277.未来に
「もう出てきていいよ」
クラエルとフォビイを見送ったイデアが自分以外には誰もいなくなった円卓の間でそう口にすれば。しかし独り言のようなそれを聞き届けた者が確かにいたらしく、すうっと。まるで空間に浮かび上がるようにして何もなかった場所にいきなり人影が現れた。
「どうでした? 先生」
「パーフェクト。どっちもまったく気付いていなかったよ、この場に君がいることを。『晴嵐』と『死生』を欺いた……特に精霊の『目』を駆使するクラエルに欠片もその気配を掴ませなかったのは評価に値するね」
「ということは──」
「ああ、充分に合格だ」
やった、と万感を思わせる笑顔で嬉しそうにするリネット。三百年ほど前に正式にイデア第四の弟子として師弟関係となった彼女は、それより一歩進んでこの度イデアの後継者として育てられることが決定された。普段はあまり感情を大きく出さないリネットだが、今この時ばかりは感じたままの発露を抑えることができないようだった──それも当たり前だろう。何せ後継者の資格は他に誰一人として持っていない、特別中の特別。その候補として指名されてから今日までが(時間的にも労力的にも)とてもとても長い道のりであったのも合わさって、肩書きを手に入れた喜びと達成感は一入である。
「クラエルとフォビイを殺せたかどうかは別として……あの二人も魔女らしくとてもしぶといからね。けれど致命に近いダメージを与えることがあの瞬間、君にはできたわけだ」
いつかオレクテムに不意をつかれて沈黙したように、と記憶も薄れつつある当時の出来事をぼんやりと思い浮かべながらイデアは言った。
「魔女と同等かそれ以上。そう称せるだけの力が確かに君には備わっている──からには、最新最後の弟子リネットよ」
「はい」
「これよりお前を俺の後継者として扱う」
「はい」
「後継、というのは魔女の席の話でもなければリルデン連合国の大統領の座のことでもない。この世界の管理者としての俺を、いずれ君に引き継いでもらいたいと思っている。これは承知しているね?」
「はい」
返事ごとにどんどん重みを増していくリネットの声と表情。どれだけの責任がある立場になろうとしているのか重々に理解できているらしい、と見て取って。しかし少しばかり固くなり過ぎだとイデアは苦笑した。
「『後継者として扱う』、というだけであってそのときはまだまだ先だよ。しばらくはこれまでと何も変わらない……いや、君にはちゃんと会談に加わってもらおうと思っているし、連合国のポストにも就かせようと思っているから、これまでよりずっと忙しく大変な日々とはなるけれど。それも結局は修行の一環だからね。そう気負わずに今まで通り励んでくれたらいいよ」
「先生の後任になることが決まって気負わずに済む人はいないと思います。それこそ、先生以外には」
「言うねえ。そうそう、そうやって軽口を叩けるくらいがちょうどいいさ」
弟子にいつもの調子が戻ったことで朗らかにする師匠へ、リネットは「ところで」と以前から気になっていた部分を訊ねた。
「先生は私が『魔女会談』の一員になることを決定事項のように言いますけど、他の会談員の方に話は通っているんですか? 鳴り物入りだと少し肩身が狭いといいますか」
「ルナリスたちには伝えてあるし承認も得ているよ。魔女名も頂戴済みさ。とはいえ、賢者としての期間をほぼスキップしての魔女昇格だからね。どのみち鳴り物入り感は否めないとは思うけど」
「そーですか……じゃあそこはもう気にしてもしょうがないですね。それより私の魔女名って?」
「『空白の魔女』、だそうだ。なかなかピッタリじゃないか?」
ちょっと考えて、それからこくりと頷いたリネット。真実自分の意見に同調してくれているかはともかく、少なくとも『空白』の字を嫌がってはいないようだとイデアは判断する。これで彼女も立派な魔女の一人である──正しくは会談中に円卓へ登録をすることでそうと認められるのだが。
「ようやく形になったかな。十三の魔女に十四の賢者……人員増加にこれ以上力を入れる必要もないだろう。しばらくはこの二十七の同胞で会談は回っていくことになる。リーネ、言わずもがな君には特段の期待をしているよ」
「活躍しろってことですよね。勿論そのつもりでいますけど、でもけっこうプレッシャーですよ。先生のその言い方」
「あはは、どんなに可愛くとも弟子にはいくらだってプレッシャーをかけるさ。それを乗り越えてもらわなきゃ意味がないんだから……世界のためにも、俺のためにもね」
