28.ステイラ公の野望
座して足を組みつつ部下の報告を聞く第十代目ステイラ公の心中には、不機嫌と上機嫌が同居していた。片方ばかりを前面に出すでもなく、相反するどちらをも器用に表情に浮かべたまま怒りと余裕を感じさせる彼を前に、筋骨逞しく精悍な顔付きの男はその見た目に違わず如何にも軍人然とした口調で報告を続けた。
「今頃は連中の城にも布告が届いていることでしょう。これで後は開戦の時を待つのみですな!」
「そうか、待ち遠しいな……しかしセストバルめ。長年弱腰だった弱小国が急に生意気になってくれたものだ」
苛立ちを示すようにステイラ公は机上を指先で細かく叩く。セストバルから挑戦的な言葉が返されたことでようやく開戦の運びとなった。それ自体は前々から待ち望んでいたことだがしかし、ステイラを侮っているにも等しいその態度は許しておけるものではなかった。
「御安心ください公よ。我らを侮った罪、必ずや奴らの血で償わせてみせましょう」
「うむ、戦隊長よ。何人殺しても構わん。必ずやり遂げろ」
「はっ!」
「しかし……本当によかったのでしょうか?」
「む?」
疑問の声を上げたのはステイラ公の横に立つ男性だった。戦隊長と呼ばれた大男とは違い、痩身の彼は文官の気配が強い。その細面に不安の色を隠さず彼は言った。
「件の新王国のことです。あちらはまったく動きの読めない不確定要素ですので、前にも具申しました通り、せめてもう少しセストバルの動向を探る期間を設けてもよかったのではないかと……」
セストバルが唯一援助を求められる隣国であるイデア新王国。その誕生からしばらく、セストバルからの返事の威勢は急変した。長年のらりくらりと話を伸ばしてきたあの国とは思えない、ある種の覚悟を決めたような対応が彼にはひどく気がかりだった。そこに何かしらの繋がりがあるとまでは断定できないが、どこか気持ち悪さが拭えない。けれど迷わず開戦に踏み切ろうとする彼らにその考えを伝えた先日は、ただ鼻で笑われて終いだった。それは今も変わらない。
またそのことか、とステイラ公は口の端を吊り上げて隣の男をねめつける。それは考えの足りない者を見るような冷めた視線だった。
「もしも『始原の魔女』が国を建てたのが真実だとして。どうしてその魔女殿が交流も何もないセストバルを助けるのだ? ましてや新国家に余所にまで気を揉むような余力があるとも思えん。私はつい数日前にもそう言ったはずだが?」
「は、ですが……」
「参謀殿、そう怯えることはない。万が一にもイデア新王国がセストバルに付いたとしても、あの国で警戒すべきは始原の魔女ただ一人。御伽噺の住人にどれだけ魔法の腕前があろうと万の軍勢の前には紙切れも同然……なす術などあるはずもないではないか!」
そう言って戦隊長は獰猛な笑みを参謀へ向けた。凶暴な肉食獣が威嚇しているようなその顔に、参謀は薄ら寒いものを覚える。この男はまさに飢えた獣に同じだ。武勲が欲しくてたまらない、敵を殺したくてたまらない血狂いであり、しかし同時にステイラという国の中でも一等優秀な戦士でもある。そして彼の背中には他の兵士を惹き付ける、野蛮だが逞しい何かがあった。
指揮能力は凡庸の一言だが、そちらは副官にでも任せて自身は勇ましく先陣を切ればそれに続く味方側の士気は著しく上がるだろう。だからこそ彼は戦隊長に任命されているのだ。
血を欲する男は磊落に肩を揺らした。
「むしろ! 始原の魔女が戦場に出てくるというのであれば俺にとっては願ってもないことだ。その首をこの手で落とせば末代までの自慢にもなろう」
「ふふ、頼もしいな戦隊長。どうだ参謀、それでもまだお前は戦を始めるのが間違っていると言うのか?」
「いえ……愚かなことを申しました」
急進的に国主に収まったまだ青年の域を出ない若き公は、そうなる切っ掛けを作ったとある人物からの助力並びに助言を強く信じて政策を決めている。先代以上に軍事に力を入れたのも、セストバルを飲み込まんとするのも全ては彼自身の野望ではなく、そう唆された結果だということにステイラ公は気付いていない。
野心に火を点けられたステイラ公と活躍の場を求める戦隊長の組み合わせは最悪に良かった。参謀などと言われていてもこの二人が投合していては彼の言葉など大火に吹くそよ風の如く、なんの力も持ちはしなかった。勿論ステイラ公を操るとある人物についての言及も固く禁じられている。それを破り、少しでもその人物を悪し様に言ったと取られれば厳しい折檻を受けることになり、場合によっては城からも追い出されてしまいかねない。
それを恐れて黙るしかない自分のなんと情けないことか。謝罪のために頭を下げながらも唇を噛む参謀の内心が仕草のどこかに出ていたか、そこでふとステイラ公は優しげな口調となった。
「気を落とさずともよい、参謀よ。お前のその過敏な臆病さがいつか私を救うと信じて傍に置いているのだから。ただし、今回のことにはこれ以上異を立ててくれるなよ。未来の賢者殿も私がセストバルを領地とするのを今か今かと待ち侘びておいでなのだ」
