32.糸引く影
早いもので、即位式を執り行ってからもう半年近くが経過しようとしている。体感で言えば僅かに十日ぐらいなのだけど、言ってもこれは俺の時間感覚が特殊なせいだろう。セストバルに来てからはほぼ同じ時間を過ごしているセリアもさすがにそこまで圧縮されているようには感じていない様子だし。歳を取るっていうのは怖いことだなぁ。
あれだけテンパった式典も今では良き思い出として数えられている。しかし考えてみたら大々的に新王国の誕生を発表してからすぐに王様が国を不在にするっていうのはどうなんだろう、あまりよくないというか、まともな判断ではない気もするぞ。まあ俺は所詮お飾りの冠で、モロウとダンバスさえ仕事をしていてくれれば何も困りはしないんだけどさ。
それでもマニの様子を見に戻るのと同じくらいの頻度で王城にも顔を出してはいるけれど、やはり外交中の俺に気を使っているんだろう。モロウが目を通しておいてくれと頼む書類の数は明らかに以前よりも少なくなっている。おかげで楽はできているが帰国後が怖いな……溜まりに溜まった緊急性のないあれやこれやのチェックにしばらく忙殺されそうな予感がひしひしとするぜ!
自ら負った役目だからそれは別にいいんだけど、とにかく。戦争を終わらせてすぐに凱旋とはいかなくなったことで、いよいよいつ帰国できるかの目途がつかなくなった。ステイラがどういう決定をするかにかかっているので返事待ちのこの期間は自発的にやれることがない。本当に何もない。だが、だからといってセストバルから動くわけにもいかない。もしものときを考えた場合、今こそ俺は最大級の警戒を持ってジョシュアを守ってやらなくちゃならないからだ。
ただそれは、責任は重大なれど俺一人で充分に果たせることであり、そして言ってしまえばセリアが残っていても手伝えることはもうない。そもそも彼女は俺が他国の王と話し合うに当たってその潤滑油となるべく参じたようなもので、そこの段階がとうに過ぎた今となっては職務後のアフターフォロー中も同然なのだ。条約国の王城内と言ってもセリアは俺を一人きりにするのを嫌うだろうけれど、その点も踏まえて正直に打ち明けると。
「ぶっちゃけこれ以上固まっていても無駄だと思う。謝礼金については全ての片がついてから貰うことにしようと決めたものの、だ。その使い道くらいは早めに用意しておいてもいいんじゃないかな」
「つまり、ステイラ公国の屈服を待たずして私のみ帰国し、フランフランフィー・エーテルの勧誘を先んじて行なっておけと。イデア様はそう仰られているのですね」
その通りだと俺は頷く。セリアの話を聞いて勧誘は早ければ早いほどよさそうだと思ったところでもある。現物が手に入ってもその金で雇いたい肝心の人物が確保できなければなんの意味もない。まあそのときは潔く諦めて他を当たるだけではあるが、政務を少数で回していくと決めた以上はなるだけ優秀なのを上から採っていきたいと考えるのは普通のことだ。そこは国の今後のためにもとことん欲深くなっていいところだと思うね。
「セストバルとの段取りを取り付けるのに約三ヵ月。戦争が起こるまでにこれまた約三ヵ月。三国が関わっているにしてはすごくスピーディーだと思うけど、いい加減次のことを始めていてもいいだろう」
「…………」
「セリア?」
何か言いたげな気配ながらに口を開かない彼女を疑問に思えば、しばしの迷いを見せたあとに。
「私は、足手纏いなのですね」
おっと……思わぬ一言に返答に詰まってしまう。セリアはそれに構わず続けた。
「承知していました、私自身が以前に言ったことでもありますから。戦の前にもイデア様は何度も来なくていいと仰った」
「それは君が無駄に傷付いたりしないようにだよ」
「悲観しているのではありません、全ては承知の上のこと。ですからこうお聴きしたいのです──イデア様は私を傍から離して、何と戦うおつもりなのですか? あれだけの軍勢を歯牙にもかけなかったあなたがそこまで警戒しなければならない相手とはいったい……」
……聡いなぁ、セリアは。状況から俺が何をしようとしているのか推察すること自体はそう難しくないことだろうけど、俺の考えまでわかってしまうのはなんというか、嬉し恥ずかしと言ったところかな。こんなことは滅多にないものだから。
ここは素直になっておこう。
「この城もセリアも守り切るとなると自信がない……とは言わないけれど。敵が敵だ、ここから先は俺にも予想が付かないんだよ。だから意義もなくセリアを手元に置いておくよりは帰ってもらって、ついでにフラン君を探しておいてもらおうと思ってさ」
「イデア様がそうせよと仰るのならその通りにしますが。しかし、見据えている敵の正体についてどうか私にも教えていただけませんか」
真剣に頼んでくるセリアだが、そこは別に隠そうとも思っていない。なので俺は頷いて言った。
「セリアも見たろ? ステイラ兵のご立派な装備類を。魔化、だっけな。それをした人物を俺は警戒している」
