4.馬車は王城へ
いざ行かん、と転移した先で視界に飛び込んできたのは女体だった。女体の、裸体だった。
「なっ、な……な?」
ぱくぱくと口を動かすセリア。最初は俺と一緒で状況の把握に苦労していたようだが、やがて自分が全裸を見られていることに気が付いたらしい。その顔はすぐに真っ赤になった。
「すまん、まさか入浴中とは思わなかった。つかぬ疑問なんだけど……なんでトーテムを持ったまま風呂に入る?」
「あ、あなたが持っていろと言ったからです! 肌身離さずと!」
いいから出ていってください! と怒られる。必死に体を隠しながらそんなことを言われてしまっては謝罪を繰り返しつつ退去するしかない。……一応、今の性別は女なんだけどな。まあ相手が誰であれ一方的に生まれたままの姿を見られるのは気持ちのいいことではないか。
投げつけられたトーテムを懐に仕舞いつつ(温かかった)、浴室の外へ。そこは洗面台を挟んですぐベッドルームだった。狭いな。でも、生活面で不自由することはなさそうだ。他にも部屋はあるんだろうか? 本棚にぎっしりと詰め込まれている安っぽい紙束を取り出して見てみようとしたところで、セリアが出てきた。
早っ。と思って振り返ると彼女はバスタオルを体に巻いているだけで、髪もびしょ濡れのままに息を切らしていた。このぶんだと余程急いだな。身を清めるのをおざなりにしちゃいかんぞ、と急がせた本人が言うのは違うかね。
「気を使わずにゆっくり入ってくれていてもよかったのに」
「そんなことはできません。……色々な意味で」
まだ少し恥ずかしそうにしているが、気を取り直してくれたようだ。先日の雰囲気に戻っている。さすがに、着替えは見ないでくれと言われたが。
「隠さなくたっていいじゃないか。痩せているのに立派なもんだ、その胸は。眼福だよ」
「……!」
「いや冗談。もう二度と言わないから」
ちょっと調子に乗り過ぎたか。いくら前世が男だったとはいえ女性の身体を目にしただけで興奮できるほど若くもないつもりだが、そういうのと関係なしにデカさには純粋に感心しちゃうよね。自分の肉体が少女のままで完全固定されてしまっているだけに、余計に。羨ましいなんてことは思わないけどさ。
髪を濡らしたままくくってとりあえず服を着込むセリアは、その作業中にどうしていきなり浴室に現れたのかと訊ねてきた。ありゃ? わかってなかったのか。
「だからトーテムだよ。あれを目印に跳んできた。そのために持たせたんだからな」
「つまりあなたは、そういった目印になるものがあればどこにでも転移ができると。森で私を転移させたように、他人まで?」
「うん。……うん? そういう魔法、あるよな?」
俺の転移はエイドスを利用したものなので、通常の魔法とは分類を分けなきゃいけない。だが通常魔法にも転移はあるはずだ。これも過去に確認していることなので間違いない。
知識に違わずセリアは肯定してくれたが、その顔付きは少々難しい。
「ですがそれは……」
「それは?」
「──いえ、『始原の魔女』を私が持つ常識で測ることは愚かですね。なんでもありません」
なんでもないことはなさそうだけど……もしかしたらセリアは転移が苦手なのかな? だとすれば歯切れが悪いのも頷ける。アーデラ辺りは当たり前のように習得していたけれど、難度としては相当上だろうし。通常魔法で空間を越えるのは高度なのだ。
「ま、いいや。出かけたいんだけど、いま身支度できるか?」
所用があるなら日を改めてもいい、と俺は言ったが、セリアの返答は慎重なものだった。
「出かける、というのは」
「勿論、セリアの依頼に関わることだ。王城に出向く。その案内を頼みたくてさ」
それを聞いた途端にセリアの顔付きは変わり、すぐに準備を終えると言って支度に取り掛かった。その通りに女性としてはかなりの早さで外出の用意を終えた彼女は、まだ髪も湿ったままに「行きましょう」と俺を見据える。その意気や良しだ。
部屋から出てすぐの階段を下りる途中、下の階から俺たちを覗く顔があった。年嵩のいった女。同居人がいたのか。
「彼女は?」
「ここの大家です」
「なるほど。こんにちは」
ここはセリアの持ち家ではなく下宿先だったのか。招いた覚えのない客と連れ立って階上から下りてきた間借り人に「こ、こんにちは……?」と反射的に挨拶しつつも大家さんはたいそう困惑しているようだったが、セリア一流の愛想笑いで俺たちは事なきを得た。得られたと思う、たぶん。
「で、王の居場所はどっちかな。こっち?」
「あちらのほうです」
俺が見ていたのとは反対を示すセリア。こういう勘が昔から悪いんだよな、俺って。おそらく前世からだ。おほん、と咳払いしつつ王城のほうへ向き直る。