などと言っても、弟子としても賢者としてもまったく不足なかったリネットのことをイデアは大して心配していなかった。魔女になっても変わらず不足ない、どころか充分以上に自分を満足させてくれるはず。そして行く行くは全ての過程を上り終えて『管理者』へと、自分と同じ高さにまで登り詰めてもらわねばならない、と。
まったくの対等とまではいかずとも、この世界を安心して任せられるように──。
「そこまではきちっと面倒を見よう。君のことも会談のこともね」
「なら、本当に先生が膿を片付けてしまっていいんですか? これも世界の流れであり、それが高まって起こる波の一種だと考えているんでしょう。先々のことを思えば会談だけに対処を任せるのは良い訓練になると思いますけど」
「それはそうだ。だけどこれは本来、管理者がどうにかすべき案件であるのも確かだからねえ。近頃スパルタが過ぎる気も薄々していたから、まあ。今回は俺がやってしまってもいいだろう。どうせまた機会なら来る。流転法に保護されていたって──いや、それだからこそ流れは決して絶えないのだから」
本格的な訓練を行うのは二十七人になった会談の基本的な連携というものを見直し、再構築してからでも遅くはない。というかそれがベターだろうとイデアは考え直した。そのきっかけをくれたクラエルとフォビイに感謝しつつ、リネットへと言う。
「君も皆を手伝ってくるといい。言ったように、時間稼ぎで構わないから膿を抑えておいてくれ」
元凶を叩く際に、その行為が地表の膿にどういった形で影響として表れるか知れたものじゃない。現状の抑え込みにおける人手は充分足りてはいるものの、もしもの場合を懸念するなら使える手を余らせておくべきではないだろう。特にこの子ほど優秀な人材であれば尚更に……というイデアの意思は伝わり、今や師よりも伸びた背で彼女を見下ろしているリネットはしかとそれに応えた。
「わかりました、これをもって賢者時代最後の貢献とさせてもらいましょう。先生の名に恥じない仕事をします」
「うんうん、頼もしいね。それじゃあ地上のことは任せたよ」
その言葉を最後にイデアは落ちた。天空議場の床をまるでないもののように落下し、空へ。遥か眼下に望む帝国へと真っ逆さまに落ち続け──そのままぬるり、とまるで潜水の如くに地中の奥底へと沈んでいく。なんの抵抗もなくするする深度を深めていったイデアはある地点で停止し、今度は進路を横に真っ直ぐ取った。膿の元凶がどこにあるのか。あるいはいるのかを既に彼女は正確に把握済みである。故に問題の箇所まではあっという間に辿り着いた。
「おおっと。これは凄いな」
地中の奥深くにぽっかりと空いた不自然な大空洞。そこに所せましと根を伸ばす植物のような、あるいは蛸のような謎の巨大物質を前に、さしものイデアも目を真ん丸にさせた。こんなものが大陸の底に巣食っていたとは。いったいいつからあっていつから活動を始めたのかはさっぱりであるが。その原因が流れにあると判明している以上、時間精霊を用いてまでそこをじっくりと探ることに意味があるとも思えない。地上で頑張ってくれている皆のためにも手早くやってしまおうとイデアはこつこつと指先で自分の頭を叩いた。
「というわけですので、愛しい姉様方に愛しい妹君。手を貸してもらえるかな?」
と言い終わらぬ内からイデアより別たれる三体の天使。エデン、ウテナ、アビスは強制的に叩き出されたことで渋面を作っていた。
「まるで道具扱いですわね。わたくしたちに拒否権はないのでしょう?」
「しゃーない、そらーオレたちゃ元から道具だもんよ。神サマのイデアにゃ逆らっちゃいけねえさ」
「本懐と言えるかはともかく、論としては正しくもある。指示を出せイデア」
「アレを囲うように四方へ散らばっていただけますか? 縛るのに協力して欲しいんです」
「縛る……アレを?」
アビスが訝しげにしたのも無理はない。あの根のような物体の大きさは尋常でなく、ざっと目算しただけでも縦の全長が百キロメートルは下らないというような規模である。それが横には更なる規模で無数に広がっているのだから『縛る』などと言われてもまるでイメージがわかないだろう。
「なに、これがあるんだから決して絵空事でもないさ」
と言いながらイデアは三人にひとつずつ種を渡した。その黒い塊の正体がなんなのか、さすがに長いこと一心同体でいる彼女らにはすぐ察せられたようで。
「黒樹の種か」
「なるほど、根には根を。あなたお得意の黒樹を生い茂らせて丸ごとアレを覆い尽くしてしまおうという魂胆ですわ?」
「その通りです。一気に縛り上げて、収納空間へ引きずり込む。一人でやるには些か手間ですので」
