこをクリアしてくれないことには大切になんてできやしない。そしてそこさえクリアしてくれればいくらでも他より大切に扱える……まあ、お前たち三弟子はその中でもさらに特別だけどな」
信じてくれるか、と。そう問えば、ノヴァはしっかりと頷いてくれた。──よかった。末っ子に勘違いされたままじゃあ俺もやるせないからな。
「ありがとう」
そう感謝を伝えると、ぐっとノヴァは口を引き結んだ。それからふいと目を逸らし、やはりぶっきらぼうなままの口調で言った。
「べ、別に……俺が恥ずい勘違いしてただけみてーだし。礼なんかしなくていいよ。それよか撫でんな」
「そうかそうか。ノヴァは優しいな」
「なんでそうなる。てか撫でんなって言ってんだからやめろよ!」
「やだ」
「あぁ!?」
「お前の反応が面白いからやめない」
「~~っ!? あんたって人はこれだから……!」
なんて口では言いつつ俺の手を止めようともしなければ起き上がろうともしないノヴァだった。まったく本当に可愛いやつだよ、こいつは。




