262.先生の生徒なんですから
「俺が目指す、先か」
「はい」
「どうしてそんなことを気にする?」
「純粋に気になったから」
「……」
「本当です、ただそれだけ。だって先生は辿り着いてしまっているじゃないですか。誰も追い付くことのできない場所に……それ以上がない場所に立っている。なのに」
「なのに?」
「まだどこかを目指している。何かを欲している。私はそれがなんなのか知りたいんです。最強の先に、その頂きよりも上に何があるのか。先生だけに見えているそれを知りたい。私が訊ねているのはそれだけの意味です」
「『知りたい』。なるほど、重要なことだね。ともすればこの世で最も大事なもののひとつだろう──好奇心。猫すら殺すそれを人が抑えきることなんて土台無理な話。君がその興味をどこまでも純粋に発露してくれたのを、俺は祝うべきに違いない」
考えてみれば。唯々諾々と俺に従うことをしても、教師と生徒の一線を越えようとはしてこなかったリネットだ。言うまでもなくそれは俺に対する敬意や、彼女の子供らしからぬ客観性がそうさせたものではあろうが。しかしそれ以上にともすれば、どう切り出していいものかわからない、触れてしまっていいのかどうかわからないという戸惑いが、リネットに一歩引いた態度を強要させていたのかもしれない。自重、というよりも自縄の類い。それによって彼女は今まで聞きたくとも聞くに聞けないジレンマに陥っていたのかも──そしてそれを、ようやく今このとき。自らを縛る縄を破って問いかけたのかもしれない。
頂きの先にあるものは何か。ストイックに成長を求める彼女自身、いつか突き当たることになるゴールはどこか。ゴールしたとして何があるのか、何を得られるのか。という『答えのない』質問。いや、より正しくは人それぞれに答えがあり、そして決して他者と同一のものがないのだと言うべきだろう。つまりは普遍性がない。どんな結論にしたってどこまでいっても自己満足の範疇でしかない──それはそうだ、何故ならばどの分野であれ今よりも上を目指すことは畢竟、根本にあるのは自己満足でしかなく。利己的な欲求でしかないのだから必然として、果てにあるものはそれの発展ないしは究極となる。
目指すが故に本来なら辿り着けない場所。自己満足の果てになんの因果か辿り着いてしまった先人たる俺に、リネットは破格の才者として。その自覚を持って真正面から問うてきている……ならばこちらもまた礼を尽くさねばなるまい。真摯に受け止め真摯に応じてやらねば教師失格となってしまう。
「迂遠な物言いは求めちゃいないだろうから、端的に言ってしまえば。俺はまだどこにも辿り着いていない。まずはそこの勘違いから正しておこう」
「…………、」
「わからない、って顔だね。君が受ける印象とも、アーデラから聞いた話とも『違う』と感じているんだろう? それは正しい。君の魔法的感覚は正常だしアーデラだって嘘八百を並べ立てたわけじゃあない。確かに俺は目指した場所に立っている……でも忘れちゃならないのが、ここが『第二のスタート』でしかないという点だよ」
「第二の、スタート」
「長くかかった。ただの人間からすれば途方もないくらいの長い時間を費やして辿り着いたこの場所も、本当の目的地までの休憩地点みたいなもの。ほっと一息いれて、よくぞここまで来たなと後ろを振り返って、でもすぐにまた前を見て進む。もっと先を目指す。君から見た俺の姿とはそのものずばり、強さの先にあるものを欲しているんだよ。まずもって強さ自体が目的のために勝手についてきたものであって、俺はそれを欲していたわけじゃあないんだけどね」
「……そうだったんですか。自他共に認められる世界最強が、ただのついでで手に入れたものだったなんて」
「思いもよらなかった? ああ、だからそんなにも不思議がっていたのか。俺が若い時分には君のように、懸命に修行して必死に強さを追い求めていたんだろうと。そういう間違った前提の下に俺を眺めていたんだね」
「はい。そうでもなければ神と呼ばれたほどの人物を倒せるはずもない、と」
「──うん?」
とそこで首を捻る。『神と呼ばれたほどの人物』……? それってひょっとしなくてもオレクテムのこと、だよね。いやいや、なんでそんな言葉がリネットの口から出てくるのだ。
十年前のあの一件は、決着の後にしばらくしてから中央主要国を手始めとして大陸中に知れ渡った。というか『魔女会談』側から打ち明けた形だ。そうでもなければたった半日程度とはいえ帝国中枢の機能的麻痺、そして長期に渡る(ことになった)クラエル不在の言い訳が立たないので、そうする以外になかったと言うべきか。しかしやむを得ずにそうしたというだけでなく、あの頃にわかに世間を騒がせていた俺の名と、新リーダーの素早い選定と、その力強い宣言、そして会談内部のゴタゴタが知られた瞬間にはもう解決済みであったこと……それら多々ある要因が重なって──言い方を変えれば有効活用したことによって──混乱や不信も想定以内の範囲で収まり割かしどうとでもなったのは、実に助かった。
