265.形状自在武装
灰を縛った、という事実にかまけて防御を疎かにするような迂闊をイデアは犯していなかった。未知なる領域からやってきた未知なる怪物。それが一見嫋やかな少女の外見をしていようと油断など一切なく──むしろ我が身を顧みて尚のことに警戒度が上がったくらいだ──人体魔化の際にも身の守りを固めたまま、魔力消費の総量を度外視した慎重すぎるまでの姿勢で臨んだ彼女だった。
無論、イデアが操るは無限の魔力。際限のないそれを武器とするにあたって消費量などはなんの問題にもならない。拘束と魔化を並行させながらも防御に割くための魔力不足に悩まされることはなく、万全の備えで──つまりは蹴り脚を停止させた先のそれと同等の守勢を保ったまま受けた、灰の拳が。
「がっ……!?」
魔力を越えてイデアへ痛みを与えた。鼻が潰れた最初の一打よりも軽くはある。が、あれとは状況が違う。いったいどうやって、と頬へ走った衝撃に動揺する暇もなく追撃。合間が短すぎてほぼ同時にすら感じられる蹴りを二発。今度こそ魔力防御を消し炭にしたそれによってイデアは隙間と自身が呼ぶ世界と世界の狭間、その真っ白な地面へと叩きつけられる。
「痛たた……参ったな、これは」
蹴撃によって壊された内臓と骨を修復しながら立ち上がった少女の目の間に、落ちてくるような勢いで灰が降り立った。握り締めた拳をぶつける気満々……といった風情の暴れん坊へ、イデアはふわりと笑いかける。
「だけど学んだよ。お前を相手に近づかれちゃ分が悪いなんてものじゃあないと」
返答はない。とにかく暴力を行使していなければ気が済まないとばかりに地を蹴った灰からイデアは転移で距離を取った。かつての理想領域と同じく、まだ完璧ではないとはいえ己が領域へと変化させている最中の隙間世界においてイデアは目印なしでも──認知範囲に限定されはするが──自由に転移を行なうことが可能である。しかし移動が完了した瞬間には既に灰がこちらへ突進してきているのを受けて、どうも読まれているなと察する。こうして一瞬の時間稼ぎにはいいが攻めのために転移を使うのは控えたほうがいいだろう。移動先とタイミングを察知されるのではともすれば自分の首を絞めることに繋がりかねない……。
「ま、どうせ逃げの一手以外に戦闘で転移を活用することもないんだが」
過去の戦闘経験。強敵たちとの死闘を振り返りながらイデアは収納空間よりそれを呼び寄せる。次の瞬間、自分の間合いまで詰めた灰が繰り出した打突がはじき返された。「……!」薄紅色の瞳に映される赤黒い何か。その正体を読み取らんとする彼女へ魔女は先んじて答えを明かした。
「アクアメナティスの子供たち百八十体。と、エイドス化させた人間の血液を大量に煮込んだ物。を、合体させた形状自在武装。名付けて『血晶体』だ。行く行くは新王国の部隊に標準装備させたいと考えているんだけど、操作するための魔力消費が馬鹿にならなくてね。生成コストについてはクリアしたからそれさえどうにかできれば正式採用も見えてくるんだけど……ご覧の通り操作そのものは何も難しくないしね」
四方八方からの連続攻撃を防ぎながらイデアは楽しげに言った。
浮遊する血液。素早く動き形を変え、液体の柔軟性を保ったまま尋常ではない硬度を得るそれを正面から突破するのは困難と見込んだのだろう。縦横無尽にイデアの周辺を駆け回り様々な角度から攻め入る灰をしかし血晶体が尽く進入路を塞ぎ、攻撃を一打たりとも漏らさずにシャットする。イデアの思考の通りに、そしてまったくの遅延なしに彼女を守護する蠢く鉄壁。魔法式を介さずとも思い描くだけで運用が可能──消耗の荒さを解決できれば最高の汎用武器になるんだけどなぁ、と灰を寄せ付けない性能から改めてそのことを強く実感したイデアは、世界間渡航の方法解明と共にこちらの開発にも一層に力を入れようと決めた。
「血晶体の一段と優れている点はね……なんて説明せずとも、今まさに攻略すべく奮闘しているからには大方の察しも付くだろうから。ささっと実演してしまおうか」
「!」
一際激しく弾かれた拳。中途半端な姿勢で宙に浮いた灰に目掛けて、槍状に変化した血晶体が目にも留まらぬ速度で刺突を叩き込んだ。キューで突かれたビリヤードの球の如くに一直線に吹き飛んでいく白い少女の肉体を見送ったイデアは「どうだい」と自慢げに胸を張る。
「形状自在、ということは攻防自在ということだ。守りに固く攻めに易い。変化速度の秀逸はそのまま攻勢に転じた際の脅威に裏返る……イメージした瞬間にはもう攻撃が終わっているんだから素晴らしいだろう」
白兵戦であれば完孔体にでもならない限りはこれを操ったほうが余程に楽だし強い。現にあれだけの腕力に機動力を有している灰を、こうも余裕をもってあしらえているのがその何よりの証明となる。生憎と血槍がクリーンヒットしたにも関わらず灰の体が傷付いていないことは手元に伝わった──正確には脳にダイレクトに返ってきているのだが──感触で確認済み。恐るべき堅牢さだが、されどまったくダメージがないということもあるまい。突いた瞬間に僅かながらに眉根の寄った灰の表情からそう確信しているイデアの考えは、実に正しかったようで。
怪物を次の段階へと進めてしまっていた。
「……なに?」
きめ細やかに流れていた長髪がざわめき、薄紅の瞳はその色味を増し。全身から闘気を可視化させたような不可思議な白いオーラを立ち昇らせている灰の姿は、明らかに。
(明らかに出力がハネ上がっている──おっと?!)