理解を示した三人は作戦の中身については何も言うことなく指示通りの位置へ散っていった。意見、というかアドバイスのようなものが一切貰えなかったことをイデアは少し寂しく思ったが、文句が出なかったということは即ち賛成してくれたのだと受け取っていいだろう。天使はいずれもダメだと思えばきちんとそう告げてくるタイプである。
「俺も準備しますので、少しお待ちを」
◇◇◇
「ご存知の通り黒樹は柔軟ですから。多少雑に扱っていただいても全然構いませんが、しかしアレに刺激を与える時間は極力短くしたい。上で何が起こるかわかりませんからね。なので仕掛けるタイミングにだけは気を付けてもらっても……いや、念のための補足じゃないですか。子供扱いはしていませんよウテナ姉様」
魔力回線越しになおもぶつぶつと言ってくるので──次姉様は本当にこういう細かなところでうるさい人だ──もう決行してしまおう。合わせてくださいね、とだけ告げて手の内の種を握り潰す。魔力を注がれながら形を崩したそれが極端な膨張を見せるまでに数瞬とかからず、それとまったく同時に巨大根を囲う三つのポイントからも黒樹の氾濫が起こった。
「四方魔力樹海縛陣──よし」
うむ、我ながら見事な早業であった。あっという間に巨大根を隠した黒樹の全体を操り、姉妹のアシストを頼りとして全体を高圧かつ均等な力加減で締め付けて、ぎゅっと。可能な限り圧縮させる。そうやって沈黙させた本体を収納空間へ飲み込みながら、地上へと伸びている幾本もの細い枝根。細いと言ってもあくまで本体比であって人の規格から見れば笑ってしまうほどに太く大きいそれらも、手繰り寄せるようにして一緒に仕舞い込む。はい、これにてお片付け完了だ。そのときにはもう姉たちと一緒に持ち場から戻ってきていたアビスが、こてりと首を傾げる。
「で、結局なんだったんだ? この化け物みてーな根っこは」
「さてね。それはこいつを調べてみて判明するかもしれないし、しないかもしれない。だけどなんにせよ吸収した魔力を違う何かに変換して吐き出すこと。これは興味深い機能だよ。一般的な植物が行なう魔素吸収とも、俺が使う黒樹とも異なる性質。使い方次第では竜材以来の技術革新にもなるんじゃなかろうか? だけど基本として悪性らしいのが困りどころではあるか──」
「うげ。まーた始まったよ」
「放っておけ。この状態だと私たちの声など耳に入らないからな」
「本当に未知が好きな子ですわね。呆れますわ」
当然じゃないか、と巨大根の使い道を思案しつつもきちんと耳に入れている彼女たちの言葉に内心で返事する。未知を求めること以上に楽しい生き方を俺は知らない。そういう意味では定期的に訪れる世界の危機、流れというものも俺にとっては好ましくすらある……何せこのように、まったく慮外の物質を手に入れたり新たな発想の手掛かりになってくれたりと、危機を乗り越えた際に得られるものも大きくあるからして。オルトーの施した完全なる流転法のおかげか、それともそれより上の何某が仕組んだことなのか。こうしてギフトの如く世界が豊かになっていくのもまた流れの一環なのではないかと最近では思い始めている──そしておそらくそれは正しいと、仮説の域を出ないままに心情的には確定の段階にあった。
なんとも喜ばしいことだ。これが事実であるなら、俺はなんの憂いもなくリネットや皆にこの世界を任せられる。安心して他世界を旅できる……なんて、それはまだしばらく先のことではあるけれど。
「上の様子を見にいきます。ほら戻って戻って」
有無を言わさず三人を回収。まだ彼女たちはお喋りの途中だったが俺の中でもそれはできることだ、構わないだろう。この大空洞も何かで埋めとかなきゃな、と考えながら地上へ跳ぶ。一番被害の大きい西方の上空へ陣取ってみれば、あらー。やっぱり巨大根は最後っ屁で相当な量の膿を放出していたらしい。ディータとアーデラ、二人がかりの抑え込みでも前に見たときよりもだいぶ膿に覆われた範囲が広がってしまっている。
「仕方ない。これの処理にも一肌脱ぐとしよう」
会談が成長するためのチャンスは何度となく訪れると確約されてもいる。だったら充分なレベルに達するまでは俺が手助けしてもいいだろう──そうしていつか、俺というこの世界の『絶対』が必要なくなったとき。それが俺の本当の意味での出発の日だ。
「まあ、それまでは。のんびりと育成ゲームを楽しむとしようかな」
目に見える全ての膿を空中へと巻き上げながら。こちらを見上げる二人の魔女に手を振りつつ、まだ見ぬ未来に思いを馳せて俺は笑った。
完結です。ここまでお読みいただきまことにありがとうございました!
新作も投稿を始めていますので良ければそちらも読んでもらえたら嬉しいです。内容はコ◯コロに乗ってそうな感じのカードゲームの作品となっております。下にリンクも貼ってありますのでどうぞよろしく!