けれどもだ。
打ち明けた、と言っても何から何まで正直に白日の下に晒したわけではなく。会談から離反者が出たこととその対応に追われた流れだけは一般市民も把握するところであるが、細かな内情に関しては無論のこと伏せられている部分のほうが遥かに多い。世間には正しく知られていない中央賢者の役割を始め、オレクテムという男がどういった人物であったのか。特にその出自や死に際については間違っても会談外に漏らしてしまっていいものではない……はずなのに、何故かリネットは知り得ないはずのことを知ってしまっているようで。そのことに俺は盛大に引っかかったのだ。
「オレクテムは歪んだ野望の持ち主で、自分が魔女を超えた存在であることを証明したがっていた。そして裏切って最後には敗れた。あくまで賢者として歯向かって賢者として死んだ……と、そうなっている。それが世間での理解のはずだ。あいつが神を目指していたことも、それに成りかけたことも、俺の手に掛かって死んだことも会談員しか知らない最重要機密事項のひとつだ。それをなぜ君が存じているんだ──なんて、聞くまでもないことだね。アーデラのやつめ、俺の情報と一緒にそんなことまで話したのか。いくらなんでもけしからんな」
「いえ、これはミルコットさんから聞きました」
ああ、なんだそっちね。なるほどなるほど。ミルコットであればうっかり話しちゃっても仕方ないな。などと、それで済ませられるものではないが。どっちみち俺の弟子の不手際であるのに変わりないし……次に会ったときには久方ぶりに厳しめの折檻が必要だな、あの子には。
「まあ聞いてしまったものは仕方ない。そうだよ、確かに俺は神……いや、あのときは魔神と名乗っていたっけか。魔神をこの手で消した。その前には竜王を、その前には創造主を。各時代に君臨するに相応しい正統な支配者たちをこの手で葬ってきた。だけどもう一度言わせてもらうが、そればかりが俺の目的じゃなかった。そのために強さを求めてきたんじゃあないんだよ。単に俺のやりたいことの難度が高すぎるあまりに、それを成功させるためには世界で最も強い力くらいは当然に手に入れてなきゃいけない。それくらいハードルが高かったものだから結果としてそうなっただけでね。だから当時の俺とも、今の俺とも。今の君が持つモチベーションとは近いようで遠く、遠いようで近いものだと思うよ」
そう告げるとリネットは考える様子を見せた。ただその時間はごく短いもので、すぐに彼女は結論を導いたようだった。
「よくわかりました。イデア先生を参考にするのはひとまずやめます。元々私は賢者を目標にしていて、その目的も単に『なんとなく』。自分が持っているものを無駄にしたくないから、という……先生が言うところの勿体なさを嫌ってのことでしかありませんから」
「なるほどね」
彼女にとっての最終目標である俺が、あまりにも遠くて。魔法の勉強をすればするほど、自身の成長を実感すればするほど遠のいていくようにすら感じられて、ずっとモヤモヤしていたのだという。そこに何かしらの──肯定的にしろ否定的にしろ──答えとなるものを示してほしくての、この質疑応答であったのだな。しっかりと教え子の期待に応えられたかというとちょっと自信はなかったが、リネットのさっぱりとした顔を見るに少なくとも彼女自身は満足してくれたようである。
「以前に先生は私を貪欲だと言いましたね。だけどいっそ、もっと貪欲になって。けれどもっと余裕も持って学んでいきたいと思います。先生のように最強すらも物のついでにしかならないほどの、他に目指すべきところ。そういうのが見つかるまではまずどこまでも強さを追い求めてみようと思います。いつか目標が変わるにしろ変わらないにしろ、それはあって困るものではないはずなので」
「素晴らしくクレバーだね。リーネはそれでいいと思うよ。なんとなく程度でも間違いなく一角以上にはなれるだけの素質があって、手前味噌ではあるが教育環境だって最高水準なんだから。……ちなみにだけど、俺が本当は何を目指しているのか。強さの先に見ているものがなんなのかをまだ答えていないんだけど。それはもういいのかい?」
そう訊ね返してみれば、リネットはふわりと笑って。
「どうせ教えてくれないんでしょ? それくらいわかります。だって先生の生徒なんですから」




