3.魔女伝説
此度の来客はまともな人間であるらしい。
屋内に招き入れても何も仕掛けてこないので、それはほぼ確定でいい。用心が無駄になった。珍しくも女性一人の強盗というのであれば今頃彼女も人間培養器に設置されていたことだろう。欲するときにちょうど素材がやってきたか、と浮足立っていた身からすると複雑な気分だ。
セリアと名乗った彼女が善良の民であるのなら、二階の有り様を目撃されると逆にこちらが蛮族扱いされかねないのでちょっとまずいなぁと思う。ここ一階から上の様子は覗けないが、魔法には透視や遠見ができるものもあるからね。一応、うちの森の木で出来たこのログハウスはそういった呪文の効力を削ぐものの、他ならぬ俺自身がそれを突破できる。ここからは別の用心が必要だろう。無駄に不穏な空気にしてもいいことはない。
逆上して襲い掛かってきてくれでもしたら喜んで素材にするのだが、そんな食虫植物めいた調達をしなきゃならないほど切羽詰まってはいない……今のところ推定善人の彼女を強盗たちと同じ目に遭わせるのは忍びないしね。それくらいの良識は俺にもある。
それよりもだ。俺のことを知っていて訪ねてきた彼女は迷い人ではない。外界との接触もほとんどなく、ひっそりと隠れ住む俺をどうやって知ったか、見つけたか。そもそもなんで俺を頼ろうと思ったのか。疑問はたくさんあったけれど、いの一番に確認しなければならないのはやはり、当然の如く口にされた俺の呼び名だろう。
始原の魔女とは何か。そう質問した俺に、セリアはぽかんとしていた。
「失礼ですが……始原の魔女様。あなたがそう名乗ったのではないのですか?」
「いいや。記憶する限り、そもそも俺は人に名乗ったことがない」
俺の記憶が確かならね。前世のことがすっかり他人事に感じられるようになってしまった今、少しばかりそこは怪しいではあるけれど……さすがにそう多くない外部の人間との触れ合いまで忘れたりはしない。はずだ。うん。
「大陸にいくつかある魔女伝説の中でも、始原の魔女とは最も古く最も謎めいた、まさしく『魔法の祖』である。というのが私たちの共通認識です」
切れ長の瞳を困惑に揺らしながらセリアはそう説明する。魔女伝説。なにそれ。そっちも知らない。ましてや自分がその筆頭みたいな扱いを受けているなんて寝耳に水もいいところだ。
殺さずに追い返した強盗にもそれなりの処置は施している。要らぬ面倒を呼ばないようにだ。それでも薄っすらと俺のことを覚えてはいるだろうが──廃人にさせないよう気を使ったからだ──そんなあやふやな伝聞だけでここまで俺という存在が広まるとは考えにくい。だというのに通り名まで生まれている以上、これは誰かが意図的に流布した結果だとしか思えないが……しかし誰が?
首を捻った俺の疑問はすぐに解消された。
「賢者アーデラ。『始原の魔女』実在の最大の裏付け人にして、その呼称を唱え広めた人物でもあります。かくいう私も、賢者からの助言を受けてこの地にやって参りました」
「あ、い、つ、か~……なるほど」
アーデラ。その名にはすぐにピンときた。さすがにこれを忘れていたら大変だ。
どういう関係なのか、とセリアが聞きたそうにしている。別に隠すようなことでもないので教えてしまっていいだろう。
「言うなれば一番弟子ってところかな。振り返ってみれば一番優秀な弟子でもあった。かれこれ長いこと会ってないが、そうか。まだ元気にやっているんだな」
当時はクッソ生意気だったけどね。俺のことを敬っている感じなんてちっともなかった。けれど、教えに対しては忠実だったと思う。ざっと数えるだけでもあいつが巣立っていってからもう百年以上は経っているだろうから、どれだけ成長しているのか少し気になるところだ。
「一番弟子……」
俺の言葉を繰り返すセリアは、はっきりと驚いているようだった。
「アーデラのやつ、そこは何も言っていなかったのか」
「いえ、自らそう喧伝していたはずです。しかしあなたの実在が確かめられたことがないので、それを信じるかは半々といったところでしょうか……ですが、賢者アーデラが最も有名な魔法使いの一人であることは確かです」
だからその師匠であるという始原の魔女の噂話にも、一定の信憑性も出ると。アーデラだけならともかく他にも俺と遭遇したと声を上げる人間はちらほら現れもするわけで……確かにこれなら広まるのも納得かな。
そして納得はもうひとつ。いや、そこはまだ疑惑と言うべきかな。悩むセリアに助言をしたのがアーデラだとすれば、だ。
「もう少し詳しく聞きたい。セリアは俺が王の秘密を暴くことを期待しているのか? 良政を敷くようになった裏がなんなのかを」
「いえ……実を言えば、その原因に私は心当たりがあるのです」
