42.人体実験
新入り予定の二人とセストバル王国。話しておくべきふたつの事柄について報告と認識の擦り合わせが終わって、書類のいくつかに目を通して、手の止まらないモロウとダンバスを前にちょっとティーブレイクさせてもらって、そこでもうひとつ用件があったのを思い出した。「あ」という俺の小さな呟きを聞き漏らさずこちらを向いた彼らに、邪魔をして申し訳ないと思いつつも訊ねる。
「また持っていこうと思うんだけど。何人ぐらいいる?」
主語を省いたその問いに、けれどモロウはすぐに理解を示して答えた。
「下には四名がおります」
「四か」
「やはり少ないでしょうか」
「いや、いいんだ。供給があるだけありがたいよ」
もう運んでいいのか、と訊くと「いつでもお好きなときに」と返ってきたので黒葉の紅茶(いや黒茶だな)を飲み干し、差し入れに持ってきた追加の黒葉をダンバスに渡してから地下に向かう。
俺を迎えたのは囚人たち。収容されてからそれなりに経っているのかげっそりとしているな。食事も水も健康を害さない最低限度に絞られているので太りようはないのだが、それ以上に、蝋燭の頼りない灯りしかないこの場所のさもしい空気感こそが彼らをより参らせているんだろう。平気な奴はこういうところに何日閉じ込められてもピンピンしているものだが、いくら死罪相当の凶悪犯でもその大半にとって、牢獄でただ時間ばかりが過ぎていく状況はさすがに辛いか。
ぼそぼそと隣の牢同士で話していた二人が俺に気付く。そのお喋りの中断に合わせて残りの囚人らもこちらを見て何か言いかけた、ところで跳ばす。興味なし。自宅地下の拘束台へ即ご案内だ。
にしても、四人ね。二ヵ月ほど空けてこれか。一遍に十人も捕まったのはよほど珍しかったのだな、と今になって実感する。あれから補充しに来るのはこれで三度目だが、その度に捕獲されている死刑囚の数は減っている。これもモロウが概算した以上のペースで治安が良くなっていっている証拠。それも王都の内外問わず、国の全土においてだ。王としては喜ぶべきことだがしかし、せっかくの自動供給される素材の数が落ちてしまうのはね……はりきって装置を増やしただけに残念というか悲しいというか。いや、いいんだけどさ。今のところ途切れていないだけ上々だとも言えるし。
囚人らのあとを追って俺も自宅へ跳ぶ。そして先に待機させておいたマニへ切り落としを命じた。久しぶりの作業に腕も鈍っているんじゃないかと思えば全然そんなことはなく。俺の前でだけ特大のデバフがかかるという呪いを克服した彼女の手際は素晴らしく、すぱぱぱぱんと合計十六個の手足を落としていった。もちろん俺があげたノコギリを使ってだ。
聞けば昨日の一件でもこのワンダーバトンで敵をお片付けしたようで、プレゼントした甲斐があったと俺はほくほくである。何より命のやり取りを経て生還できているという点が良い。俺の調整は珍しくも上手くいったようだと確信が持てる。そこは喜びよりも安心が強いけれども。
「いいぞマニ。次は装置に繋いでみようか」
「はい」
止血だけした囚人らを俺の言う通りに培養槽へ突っ込んでいくマニ。その手付きはやや粗いながらもてきぱきしている。これなら俺が監督しなくてもマニだけで設置の全てを終えられそうだな……と言っても供給装置のほうは俺でないと稼働できないので、本当にただ設置するだけになってしまうが。まあその準備を終わらせておいてくれるなら少しだけ楽できるしいいんじゃないかしら。
「スイッチオン、と」
意識は奪わず、感覚もそのままに。自分がどういう状況に置かれているのかしっかりと理解させた上でエイドスの魔力に浸し、少しずつ作り替わっていってもらう。
仮死状態で行なっていたのが上手くいかない原因なのではないかと仮定して始めたこの形式での実験だが、結論から言うと。残念ながらこれもまた失敗続きである。十や二十の事例で本当に失敗だと諦めてしまうのは愚かなことなので、こうして根拠集めとあわよくば反証が出てこないかと続けている最中ではあるが。たぶんいくらやってもダメだろうな、という思いと共に、新たにひとつの仮説が見えてきているところだ。
仮説とはつまり、どうしてモロウには定着したのか。
そしてどうしてその再現ができないかの理由となるものである。
思うにやはり、本人の意思は大切だ。自己意識と言ってもいい。自らが何者かという認識を持っていることが定着を促す一要素だと俺は考えている。だから非生物には高次魔力でも魔化が行なえるのに対し、生物には──とりわけ自我の強い人間にはそれが上手くいかないんじゃないか、という推理だ。ん、逆じゃないかって? そうなのだ、そこがややこしいところでさ。
自我は生き物が高次魔力を取り込み、エイドス化を果たす上で欠かせないものでありながら同時に、それを阻害する要因にもなっている。というのが、モロウも含めたここ二十年ぶんと、それ以前からの様々な研究の結果を鑑みての結論だった。