探るまでもなく変貌を遂げたと理解できる様子に、何かしらリアクションを示そうとしたイデアだったが。接近、というよりも距離という概念の破壊と称すべき速度で迫る灰にそんな悠長をしている猶予などなかった。一歩一瞬。メートルよりもキロメートルを単位とするに相応しいだけの彼我の空間が即座にゼロとなる。その理を踏み躙る踏み込みに呆れる猶予もなく即座に血晶体を動かす。肉迫と同時に付き出された灰の腕、その経路に差し込んだ血の壁を三重にしたのは無意識化のことだった。
「っぐ、まさか……!」
だがその無意識が功を奏した。先ほどまでは一枚の壁で難なく凌げていた殴打が、二枚半。三層目の壁にまで届いた上でそこに亀裂まで生じさせている。その事実にイデアは驚愕しながらも、咄嗟に血晶体の変動に灰を巻き込ませた。そうすることで身体の自由を多少なりとも制限させようという目論見は──。
「……、」
「ちぇ。物ともしちゃくれないか」
持ち上げられ、地に足付かないままの無造作の蹴り。それによって硬度を高めていたはずの血晶体はまとめて薙ぎ払われ、砕かれ、まるで赤い雹のように辺りへ散らばって降り注いだ。この状態からでも再生は容易く、まだ血晶体は死んでいない。ただし武装を剝がされた本体は死に体だった。蹴りの勢いを止めないまま反転、からの空中回し蹴り。思考と同時に変化を完了させる理屈上、速度面で後れを取ることなどそうはない血晶体の再結集よりも遥かに早く。的確にイデアの頭部を捉えたその一撃は『そこ』をごっそりと消失させた。
パン、と軽い音を立てて。バットで打ち据えられたトマトよろしく頭を爆ぜさせた少女。それによって血晶体とのリンクが途切れてただの混ざり者の血液へと戻る。血溜まりの中に自身の血も加えながらどちゃりと倒れ伏したその身体が──頭部をなくしたままに起き上がる。
「……!」
排除完了、とは見誤っていなかった灰もこれには驚いたらしい。生き物にとって、特に人間の形をしていれば尚更に、どんなに特殊な力を秘めていようと脳は主要部位である。程度に多少の差こそあれど何かしら重大な役目を担っていることに『ほぼ』変わりはない。その出自の都合からとても戦闘経験が豊富とは言い難い灰ではあるが、されどそういった超常的一般常識。彼女の製作者が持っていた知識はフィードバックされており、当初よりイデアの頭を中心に狙っていたのはそれが関係している。
しかし。脳を失くしても死なない生物はまだしも珍しくないが、しかしだ。頭部を潰されたままでも動き出し、そして瞬きよりも短い間に頭部が復元される。そんな生物は珍妙も珍妙だと断言できる。別世界において神と呼ばれる存在から受け継いだ膨大なデータベースの中にも、そういったモノは『数えるほど』しかいない……。
自然、構えを取る灰。障害となり得る者を先に排し、元々の標的である鼠少女を仕留めんという思考なき思考を改める。手早く殺せる相手ではない。そうと理解したことで初めての戦闘体勢への移行を行なった彼女に対し、イデアもまた一張羅のローブを仕舞って黒いツナギ姿となった。
「やれやれ。俺のそれとは種類の違うパワーアップというわけだ。しかも魔力防御といい血晶体といい、ひとつの技が長時間通用することはないと。見切るというか越えてくるというか……なんにせよ厄介極まりない。これで失敗作とは恐れ入るね。是非とも製作者と会って話がしてみたいが、そのためにはまずあの子の安全を確保してやらなきゃならないわけで」
恨んでくれるなよ、と言った少女の体がぐんと伸びる。その変化にも灰はあくまで無言を貫いたが、されどその薄紅から深紅へ深まった双眸が確かに細められた。それは先のイデア同様、敵の明らかな『進化』を見届けたからこその警戒。
「──完孔体の解禁だ」