ほう、と俺は感心する。既にそこまで当たりはついているのか。まあ、そうでもなければいくら有名人からの助言だからとて、こんな僻地くんだりまで単身乗り込んではこないか。
「セリアの言う原因とは?」
「一人の魔法使いです。私と同じ宮廷仕えの……同時期に入った男です」
「王は魔法使いを二人雇ったのか」
「いいえ、他にも。ですが今は彼だけが残っています。私も含め彼以外のメンバーは全員役職を解かれました。端的に言って解雇されたのです。それも碌に話もさせてもらえず、殆ど一方的に」
彼女が言うには、圧政の限界により市民感情は爆発寸前のところにあったとか。特に最近は際立って王族・貴族へ反発する声が高まり出していた。さすがに身の危険を覚えた王は、城に警備を増やすことにした。その一員にいたのがセリアである──ふむ。
「ほほう。兵士じゃなく魔法使いを複数配備するのはけっこう冴えてるんじゃないか?」
盗賊たちのお粗末な戦いぶりを思い返してそう言ったが、どうだろう。訓練された兵士ならまた変わってくるのかな。けどいずれにしろ、それまで一人しかいなかったという宮廷魔法使いを一気に増やす選択はそう悪くないものだと思う。
「幼少より貧しい生活に苦しんできた私は、この国の在り方を変えたいと常々願っていました。宮廷入りを果たせたことは私にとっても渡りに船だったのです。ですが雇われてそう間も置かず王は私たちに三行半を突き付けました。……ただ一人だけを除いて」
「それが例の男。セリアが王の変化の原因と見做している奴か」
はい、と厳粛にセリアは肯定する。推定の話ではあるが、彼女はそいつが黒幕であることはほぼ間違いないと考えているようだ。
「彼はすぐに王族の私室へ立ち入ることを許されるようになりました。当然、いくら宮廷勤めと言っても通常ならあり得ないことです。時を同じくして古参の魔法使いが高齢を理由に表へ出てこなくなり、半隠居のような状態になってからは実質、王の参謀は彼になったのです。その後すぐ、私は他の魔法使い共々王城から追い出されてしまったためにこれ以上のことは何もわからないのですが……」
うん。怪しいな、それは。王城が今どうなっているかは不明でも、その男はいくらなんでもサクセスストーリーが過ぎる。
そいつもセリアと一緒で、何かしらの目的を以って王城へ入った。そしてその目的を果たしつつある。と、そう見るのが自然だ。少なくとも客観的にはね。
「彼の名はモロウ。姓はなく、モロウとだけ名乗っていました」
「モロウ……」
そっちは聞き覚えがない。なら違ったか? いやでも、何かしら関係があると思うべきだろう。
「よくわかった。聞きたいことは全部聞いたから、こちらも簡潔に答えよう」
「は、はい」
居住まいを正すセリアだが、その姿勢は最初から一貫して堅苦しいままだ。向こうから見れば俺なんてだいぶ年下の少女だ。それを相手にここまで気を張っていられるとは、その賢さと真面目さが少しおかしくなる。
「その願い、聞き入れようじゃないか。王の秘密、というよりその男モロウの秘密を暴こう」
「! 本当ですか!」
「ああ、本当だよ。えーっと……あったあった。ほい」
エイドスには普段使いするものしないものをのべつ幕なしにいくらか突っ込んである。収納空間としてすぐに繋げられるようにしてあるため俺はバッグ要らずというわけだ。けれどごちゃごちゃするのが難点。
そこから運よく見つけたトーテムを放れば、セリアはおっかなびっくりキャッチした。危うく取り落としかけたことで目に見えて冷や汗をかいているが、木製な上に軽い代物なので落としたって別に問題はないのだ。
そう伝えれば「お気遣い感謝します」と彼女は小さな笑みで返したが、なんとなくその顔は引き攣っているように見えた。
「あの、これは?」
「目印だよ。それですぐに会える。肌身離さず持っていてくれればね……というわけで、もう帰ってくれていい」
「え? あの、ええと──」
「ああ大丈夫、もう森は歩かなくていい。こっちで外まで送ろう」
「いやあの──」
「それじゃまた三日後か四日後くらいに」
何か言いかけている様子だったセリアを跳ばす。この森の木々は俺が注いだ魔力が元になって育ったものだ。なので、一本一本が目印と同じ役割を果たせる。一応森外縁の木を通して確認してみるが、うむ。ちゃんとセリアはそこにいるな。彼女が入ってきたのと寸分違わない位置に送ることができた。
きょろきょろと激しい首の動きで辺りを確認した彼女は、やがて諦めたように項垂れたあとに国があると思しき方角へと去っていった。道中気を付けて。
「さて、と」
こっちも久方ぶりの遠出に備えようか……理想領域以外の場所へ出向くなんて本当、いつ以来だろうな?