263.別世界からの
一応言っておくとマニの料理はリネットにも好評だった。いやーよかった、これで俺の舌が彼女の味に慣れただけではないと証明されたことになる。
何年か前は食べてものすごく微妙な顔をしていたあの子が忖度なしでの評価を約束し、それでも「美味しい」と言ったのだ。以前と比べれば、という言葉が頭に付きはするもののそれでも進歩は進歩。心なしかマニも嬉しそうにしていた。アルフからしごかれて結構な速度で仕事を覚えた彼女だが、料理の腕前に関してだけは十年前からずっとそれなり程度でしかなく──食べられなくはない、という意味でだが──明確な成長限界として立ち塞がっていたのだが、その壁を見事に打ち破ったと言えるだろう。そこは思い切り讃えてあげるべきだ。
「遅くまですみません。それに昼も夜もご馳走になっちゃって」
「そこは謝るんじゃなくてありがとうと言ってほしいなリーネ。俺と君の仲じゃないか」
「ふふ……じゃあ、ありがとうございました。マニさんも。次もまたよろしくお願いしますね」
「ああ。次は五日後だ。忘れないようにね」
「どちからといえばそれは私が言うべきなんじゃ?」
「その通りだ」
反論もなく認めた俺にリネットはもう一度楽しげに笑って、一礼とともに消えた。転移である。当初は帰宅も徒歩で、と考えていたらしいリネットだがさすがに九歳の少女が夜更けから外を歩くのはよろしくないと言い含めたのを聞き入れてくれた形だ。あの子の実力なら万にひとつもないとは思うが、しかし何が起こるのかわからないのが世の常。億にひとつなどという馬鹿げた可能性に泣きを見てはそれこそ馬鹿げているので、安全第一に越したことはない。一月の空白を取り戻すように丹念な講義を行った後でもあるのだし、やはり文字通りの直帰がベターだろう。なんだったら俺が一緒に夜の道を歩いて送り届けてもよかったのだが、そこまで迷惑はかけられないとリネットのほうがそれは断ってきた。
迷惑などとは思わないし、リネットにかけられる迷惑であればむしろ歓迎したいくらいであるのだが、それは目上からの意見。疲労がのしかかる帰り道でまで先生相手に気を使わなくてはならなくなる生徒の目線もきちんと慮ってあげるべきだろう。というわけでこうしえあっさりとしたバイバイを済ませてのち、食卓の上を片付けているマニへ俺はこのあとの予定を告げた。
「これからまたしばらく地下にこもるよ。まあないとは思うけど、もしもアポなしの訪問者があれば俺は不在だと言っておいてくれ。……あ、うちの城の住人たちと、お前が名前を知っている魔女と賢者なら誰であってもその限りじゃない。来訪をすぐ知らせるように」
「かしこまりました」
しっかりとした返事に俺は頷く。ここまで念を押せば大丈夫だろう。アポなしを追い返せ、というだけではセリアのようなほぼ身内ですら弾いてしまうほどジャッジが厳しいと判明したからにはきちっと例外についても言及しておかなくてはならない。地下へ籠る際にはその都度に──まるでセキュリティシステムをいちいち作動させるかの如く──居留守の指示を出さなくてはならないだけでも若干面倒だというのに、これからはより細かく伝えなくてはならないわけか……ま、仕方ないな。システマチックの利便と不便だ。そういう風に彼女を仕上げたのは俺であるからして、そこに文句をつけてもしょうがない。というか筋違いであろう。
感情だとか個人的な思想に左右されず、言われたことだけを必ずやり遂げるのがマニの良いところであり悪いところだ。その個性を持ち主たる俺が愛してやらねば道具が不憫過ぎる。ということで、脳内にある彼女の使い方ノートの一ページにまたひとつ新たな記入をしてから、階段を下りて地下室へ向かう。扉へ魔力を流して開錠、そして入室。特段に鍵をかける必要もないほどがらんとした何ひとつとして物のない空間に俺は佇む。
大切なもの。より正確には奪われたくないが自衛の機能の無いものにおいては全てポケットエイドス──収納空間に仕舞ってある。先ほどリーナからの贈り物であるコスメセットが新たにラインアップに加わったわけだが、アレはまあ……や、大切なものであることに違いはないので収納空間に入れておいて間違いはないだろう。想いのこもったプレゼントなのだ、奥底に丁重に飾っておこう。そして触れることなく拝むだけにしておこう──で、それはともかく。言ったようにこの地下室は何も置かれていない正真正銘のがらんどう、ではあるのだが。それでも鍵をかける意味はないこともない。
