44.末弟ノヴァ
首を洗って待てというからにはもうしばらく待たされるものかと思ったが、翌日には動きがあった。王城にまで届く、しかし俺にしかわからないその合図を受けて──カメラのフラッシュのような一瞬の魔力反応だ──ジョシュアに一言だけ添えて出る。城下市内を少し歩き、発信されたと思わしき場所へと足を運ぶ。そこは神殿跡地であった。
まだここら辺が様々な国の小競り合いが絶えない戦国さながらだった時代に建てられた、つまりは国家の創立期からこの地を見守っている古い遺跡である。大昔はここで神への祈りを兼ねた祭事なんかが執り行われていて、それはまだ王家のなかった頃においては政と同義であったという。神託頼みで民族の行く末を決めるとはなんとも、現代の感覚だとちょっとついていけないものがあるが、当時はそれがスタンダートだったんだろうな。その祖先の在り方に敬意を払い、単純に歴史的な文化遺産としても貴重極まりない物を残す意味でもここは保護区に指定されている。
戦争待ちで暇を持て余していた俺のために城の人間が軽く城下街を案内してくれた際に聞かされた観光ガイドの中身を思い出しつつ、今はもう馬鹿でかい柱しか残っていないその神殿跡地を散策する。するとあっさり、柱以外にも立っているものが見つかった。呼び出した側なのだから当然だが、向こうも取り立てて隠れんぼに興じる気なんてなかったようだ。
「やあ、ノヴァ。久しぶりだな」
俺の三番目の弟子、ノヴァ。日光に照らされた輝かしい銀髪を揺らしながら、彼は挨拶も返さずに開口一番に文句をつけてきた。
「遅いんじゃないか、お師匠。呼んだらすぐに来てくれよ」
腰に手を当てて告げられたそのあんまりな不満に、俺は肩をすくめた。
「これでも急いだつもりだよ。というかここに来るだけなら魔力目掛けて転移することだってできたんだ。お前のためにそれを遠慮したんだから、どっちかと言うと感謝を聞きたいところなんだけどな」
この手で育てた弟子の魔力だ、自前のものじゃなくても感じ取れるくらいの距離なら目印にもできる。ただし昔、いきなり傍に現れるのをノヴァが本気で嫌がったのでそれ以来やらないようにしているのだ。まあその、言いにくいが。それが年頃なら誰でもすることで、しかし年頃だからこそしていると人に知られたくないアレに励んでいる場面だったもので……顔を真っ赤にして涙ながらに怒鳴られたのには俺もなんだかショックを受けてしまった。だからこうして徒歩でやってきたのだが。
「ちっ!」
と、ノヴァは激しく舌を打った。俺と同じくあの日のことを連想してしまったのだろう。鼻のあたりを赤く羞恥に染めつつ彼は話を変えた。
「まあいい、無視しなかっただけ上等だと思っておいてやる。それよりもだ、お師匠。質問に答えてもらうぜ」
「いいよ。なんでも答えようじゃないか」
「聞きたいことはたったひとつだ。──そんなにアーデラが可愛いかよ?」
「……うん?」
これはまた……予想の斜め上の質問が来たな。俺がどうしてセストバルに味方しているのか、とか。なんでいきなり国なんて立ち上げているんだ、とか。てっきりそういうことを訊かれるものだとばかり思っていたのでちょっとすぐには呑み込めず反応が遅れた。
そんな俺をどう思ったか、多少背は伸びていてもほぼ記憶にあるままのノヴァは、そのせっかくの愛らしい顔立ちを憎々しげに歪めて言った。
「前々から思っていたことだがよ、やっぱり一番弟子は特別らしいな。末弟の俺よりも、姉弟子よりも。あんたにとって本当の弟子はアーデラだけなんだ! いくら聞きたがってもそいつのことを教えてくれなかったのはそういうことなんじゃないか? あんたはそもそも俺になんてなんの期待もしていなかったから、だからこうして邪魔をするんだろ!? アーデラと同じ『賢者』になんてさせないために……!」
「…………」
──いや待って待って。ぜんぜん意味がわからん。
確かに最初の弟子について、どんなやつだったのか教えてくれとせがまれた覚えはある。そしてその要求についぞ応じなかったことも覚えているが、それはノヴァとアーデラに直接の面識がないことを幸いに、ダメな見本を見習ってほしくないとの思いからそうしたのだ。実力面ではともかく、弟子としてはとんでもなくクソ生意気な問題児だったからねあいつ。
無邪気だったノヴァにそれを明かしたらそっちのほうがかっこいいだとか、師匠を敬うのは恥ずかしいことなんじゃないかという良くない考えを持ってしまいそうな気がして、だからアーデラの話題は断じて禁止していたのだ。もちろん二番目の弟子についてもそれは同じである。まあそもそも、あの子はまずもって他の弟子の評価なんて聞きたがりもしなかったのだが。
ともかく。ノヴァが謎にアーデラへ嫉妬していることはわかった。そしてそれが賢者云々で余計に肥大化していることも、なんとなくわかったぞ。
セリアから聞いた話だと『賢者』というのはそういった職業があるわけじゃなく、魔法使いとして史上においても図抜けた優秀さを持ち、そしてそれより更に上にある『伝説』と人々を繋ぐ存在に対する敬称であるのだとか。