「どうやって向かおうか。距離はどれくらいある?」
「徒歩でも一時間はかかりません」
「……微妙なラインだな」
別に歩いてもいいが時間を無駄にしている感は否めない。手っ取り早く空を行くか、と上を見てみたが誰も飛んでいない……おそらく何かしらの法規制があるんだろうな。道路と一緒で。
「馬車を呼び止めますか? それなら三十分以内に王城へつきます」
「いいね、そうしよう」
慣れた様子で辻馬車を呼んだセリアはまず車内の様子を確認してから俺を先に乗り込ませた。なんだかSPにでも守られている気分だ。ちょっと俺に気を使い過ぎだな、この子は。
俺に続いて乗り込んだセリアが小さな窓から御者へ行き先を告げると、ゆったりとした速度で馬車は動き出す。街中だとこんなもんか……でも歩くよりは断然速い。乗り心地も悪くない。時代は進んだな。アーデラを拾った頃は──。
「あの……始原の魔女様」
浸りかけていたところを引き戻される。未だに慣れない呼ばれ方だがそれが俺を指している言葉だとどうにか認識はできたので、流れる街からセリアへと視線を移す。
「なんだ?」
「王城で何をされるおつもりなのか、聞いても?」
「何って……例の男、モロウか。そいつの目的を暴くんだよ」
「ということは、あなたはモロウに邪な企みがあるものと考えておいでなのですね」
「まあ、十中八九そうじゃないかな。やり口からしてさ」
そこは本人に口を割らせればはっきりする。なので王城に出向くというよりはモロウに会いに行くのだと言ったほうが正しいか。
「彼を直接問い質そうというのですか?」
「ああ。何か問題あるか? いやこれは責めているんじゃなくて、セリアの観点から物を教えてほしいって意味だけど」
委縮させないようにと念押しでそう付け足したが、それでもセリアは非常に言いにくそうにしていた。
「問題と言いますか……仮に良からぬ企てがあったとして、モロウが素直に白状するとは思えません。こちらの態度次第では最悪、荒事になる可能性も」
まあ。解雇された同僚が出戻ってきて、あれこれと探るような真似をしてきたら誰だって警戒はするだろう。俺という部外者まで引き連れていたら尚更だ。セリアの懸念はもっともなものだ。
「戦闘は視野に入れておいたほうがいいだろうな。でも、モロウ一人にこっちは二人だ。御隠居さんは出てこないだろうし、なんとかなるさ」
「いえ、あの……王城には他に兵士もいます」
「あ、そっか。うーん、場合によっては厳しい戦いを強いられそうだな……じゃあ俺がモロウ担当で、セリアが兵士担当にしようか。それならちょうどいい」
頼りにしているよ、と笑みを向けたがセリアの顔は険しくなる一方だ。どうしたことかと首を傾げれば。
「お恥ずかしながら、私に始原の魔女様と並び立てるだけの技能はありません。習得している呪文と言えば身を守るものばかりで、攻撃魔法に覚えがないのです」
「素晴らしいじゃないか。第一に自衛力。敵を害する力はそれを身に着けたあとでいい。俺もそう思うよ」
俺の言葉にセリアは力なく首を振った。
「そのように考えたことはありません。私には才がなかったというだけのことです……」
「才がない? そんなことは絶対にない」
「え?」
魔法は魔力が燃料であり、その魔力の元になるのが魔素だ。魔法使いは魔素を吸収し体内へと取り込み、次いで魔力へ変換し、並行して構築させた魔法式に則ってそれを活用することで超常を現実のものとする。
魔法が成り立つ一連の過程、その始動における魔素の吸収・変換は人によってかなり向き不向きが表れる。酸素を吸い込み二酸化炭素として吐き出す肺活量のようなものだと言えばわかりやすいか。肺活量よりも生来の素質に左右されはするが、大きく吸える者もいればそうでない者もいるとだけ理解してほしい。
そしてセリアは。俺の影響で魔素に満ち満ちるあの森で、ふんだんに魔素を取り込んでいた。自覚なしにそれができている、という時点で彼女には才がある。後天的には欲しても手の出ない、天性のそれが。少なくとも魔力操作の分野において人並み以上の武器を手にしているのだ。
と、そのことを知らないセリアは俺の言葉に半信半疑といった顔をしている。自分の才は頭打ちだと信じ切っているのか。なのに強くそう主張してこないのは、俺が『始原の魔女』だからだろう。……はん。
「イデアだ」
「……?」
きょとん、とする彼女に繰り返す。
「イデア、俺の名前だよ。始原の魔女様なんて呼び名はお呼びじゃない。今後はそう呼んでもらえるかな」
「は、はい──イデア様」
「ん」
様、はいらないけどね。けど外せと言っても苦しめるだけだろう。どんなに魔法使いとしての光る才能がある、と口だけで言っても彼女の心には響かないように。
馬車は王城へ向かう。