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37.魔女の加護

 メイドがどこから送られてきた刺客なのか暴きたくはあったが、激しい応酬の中で問答に気を割く余裕などあるはずもない。男はただひたすらに敵の攻めを凌ぐことに集中していた。右で殴り、左で殴り、蹴ってみて、また右。もう一度蹴り。不規則だが動き自体はテレフォンだ。まるで素人が思うがままに攻撃しているかのようにも思える。


 ──実際そうなのだろうと男は結論する。魔力による身体強化にかまけて戦闘訓練を怠っている典型的な外れだ。そういう手合いは何度か見てきたし、その全員を潰してきた。素の強さを磨いてこそ魔力による強化は輝くというのに、筋肉をイジメる……もとい過酷なトレーニングを趣味としている男にはせっかくの能力を十全に活かそうとしない連中の考えがまるでわからなかった。


 ともかくだ。動きそのものは見かけによらず俊敏で鋭いが、対処には苦労しない。まだしも注意しなければいけないのは妙に重い右の打撃くらいで、それ以外に気にかかるところもない。不規則なパターンもその起こりからある程度リズムが読めるようにもなっていた。であればもう、慎重を期す必要もない。


 一気に終わらせる。


「ふん!」


「、…………」


 件の右を空振らせつつ、その大きなモーションの隙を存分に突いた掌打を腹へ入れる。声もなく動きが止まったところに顎を目掛けたショートアッパー。その顔が勢いよく上を向いたところで、軽く跳んで回転。ローリングソバットを見舞う。


 男の体重が乗った蹴り脚に再び腹を打たれたメイドは紙切れのように吹っ飛んだ。通路の先の曲がり角まで転がり、今度は華麗に立ち上がることもできない。渾身のコンボが決まったのだから当然だ。カウンターの初撃も、繋ぎの二撃目も、トドメの蹴りも全てが会心の手応えを訴えている。いくら体を強化していようとこれに耐えられるはずもない。


 自身の勝利を疑わない男だったが、同時に用心も怠ってはいなかった。体内に留めておくと言っても魔力は少しずつ減っていく。減った分を補うために再び魔素を吸収し、魔力へと変換して補充。あまりやり過ぎると眩暈に苛まれこの過程が成立しなくなる上に、酷使したぶん肉体の疲労も早まることになるが、男の容量キャパの限界はまだ遠かった。念のためにしては過剰な魔力であったが、謎のメイドを確実に仕留めておくためと思えば正しい選択だと言える……ただし、ここで問題となるのは。


 用心の有無が彼のこの先の運命をまったく左右しなかった点にある。


「──は?」


 手早く始末し、仲間たちを追いかける。見ればリーダーたちは伏兵を警戒しながら道向こうの通りに消えようとしているところだった。これならすぐに追いつける。そう考えながら倒れているメイドのほうに向けた足を、思わず止める。そしてその口から呆けたような声が出てしまったのも無理からぬこと。


 突然、糸で釣られた人形のように不自然な挙動で跳ね起きたメイドの異様さ。そしてその白手袋で覆われた右腕が何もない空間に刺さるようにして見えなくなっていることに、男は目の前で何が行われているのか理解できず戸惑った。


 当然だ、男にわかるはずもない。そのメイドマニに『魔女の加護』がかかっていることなど彼には知る由もない──一定量のダメージを負うか本人の危機意識によって発動するそれは、まさしく強化のための遅延常設魔法。魔女の魔力で身体強化がなされた状態から魔法式を介した術理による二重強化が果たされ、更にその上で。


「…………」


 やはり無言のままにマニが空間より抜き放ったのは、鉈のように刃が巨大なノコギリだった。魔女謹製の解体用具『肉落とし(ワンダーバトン)』。恐るべき切れ味と強度を誇るそれもまた、魔力による強化──即ち魔化。それもその一段階上の呪式魔化が施された立派な魔武具であった。


 作り手より譲られたそれは常に見えない鞘に納められ、マニの手が届く範囲に置かれている。収納空間によるポケットみたいなものだ、と主人から説明されたがマニは耳にした言葉の意味などわかっていない。ただし、どうして武器を与えられたのかについてはよくよく理解できていた。


 なんのため? 言うまでもなく人を切るため。バラすため。いつでも抜けるようにはなっているがいつでも抜くわけではない。それは処理すべき獲物がいてこそ行うこと。


 つまり今だ。


「しっ──」


 小さく息を吐いて加速。大きくノコギリを振り被ったまま踏み込み、即座の斬撃。その一連の行動はあまりに速く、さっきまでの速度に目が慣れてしまっていた男の反応は遅れ。


「な、んだ……と」


 気付けば刃は肩から脇腹へと抜けており、袈裟斬りに両断されていた。痛みよりも先に意識が遠のくのを感じながら、男は流れ落ちる自らの血と共に床へと墜落。立ったままの下半身のすぐ傍で絶命した。