正直これもよくわからないしアーデラが賢者だということで熱心に知ろうという気も失せたのだが、とにかくだ。幾人かいるという──不肖ながらこの俺もその一員だが──生ける御伽噺の住人たる伝説の魔女たちと、それ以外。その中間にすっぽりと収まる言わば半伝説が賢者であるらしい。ここ東方以外の地にはそこに君臨する魔女の言葉を人々へ伝えるメッセンジャー的役割の賢者もいるとか。中間管理職かな? なんにせよそんなポジションはアーデラのイメージに合わないし、ついでに言わせてもらうとノヴァのイメージにも合わない。
けれどアーデラは世に知られた賢者のようで、何より『始原の魔女』の名を広めた立役者でもある。その立場にいるのにも何かしら目的があるのだろうとは察せられる上、アーデラに対抗心を燃やしているらしきノヴァがならば自分もと賢者を目指すのも頷けはするかな……具体的にどうやったらなれるのかは知らないけどさ。
で、ノヴァの考えとしては。巣立ってからもアーデラは俺とこっそり仲良しこよしで、だから賢者にもなっていて、俺はアーデラ以外の二人の弟子のことは本当は可愛がっていないと。その証拠として、賢者を目指す過程で何故かステイラ公国の足長おじさんとなっていた彼は、その活動を他ならぬ俺に邪魔されたと。これで疑惑が確信に変わり、ご覧の通り怒髪天であると。
……なんということでしょう。誤解が誤解を生んでいるではありませんか。
「なんとか言ったらどうなんだよ、お師匠! 反論しないなら図星だってことでいいんだな!?」
「うーん……」
ノヴァのアクセル全開な勘違いはともかく、これのどこまでがアーデラの思惑通りなのかが気になるところだ。
最初はモロウがエイドス魔法を使えることを知り、その元凶が俺だと当たりをつけた上で──あるいは単に丸投げただけかもだが──セリアを誘導したのかと思っていたんだが。その近隣の国で弟弟子であるノヴァが暗躍していたとなるともう少し入り組むというか、怪しくなってくる。さすがにここまでの過程の全てが掌上ではないだろうが、最終的にこうなることはあいつの狙い通りなのではないか? と、そういう風にも思えるわけだ。
つまり俺にノヴァを邪魔する意思はなくても、アーデラのほうにはあったんじゃないかということだ。だとするならそれに気付かずまんまとノヴァを怒らせてしまったこの状況……誤解を解くのはすごく難しいぞ。だってノヴァからするとどう見たってアーデラと結託しているとしか考えられないだろうし。
そして悪魔の証明にも通じるもので、俺がアーデラを依怙贔屓していないという証拠を提示するのは不可能に近い。一発でノヴァが落ち着いてくれるような魔法のアイテムでもあればよかったのだが、それこそ魔法を使ったところでそんなものは用意できそうにもなく。
──ノヴァは俺の弟子だ。アーデラほど覚えはよくなかったけれど、それでもエイドス魔法を使えるのだからそこらの魔法使いとは比べ物にならない。マニに使ったような意識の狭小化も彼には通用しないので……うん、だったら仕方ない。こうしよう。
「どう答えたところで意味はなさそうだから、一旦保留させてもらう」
「あぁ!? ふざけてんのか!」
「こらこら、口が悪すぎるぞノヴァ。そして俺からも質問だ。俺をここに呼び出した理由はなんだ?」
聞きながら、収納空間から例の手紙を取り出してひらひらと揺らす。
「魔力文字。昔より上手になったな」
「…………」
せっかく褒めてやってもノヴァはむっつりと黙るだけだった。薄く魔力を付着させて一般人には見えない文字を書くという、魔力風を操るのと同じくちょっとした隠し芸のようなものだが。けっこう繊細なテクニックがいるので魔力操作の練習としては悪くないものだ。そしてここに浮かぶ『くそったれ師匠へ』という文字はただの魔力ではなく、エイドスの魔力が使われているのもポイントである。
「高次魔力で書かれた俺にだけ伝わるメッセージ。それにこの過激な文章。初心だったノヴァも人の口説き方ってものを覚えたか。こんな人気のない場所に女を呼び出してどうするつもりなんだ? ん?」
「けっ……今更女ぶるなよな、お師匠。気持ちが悪いんだよ」
「よりにもよってお前がそれを言うのか? だって昔は俺のことを──」
「昔のことはもういいだろ!」
また鼻を中心にノヴァの顔がかっと赤くなる。肌が白いせいで照れると傍目にもわかるくらい目立つのだ。そういうところも変わっていないなとほっこりする。だが俺にとっては良き思い出でも、ノヴァ当人にとっては掘り起こされたくない黒歴史だったようで。
「肝心なのは今だ、そうだろお師匠。どうして呼び出したか知りたいって? なら教えてやるよ──今こそ『師匠超え』のときだ。俺はその覚悟でここにいる。そうさつまり……この手で伝説を打ち倒す! そう決めたってことだよ!」
「……!」
吹き荒れる魔力。とめどない高次魔力の奔流は以前にモロウが見せたそれとはまるでレベルの違うものだ。その脅威をひしひしと肌で感じながら──それでいい、と俺は笑う。
可愛い弟子が苛立ちで欲求不満である。ならば師匠として、彼がスッキリできるよう心行くまで付き合ってやろうではないか。元より俺もそのつもりで誘いに乗ったのだしな。