「ステイラ公国の宮廷魔法使いたちを、ですか」
「いや。『たち』ではなくてたぶんそいつは個人だな。そしてひょっとすれば宮廷魔法使いですらないかもしれない。まあ、やっていることからすれば同じようなポジションだろうけれど」
「それは……どういうことでしょうか。個人だと思われる理由は? そして何故宮廷魔法使いではないと?」
不可解すぎる難問を前にしたような態度で困惑を質問にしてぶつけてくるセリアだけど、なんてことはない。これに関しては推理なんて必要もないくらい簡単に至れる結論だ。
「高確率で魔化が一人の手によって行われていること。そしてそのレベルの魔法使いが果たしてステイラに仕えているつもりがあるのかっていう疑問。加えて国主の急な入れ替わりから間もなくセストバルに差し向けられた侵攻の脅し。これらを勘案したとき、どうにも俺には見えてくるんだな。兵を操る公を操る、その魔法使いの糸引く影が」
「……!」
思いもよらない内容だったのか、俺の言葉にセリアは衝撃を受けているようだった。だが納得できる部分も大いにあるのだろう。考え込む彼女は反論の材料を探しているというより、これまでに見聞きした事実との擦り合わせを行っている最中のように見えた。
聞けば、ステイラという国は公の権力の盤石さ。平野で見せた自慢の軍事力。それ以外には特筆すべき点もない、どこにでもある小国だ。これがステイラを敵としているジョシュアの偏見も多分に混じった評価であったとしても、概ね的を外したものではないだろう。成り立ちから現在までをざっと知った俺とセリアは揃ってそう判断した。
そんな国が、十万点の魔化という俺でも気軽にはやれないようなことをやってのける優れた魔法使いを、金や権力で雇い入れることは可能なのか。所感としての答えはNOだ。ならばつまり、その魔法使いは自らの意思でステイラに対して足長おじさんをやっていることになる。
一人の魔法使いがいて、そして国の体制ががらりと入れ替わる。……なんだか聞いたような話じゃないか? そう、新しく国主となった人物の出自や変わるまでの流れこそ違えど、これはまるっきり新王国の誕生と同じなのだ。だとすればこうも考えられる──ステイラに起こった改革も新王国と同様、たった一人の魔法使いが発端となったものではないか、と。
新王国のそれは俺というよりモロウが切っ掛けではあるけれど、その後の国の形を決定付けたのは手前味噌で恐縮だがやはり、俺という存在があったことが大きい。それと一緒でステイラ公もまた、謎の魔法使いを明にも暗にも頼り切って国政を仕切っているんじゃないか……そこまでいくと推測に推測を重ねたもはや妄想の類いではあるのだが。
しかし俺には感じるものがあった。
「イデア様は……なんらかの目的でステイラを利用しているその魔法使いが、単独で仕掛けてくることを危惧しておいでなのですか?」
「ステイラ公が頼むか、魔法使い本人が進言するか。そこはわからないけれど、この返事の遅れ方にはちょっと思うところもある」
始原の魔女を味方につけたと明かした途端にぴたりと止んだステイラからの声明。あれだけ頻繁にジョシュアへ脅迫まがいの文書を送りつけてきていた国とは思えない寡黙っぷりだものな。嵐の前の静けさという言葉が示す通り大抵の場合、こういう不自然な静寂のあとには大きく事が動くのが相場だと決まっているのだ。
「兵団とはまた別に暗殺者とかでも育てていない限りは、やっぱりその魔法使いが出てくるんじゃあないかな」
「そしてセストバル王の暗殺を目論むと?」
「ステイラ公としては是非そうなってほしいだろうね。勝利を前提にしていた大一番に負けた上、生還者も皆無なものだから相当に怒り心頭だろうし」
「ステイラ公としては……?」
「ああ。たぶん魔法使いにとっての一番の目的は、もうそっちじゃなくなっていると思うからね」
一番の、というより当面のと言うべきか。俺が敵軍の装備を見て興味を引かれたのと同じく、そいつだって戦の結果と始原の魔女の名を聞いて興味を引かれていないわけがない。互いに魔法使い同士、そこには同類としての暗黙の了解がある。
俺の見当が大きく外れていなければ。きっと、きっと、きっと──楽しみはまだ続く。続いてくれるはずだ。
「セストバルの一員じゃない俺と、ステイラの一員じゃないそいつとの『盤外戦』だ。これが真の大一番になるだろう。だから予想が付かないし、だから面白くもある。悪いけれどセリア。今度ばかりは安全圏に引っ込んでいてほしい」
「仰せのままに、イデア様」
感情を消して頭を下げたセリアに微笑む。本当に聡い。もはや俺への感情が信仰の域に達しているモロウとは違って、彼女にはこのいじらしさがある。俺はセリアのこういうところが特に好みであった。
顔を上げたセリアは凛とした瞳で俺を見て告げた。
「それでは王都に帰らせていただきます」
「……うん」
命じておきながら奥さんに出て行かれる旦那のような気分になってしまったのは秘密だ。