「……、」


 物言わぬ骸に対しマニもまた言葉ひとつ零さず、ノコギリを握ったまま欄干に乗り跳躍。驚異の脚力と体幹で通りの向こうの塀に着地し、また跳躍。そうして建物の壁面や外付けを足場にして三次元的な近道を活用することたったの十歩。それだけの歩数で彼女は先行していた禿げ頭たちを追い抜いた。


「マジかこいつ……!?」


 血にぬめる刃を陽光に光らせながら進行方向に降り立ったその怪異も同然の姿に、さしもの禿げ頭も動揺を露わにする。口を塞がれたまま俵のように肩に担がれているフランもまた彼女の目的がわからずに心底怯えているが、しかし短髪の男の強さを誰よりも知り、また何よりも信用していただけに、ここでの恐怖は禿げ頭のほうが上回っていただろう。


「ちっ……これでも食らっとけよ!」


 いつも泰然自若としているリーダーが見るからに動転している。その背中を見てむしろ冷静になれた茶髪は、マニが何かするよりも先につがえ直していたクロスボウで射撃を行った。が、躱される。それは回避というよりも少し横に動いただけの何気ない所作でしかなかった。その様を見て、このメイドには強力なストリングから発射された矢が完全に見えているのだと理解する。


「くそっ! やっぱ当たらねえ、バケモンだ!」


 彼がそう吐き捨てたのが火蓋を切る契機となってしまったか、やにわにマニは前へ進む。ノコギリを振り被っての一歩。先ほど短髪にそうしたように、此度もまたその一撃でまずは先頭の禿げ頭を処理する──つもりであったが。


「【フロスト】!」


「ッ、……」


 茶髪が射撃で稼いだ一瞬は決して無駄ではなかった。マニが進路を塞いだ瞬間から組み始めた魔法式が、その僅かな間で完成へ至ったのだ。


 禿げ頭を押し退けるように脇へ寄せながらロウネスが放った魔法は氷系の初歩呪文。冷気を正面の敵に浴びせる殺傷力に乏しいものではあるが、その真価は威力ではなく付随効果にあった。体表に霜が張り付くことで誘発される機動力の低下。生き物であれば防ぎようのないこの呪文の効力からは、身体能力が二重に強化されている今のマニであっても逃れることはできなかった。


 斬りかからんとする最中の中途半端な姿勢で硬直した彼女に、ロウネスは【フロスト】と並行して組んでいた魔法式を始動させる。


「【マジックアロー】!」


 消費された魔力量によって弾数が上下する魔法の矢。矢と言っても球体状のそれが命中しても標的に刺さることはないのだが、難度の低さに比べて利点の多い扱いやすい攻撃魔法のひとつとして魔法使いに広く利用されており、ロウネスもまた咄嗟の場面ではこれを選択することが多い。


 狙い撃つは──メイドの、右腕。彼女の手にあるノコギリが途方もなく良くない物だと一目見て察した彼は、指定した対象へある程度誘導する魔力弾の利点のひとつを自ら解除し、手動操作で武器を握る腕のみに集弾させた。まずは得物を振るわせないこと。それを何より優先すべきと判断したためだ。


「…………」


 魔力弾の総数は六。動きの鈍ったところをそれだけの数に襲われてはどうすることもできない。ひとつに付き拳大の投石を受けるのと等しい衝撃を六発まとめて食らった彼女の右腕から、ベキベキという異音が鳴った。ロウネスの思惑通りにマニは武器を手から取り落としたが、けれど男たちが安心を得られることはなかった。


 衝撃によって千切れ飛んだ白い長手袋。その下から露わとなったメイドの右腕は──黒かった。タールを煮詰めたような色合いで光沢を放つそれは、どう見ても人体由来のものではなかった。義手か。しかしそれにしてはよく動き、そして奇妙なまでに生命いのちを感じさせる……。


安全装置セーフティー、解除……」


「!」


 マニの身体に仕込まれた最後の仕掛け。爆散した本来の腕に代わり与えられたその黒樹から作られた義手は、何かあれば盾として使うようにと教えられているものだった。マニの肉体とは別個にダメージ量が測られるよう設定されている人工腕は一定以上の衝撃や圧迫を受けることで、普段使いにはむしろ不便だろうと制限されている性能が自動的に解放される仕組みであった。


 それがこのとき成った、などとロウネスは知らない。だが危険極まりない何かが目の前で起きていることだけは理解できていた。


「くっ──【プロテクション】!」


 弛まぬ修練によって簡単な魔法であれば魔法式の三重構築を可能としている彼は、落としたノコギリ以外にも何かしらの武器、特に遠距離用のそれをマニが隠し持っていることを危惧して防御用の呪文も備えていた。


 まだ張り付いたままの霜をないもののように無手で突っ込んでくるとは流石に予想外だったが、それでもやることは変わらない。彼女の反撃から身を守るべく前方に対物理の障壁を張って……ただの一打でそれが破られ、あまつさえそのまま自らの顔面に深々と拳が突き立ったことで、ロウネスは新たに組み始めていた魔法式共々その思考を永遠に散らした。



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― 新着の感想 ―
やはり腕は爆散していたのですね。キチクですねぇ、怖いですねぇ。
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