34.メイドとローブ女
「見張り役と言えば聞こえはいいがよ。何も起こらなかったらただの突っ立ってる暇人だよな。声掛けしねえ立ちんぼみたいなもんだぜ」
「違いないな。でも俺たちはまだマシだろ? 一人で裏口見張らされてるあいつの身にもなってみろ」
ブローカーの一味であるその二人の男は見るからにだらけきっていた。何せ彼らにはすることがない。部屋を見張ると言っても動きもしないドアばかり眺めていたところで楽しめることなど何もなく、かと言ってリーダーの言いつけを破るわけにもいかないのでこうして無為に口ばかり動かしている。が、そろそろ身のないお喋りにも飽きてきたところだった。
「ちっ。だいたいガキ一人のために全員で出るってのがやり過ぎだろうがよ。そこまでする必要がどこにあんだ?」
「ガキっつっても魔法使いだぜ、油断はできんだろ。我らがリーダー様は万全を期してんのさ。おかげで仕事も早く終わるってもんだ」
「本当かよ? その割にはずいぶんと話し込んで手間取ってるみてえだが」
「なに、あと五分もすればガキを連れて出てくるだろうよ」
「十分前にもお前は同じこと言ってたぞ……ん?」
相方に呆れながら欄干に上体を預け、なんとはなしに三階の高さにある通路から建物前の通りを見やった男は、そこで一風変わったものを目にした。おい、と隣で通りに背を向けている相方の二の腕を肘でつつく。
「ん? どうしたよ?」
「見ろよあれ。メイドだ、メイドがいるぜ」
「なーに言ってんだ、暇すぎてとうとう幻覚でも見えたか? メイドがこんなとこをうろちょろするわけが……マジかよ、いるじゃないか」
思わず二人揃って身を乗り出す。そうやって食い入るように確認しても間違いない、通りを歩くその女が着込んでいるのはメイド服。金持ちの家にしかいない女の使用人が身に着ける、妙に男心をくすぐる例のあれだ。しかも明らかに質がいい。金目の匂いに敏感な二人は上から見ただけでも容易にその判定が付いた。
「変だよな。隣のローブ女もだが、なんだってあの身なりで最下層一歩手前の準スラムなんかに来んだ? とても用があるとは思えねえ」
「確かにそうだな……ひょっとしたら迷子かもしれないな。ふ、俺たちで道案内でもしてやるか?」
「ひひっ、そりゃいいぜ。どうせなら国の外まで連れ出して俺らの世話でも焼いてもらうかね。色々とよ」
「お前にしちゃ冴えた案だな、そいつは」
下品な笑い声を上げる二人だが、勿論これはジョーク。本当に人攫いの算段を立てているわけではない。暇潰しの一環の話題である。女たちが通り過ぎて行けばまた別の話のタネを探すだけだ……と、のんべんだらりとしていた二人の顔付きが変わる。
「──おい、奴さんら入ってきたぞ」
「すると用があんのはここか……?」
メイドとローブの女が道の先ではなく眼下に消えたことで彼らのいる建物──勧誘対象のフランフランフィー・エーテルが住まいとしているこの安アパートこそが目的地であると悟る。何かしらの予感を覚えた二人はそこでどちらともなく黙り、耳を澄ませた。
階段を上ってくる足音。二階を過ぎたそれが三階も過ぎればなんともなかったのだが、そうはならず。通路の向こうから顔を見せた二人に警戒されないよう、男たちは通りを見ている姿勢を変えずに無関心を装った。しかし、通路の手前にある扉を彼女らがスルーしたことでもう無視はできなくなった。彼女らが進む先には、リーダーから誰も通すなと言われた魔法使いの住む部屋しかないのだから。
「ちょっといいかい」
「──なんでしょうか」
そう広くもない通路だ。二人で並べば通れるような幅もなくなる。そうやって進路を塞いだ男たちに応じたのはローブの女のほうだった。この時点で切れ長の瞳に不穏さを滲ませているのは、相対する二人組から荒事に身を置く者らしいすえた気配を感じ取ったからだろう。それが察せるのなら話も早い、と片方の男は愛想笑いと言うには些か粗野な顔付きで続けた。
「こっちの部屋に用事なんだろ? だけど悪いな、ここの住人はちょっと立て込んでいるところなんだ……あと一時間ばかし、そうだな、カフェで一服でもしてきたらいい。その頃にはもう終わってるだろうからよ」
「あなた方はいったい?」
「おう、俺たちが誰かなんて姉ちゃんに関係あるかよ? いいから回れ右してどっか行きな。そうすりゃこっちも何もしねえ」
「………」
無言で男二人を交互に見やるローブ女。その端整な顔立ちからは迷いが窺えた。反対に傍らのメイドは不気味なほどに表情を変えない。自分たちが目に入っているのかも定かではない夢遊病者のようなその雰囲気に少しばかり妙な思いをしながらも、相方を嗜めて片方の男は言った。
「怖がらせてすまんね、どうもこいつは言動が荒っぽくていけねえ。だけど言ってることはあんたらのためを思ってのもんだぜ、姉さん方。ほんの一時間だ。それだけ予定をズラしてくれればお互いハッピーなんだから、是非そうしてくれよ。な?」
猫撫で声を意識してそう告げた男は女たちが大人しく帰るための後押しをしたつもりでいたが、それがかえってローブ女に要らぬ決心をさせたようだった。その表情から迷いが消えたことに男は内心で舌を打った。
「私は誰何し、あなた方はそれに答えようとせず一方的に立ち去れと言う。これではもはや何者であるか名乗っているも同然ではありませんか?」
「……へえ、そうかい? じゃああんたには俺たちがどこの誰だかわかるってのか」
「どこの誰かは存じませんが。しかし脛に傷のある人種だということは明らかでしょう」