「我が国の賢者殿のためにも、彼が用意してくださった武器を実戦にて存分に振るわせてもらいましょう!」
「おっと戦隊長。未来の、を付けるのを忘れないでくれたまえ。彼は賢者とだけ呼ばれることをひどく嫌う。今はまだ認められていない自分がそう呼ばれるべきではない、とな」
「誇り高い御仁ですな!」
軍備拡張の発端でもあり、また武器や防具にも革命をもたらした『未来の賢者』への厚い信頼は、戦隊長を始めとした兵士一同にも共通しているものだった。彼らも、公の側近の多くも、そして誰よりも公が信じている。未来の賢者がもたらすであろう輝かしい大ステイラ公国の未来を。
「遺恨あれどセストバルなどほんの手始めに過ぎん。やがては新王国も、そして他の国も。この東方にある全ての国を支配下として、ステイラは次なる帝国となるのだ」
今以上の武力、領地、富を夢見てステイラ公は皇帝とならんとしている。果てには中央の帝国をも巻き込み、大陸全土を揺るがす火種になりかねない彼の大望の一歩目となる戦が、もうすぐそこまで迫っている。
果たしてこれでいいのか。ステイラ公国はその歩みをどこかで決定的に誤ってしまっていないか。公と未来の賢者の望むことは本当に一致しているのか──数ある疑問のどれにも参謀は答えを見い出すことができなかった。だが真実がどこにあるにせよ、元より彼にはどうしようもないことではあった。もはやステイラ公の野望は止まりようがないのだから。
無言になった参謀に構うことなく、若き国主は逸る戦士へと告げる。
「命令だ戦隊長。戦に勝て。ただの勝利ではないぞ。力の限り蹂躙し、戦地を敵の血で染め上げ、議論の余地もない圧倒的な勝利を私に差し出すのだ」
「はっ!!」
勇ましい声と敬礼で応えた彼にステイラ公は満足そうに頷いた。
◇◇◇
「セリアも来る? もし怖いならここで待っていてくれてもいいんだけど」
恐怖は人の心を壊す。これまでも度々悪用──否、正しく運用してきたその生理的と言ってもいい作用について、最近特に強く意識させられたところだ。なので同行させる気満々だったセリアにも直前でその意思を確かめてみたのだけれど、彼女の返事には隠しきれない呆れの感情が含まれていた。
「私の力が微々たるものでしかないことは承知していますが、イデア様をお一人で戦場に向かわせるわけにはいきません。お供することをお許しいただけますね?」
「そうか。セリアがいいなら構わないよ、存分に見学してくれ」
ま、彼女が危なくなれば俺が守ればいい。城に乗り込んだときと一緒だ……って、あのときは別にピンチになることもなかったんだっけな。そもそも一切矢面に立たせていないのだからそれも当然で、そして俺は今回もそうするつもりだ。彼女だけじゃなくジョシュアや兵士たちも死なせないようにしないとな……。
「ジョシュアは先に行っているんだよな?」
「はい。王が戦場で直接指揮を執るとは驚きましたが……」
「指揮官になれるのがいないんだろうなぁ。ジョシュアができるってわけじゃないだろうけど、命令慣れしているからまだマシって判断かも」
陣容とかは兵士側の誰かと相談して決めるつもりのようだが、その陣の中に自分も加わって一緒に戦うと聞いたときにはさすがに俺も目が点になった。無謀なんてものじゃない。やんわりとやめといたほうがいいと諭したものの、ジョシュアもこればかりは兵のためにも聞けないと意固地だった。
確かに王が直々に戦列に並んでいたら兵士としてはやる気が出るだろうし、万が一命を落としても息子と娘がいるから王家が途切れることはないとも教えられたけれども、それにしたってなぁという話だ。
そんなわけで俺の戦い方も決まった。色々とやり方は考えていたけれど、セリアやジョシュアに危険が及ばないことを第一とするならやっぱりこれしかないだろう。
開幕、エイドス魔法のぶっぱである。
「何卒王をよろしくお願いいたします」
「ああ、承った」
俺を城内に案内してくれた人と、ジョシュアに苦言を呈していた人が深々と頭を下げてくる。それにしかと頷き、俺はセリアの手を取った。此度の転移先は戦地。宣戦布告があった翌日にも確認だけはしたものの、今はきっとあの日にはなかった熱気が大地に広がっているはずだ。
それを味わうのが、少し楽しみでもある。
「それじゃあ行くぞ、セリア」
「はい」
「──出陣だ」
景色がパッと切り替わり、手を放す。すっかり跳ぶことに慣れて危なげのないセリアも、今ばかりは周囲の雰囲気のあまりの変わり様に息を呑んでいるようだった。かくいう俺の鼓動もいつもより高鳴っている。
ずらっと並べられたセストバル兵。それと平野を挟み、より長大でより分厚い戦隊を築いているステイラ兵。まさに絵に描いたような戦場の空気に、俺は笑うことを抑えられなかった。