現状俺しか果たしていない理想世界の住人化。あちらに生まれた俺は当初からこの、前世の俺とは似ても似つかない姿にはなっていたものの。それでも確かに『普通』ではあったはずなのだ。セリアとかとなんら変わらない、ただの人間という意味の普通ね。
それが今やこうなっている。からには当然、他もそうなれるに違いないのだ。
俺の長年の望みを果たす第一歩として人間のエイドス化はやはりどうしても実現させたい……というよりこれができないとちょっと手詰まりで困ってしまう。だから焦ってはいないが、実験を止めることはしたくないわけで。
そのための材料として消費される彼らからすると冗談じゃないとご立腹かもしれないが、これも巡り合わせだ。価値のないもの、もとい、失敗前提の実験材料ぐらいにしか使い道のないものとして俺の前に現れてしまったのが運の尽き。こうなる運命だったのだと潔く諦めて、どうか高次魔力を受け入れて生き残ることのみに専念してほしい。それぐらいで成功するならこんなにも苦労してないけどさ。
そういえば、政務室を去る際に。セリアに訊ねたのと似たような質問をモロウとダンバスにもしたのだった。死刑囚を何に使っているのか気にならないのか? とね。
セリアは彼女自身からその用途を伺ってきたが、彼らに関しては一切そういった素振りを見せない。まだ訪れたことのない我が家で囚人らがどんな目に遭っているのか彼らも少しくらいは察しがついているだろうに、まったく無関心かのようなその態度を疑問に思っての問いだったのだけど、これにはダンバスが穏やかにこう答えた。
「どうであれ極刑となる者たちですからな。野放しにでもならない限りはどのような目に遭っていようとワシらの関与するところではないでしょう。それに、過去には魔法界隈でもその解明と研鑽のために人体実験が繰り返されてきたのです。今でこそ人道の観念から途絶えて久しい悪習とされておりますが、言うまでもなく、それはワシら凡夫が勝手に始めて勝手に終えたこと。今が魔法の発展期であると信じているワシらですが、創成期よりおられる──どころか創始者のお一人とされる『始原の魔女』様が行うあらゆる魔法的実験やその過程において、なんら口を出す権利などありませんな」
どうぞ思うがままに、と微笑みながら告げたダンバスと然り然りと頷くモロウに少しばかり呆れつつも、俺は礼を言って部屋を出た。この妄信具合に傾倒具合。むず痒くはあるが、セリアとはまた違った意味でいてくれると助かる二人だ。ちょっと引いてしまうくらいに仕事ができるしね。
しかし、魔法の創始者ね……そういえばそんな風に思われているんだっけ、俺? 完全に嘘っぱちだけどね、それ。
人々が使う通常魔法は俺が開発したわけじゃないし、そもそもこの実存世界に落ちてきた時点で魔法を使う奴はいたし。人間ではなかったけどさ。……うん? 人間に魔法が伝わった切っ掛けがあの時期の俺の行動にあるとすれば、あながち創始者というのも間違いではないのかな。人間目線ではそう称してもおかしくないかもしれない。
いやまあ、そうだとしてもそれを殊更に誇ろうとは思わないけども。つい最近までエイドス魔法が広まってないってことすら知らなかったくらいだし。魔法の腕前はともかく、一般的な知識の量からするとおのぼりさんもいいところなのだ、俺は。それもまた殊更に触れ回るつもりはないけれど。恥ずかしいし。
ともかくやる気は出るね。モロウもダンバスも見咎めも口出しもしてこないし、俺が取り組んでいる何かを間違いなく成功させるだろうと信じてくれてもいる。となれば、暗に実験を助けてくれている彼らのためにも頑張ろうという気持ちになる。
言ったように気持ちひとつで上向くほど簡単なものではないけれど、だが原動力は大事だ。いくらでもある時間にかまけて今ひとつ身が入っていない感もあったが、今日からはもう少し俺自身熱心になって実験に挑んでみようと思う。……とはいえ、今すぐにできることはもうないが。ひとまずは新しく繋いだこれらが想定通りに廃棄されるか、あるいは万が一以下の確率を引き当てて新発見となってくれるか。その結果が出るまではただ待つことしかできない。
「じゃあ、俺はまた出てくるよ。何かあったら呼んでくれ」
「はい。……行ってらっしゃいませ」
新調した手袋に覆われた右手と何もつけていない左手を腰の位置で重ね頭を下げるマニに見送られ、転移。すっかり過ごし慣れたセストバル王城の貴賓室に戻ってきたのだった。……居心地は悪くないが、いい加減待つだけなのも退屈だ。なんでもいいから早くアクションを起こしてくれないかなー、ステイラ公国。
なんて思った俺の願いは天に届いたのか、すぐに叶えられることになる。