不思議な言い回しに聞こえるだろうが何も不思議なことじゃあなく。先ほども実演してみせたようにここは俺が行き来する基点である。そうしやすいように工夫がしており、それに加えて何度も空間に穴を空けてきたことで癖というか傷跡というか。とにかくスムーズな開閉が行なえるようになっている少しだけ特殊な場所でもあるのだ。その特殊性を活かせる者がこの世界にはおそらく……いや、ほぼ確実に俺以外には存在しないが、されど『何が起こるのかわからないのが世の常』。念のために地上階に輪をかけて地下への出入りは厳重なチェックシステムを作動させており、転移はもちろん攻撃呪文等での強引な突破もできないようにしてある。
ちなみにその仮想敵は魔女クラス。魔法使い殺しの異名を持つルナリスであっても──ん、魔法使い封じだっけかな? まあどっちでも一緒か──たとえ例の真月球を用いて全力全開で挑んだとしても破ることはできない。そういう防壁をここには組み込んでいる。何気に自信作だ。どこにでも設置できるわけではないのが唯一にして大きな欠点ではあるが、そこに目を瞑れば防衛面においてこれ以上のものはないと断言できる。今後もっと上のものを作るつもりではあるけどね。
将来的にはともかく、現状できる万全の守りを敷いてまで何をそんなに警戒しているのかというと……言ったようにこちらの世界の誰かが悪用するのを防ぐため、というよりむしろその反対。世界の外からやってくるかもしれない何某こそを俺は警戒対象として見ている。何もそういった予測が立っている、というわけでもないのだが。しかし世界の外側を、正しくは世界と世界の隙間らしきスペースを発見してしまったからには、別世界からの来訪があるのを用心しない手はないだろう。
もしもこれらの予想が全て悪いほうへ悪いほうへと当たってしまった場合、竜人による外苑陸地からの侵攻などよりもよっぽど厄介で止めようのない最悪の事態となることは想像に容易い──それを未然に阻止するのが、僅かとはいえ危険性を見出した俺が為すべき使命のひとつ。一応は世界の管理者の立場を引き継いだ身としては当然それくらいやっておかなくちゃならない。まあ、かつてオレクテムにも語った通り。別に立場上の使命などという重たいものがなくとも、俺は俺のためにこの世界をしばらくの間は何がなんでも守り通す所存ではあるけれど。
とまれ、俺としては最高峰と断じられるこのセキュリティも別世界の住人に通用するかは確証がない。何せ別世界なのだからね。こちらの世界においても大陸と外苑陸地で文化も技術もまったく違ったくらいなのだから世界の壁を隔てればその差異はもっと大きく、そして決定的なものとなるだろう。ともすればこちらでは最強などと謳われる俺でも手も足も出ないような途轍もない怪物がやってくることだって考えられはするわけで。
どんな理由にせよ俺がお手上げの場合は、そいつがなるべく心優しき怪物であるのを祈る以外にないね。オルトーの望む形で創造されたこの世界が所々において彼や俺が元いた世界と類似点や共通点を持っているように、新たな世界もまたそうかけ離れていない類似世界である可能性もあると言えばあるのだが……だからといって脅威度や友好度に都合のいい目が出てくれるなどとは思わないほうがいいだろう。
完全なる未知。そう見做して出来得る限りの対処を行なっておくべきだ。
「よし、どこにも異常はなし」
いつもの声に出してのチェック。地下室そのものも、俺が出入りする見えない扉もセリアたちに呼び戻されたときのままの状態でここにある。目を離した際には必ずこうして意識的に変わったことがないかを確認するようにしている。こういうのはしっかりし過ぎて損はないからね。離れていても何かあればすぐ気付けるようにセンサーと俺自身を直に繋げているけれど、二重三重のチェック体制はあって然るべきである。我ながら自分の用心深さに少し呆れる思いもあるが、まあ誤魔化すまい。俺は世界一の小心者だし、別にそれでいい。最強と言われておきながらここまで怖がりなのだからそこは否定できない──そしてだからこそ今の俺がある。
「未知の怖さよりも『知りたい』という好奇心が勝ってしまうのは、安全上よろしくないことではあるが。だがそれでもこればかりは我慢しようもない……どうせ停滞は死に同じなんだしな」
部屋の中心まで進み、手を翳す。いつも通りにそこにある扉を開けて世界の外側へ出かけようとして──その瞬間に感じ取る。今までにない奇妙な反応。扉の向こうから伝わるこの脈動は。
「おいおい。まさか本当に来てしまったのか? ──別世界からの来訪者が」
さて、だとすればファーストコンタクトはどのように仕立てようか……まあそれは概ね相手次第であり、悩むだけ無駄というものではあるけども。