「はっ、お利口さんだねえ……で、それを知ってどうするってんだ。賢いお姉さんなら賢い選択ができねえのかよ、えぇ?」
「それは──」
いよいよ剣呑さを隠しもしなくなった男たちに毅然と言い返そうとしたローブ女の横から、すっと。今まで興味なさげに──というより自我すら感じさせず──黙りこくっていたメイドが、唐突に前に出て口を開いた。
「『障害はその手で排除しろ』」
「あ? なんだこいつ急に?」
「っ、【サイレンス】」
「──命令を守ります」
ひゅん、とメイドの右腕が素早く動く。迫る拳を視認することもできずに激しく顎を打たれた男たちは、勢いよく床に倒れ込む。そしてそのままぴくりとも動かなくなった。
◇◇◇
軽く触れてみて、その二人が完全に意識を失っていることを確認する。危険な倒れ方をした上にどちらとも顎が外れて(正確には砕けて)しまっているが、それを気に病む者はここにはいなかった。
メイドの凶行に文句を言う前に、ローブ女改めセリアは目前の扉とそれを過ぎた先にある曲がり角に目をやった。そこから彼らの仲間が出てくるのではないかと用心したのだ。が、幸いなことにその気配はない。
魔法を使う準備をしておいてよかった、と安堵の息を漏らす。唱えようとしていた呪文は別だったのだが、並行してもうひとつ魔法式を組んでいたことと、それが音を消すための呪文【サイレンス】であったことは二重に幸いであった。消音魔法の基礎であるそれは唱えてからほんの数秒だけセリア周辺の物音を完全に消し去ってくれる、用途に限られながらも確かな利便性のある呪文だ。
男たちの口振りから、フランの部屋には他にも仲間がいることがほぼ確実である。魔法式の並行構築はその者たちに気取らせずこの場を対処するための備えであり、実際にそれは叶ったのだが……セリアに先んじて行動に移ったこのメイド、マニにそういった思慮は皆無であったことだろう。彼女は口にした通りただ目の前の障害を排除したに過ぎず、他には何も考えていない。もしも咄嗟のフォローが間に合っていなければどうなっていたことか、セリアは想像するだに恐ろしかった。
だから言わんことではない、とセリアは彼女と引き合わせられた数時間前のことを思い出す。
イデアの転移によって彼女の自宅へと跳んで目に飛び込んできたのは、人形のように肢体を投げ出した格好で床に座り込む虚ろな目をしたマニの姿だった。絶句するセリアに気付きもせずイデアは彼女の顔の前で軽妙に指を鳴らした。すると、マニはネジを巻かれた人形のように不自然な挙動で立ち上がり、しかし目の虚ろさだけはそのままに静止して命令を聞く姿勢を取った。それを確かめてイデアが「ばっちりだな」と頷いた際には耳を疑ったものだ。
リハビリがてら連れていってやってくれ、とイデアは言った。なんでも調整は済んでいるので、あとは仕事でもさせているうちに正気も戻ってくるだろうとのことだった。
調整というのがどんな仕業を指すのか、どうしてそれが必要なほどマニが正気を失う事態となったのか。当然セリアには何ひとつわからなかったし、正気でないのはむしろあなたのほうではないのかと思わず言いかけたくらいだったが、始原の魔女への深き敬意で以ってそれをぐっと堪えた彼女は了解を返した。しかし、これだけはせめて言わせてくれとマニを同行させることに──以前にイデアへ提言したのとはまた別の意味での──不安があることを正直に吐露すれば。
「フラン君を誘いに行くだけだろう? 大丈夫、マニが口を挟むことはないから」
メイドを引き連れているのを宮廷勤めの箔にでもしたらいい、と装飾品のように彼女を扱おうとするイデアに対し何も言うべき言葉が思い浮かばず、セリアは諦めの境地でマニと共に勧誘へと出かけたのだった。
そして現在。
口どころか真っ先に手を出しておきながら悠然と佇むメイドに、セリアは無言で視線をやった。しかし彼女は早く次の指示をしろと言わんばかりの目で見返してくるだけだった。
イデアより「必ずセリアに従うこと。万が一にも有事になった際には障害をその手で排除すること」と言い含められているため、こうして命令待ちをすることも男たちを排したこともマニからすれば何も間違っていないのだろうが……けれど大切な何かが間違っていることは確実だとセリアは思った。しかしそれを彼女に言ったところでどうともなるまい。なので強いて言うのであれば、よりにもよってこんなタイミングでフランの下を訪れているこの男たちの存在こそが最大の間違いだと定めておくべきか。
では、その間違いを正すためにはどうするか。セリアは声を潜ませてマニに言った。
「私は裏口を押さえます。三分数えてからあなたは玄関をノックしてくれますか」
以前に訪れたこともありアパートメントの構造に明るいセリアは、フランと顔見知りである自分が正面を担当したほうがいいかとも考えた。だが見張りを立てながらも来客が現われたとなれば、室内にいるであろう男らの仲間はおそらく裏口から出ていこうとするはず。最悪、無理矢理にでもフランを連れて。そうなった場合は彼を安心させるためにも自分が裏手に回っていたほうがいいと彼女は判断した。
「いいですか、ちゃんと数えてくださいね。私があそこを曲がってからですよ」
「……」
「よし。では回り込んできます」
無言でしっかりと頷いたマニを信用し、セリアは先の様子を慎重に窺いながら曲がり角へと消えた。それからきっちり三秒数えたところでマニは扉を叩いた。
 




