261.才能とは
今日のリネットはいつにも増して絶好調だった。まさか難度八まで進むとは思ってもみなかったが、さすがにそこで限界がきたので二十分ほど時間を取る。水分補給させつつ脳を休ませて、その後は毎回必ずやっている干渉力対決。興が乗り過ぎて部屋の外にまで影響を出してしまいマニから注意を──本人としては単なる報告のつもりだろうが──受けたり、これまた定期的に行っている魔力操作の見直しという基礎的な部分を確かめさせたりして、本日の授業はここまでとなった。途中途中に休憩を挟んでいるとはいえ勉強が終わる頃にはいつもリネットはへとへとになっている。
「お疲れ様」
「おつかれ、さまでした……」
座り込んで息も絶え絶えのまま、しっかりと挨拶は返してくるリネット。うーん、複雑な魔力操作に臨む彼女への妨害……最後ら辺はちょーっとだけやり過ぎてしまったかな? 弟子や魔女たちに言わせれば俺の魔力は重々しくて禍々しいらしい。波長からくる性質の影響かな。自分ではあまり変わっているとは思わない、というか禍々しさなんていうあやふやなものはちっとも感じ取れないのだが、皆がこぞってそう指摘するからにはそうなのだろう。
なので単に圧をかけるだけでもリネットにとっては、いくら彼女が世紀の天才児といっても相当に苦しくてキツいはず。そうとわかっていながらもっと圧をかけてもっと苦しめた。無論、常人には耐えられないような仕打ちでも彼女であれば超えていけるだろうという確信があってこその行為である。
ただ虐めているのではない。言うなればこの苦行は、異端の才能を持ちながらも人並み以上の努力まで行う、貪欲な彼女が払うべき代償だと言える。
元から人にはできないことができてしまう。そんな人物が『成長』と呼べるだけの変化を遂げようと思えば、常人と同じような扱いでは意味がない。幼児が転ばずに五十メートルを走り切れば褒めてもいいがリネットはその例で言えば短距離走のオリンピック選手。ただ走っただけでは、それが本人なりの精一杯の走りだったとしても、とてもではないが褒めてやれない。もっと突き詰めたトレーニングを実行した上でそれに見合った、見合った以上の結果も出す。彼女に求められているのはそれなのだ。そして求めているのは俺ではない……や、もちろん彼女を育て上げることに最も熱心になっている教育者は俺であると断言できはするものの。しかしあくまでもリネット・ジルモアの成長を一番強く望んでいるのは、他ならぬリネット本人。決して優しいものとは言えない俺の指導を拒否せず、文句のひとつも零すことなく、むしろ厳しい鞭に打たれることを自ら望んで今日まで受け続けたのはまさしくその精神の表れである──そう、彼女は誰より飢えているのだ。
才能がある、というだけに満足せずその先へと進もうとすること。それはどこか俺とも重なるところのある、しかし俺以上のひたむきさであった。……だからこそこちらとしても手を抜けないのだ。才能とは美しくて脆い、ガラス細工の芸術品のようなもの。その存在はそれを持ち合わせない人々の目を奪うが、しかしふとしたことで容易く罅が入り、そうなれば自重で呆気なく崩れ去ってしまう。あとに残るのは空っぽになった元才人だけ。そういった危うさ、常人にはない危険性を孕んでいるのが突出した天才というもの。
やけに実感がこもっているとお思いかもしれないが、実際そうなのだ。俺はそういった人物を多く目にしてきている。エイドスを手中に収め疑似的なこの世界の管理人の座についている俺は、そのおかげかせいか。だいぶ朧げになっていた前世の記憶も概ね正確に蘇っている。段々と自信をなくしかけていた元の性別も確定したし、名前や生まれ育った環境。どの学校に通いどの職種につきどう死んだか。その享年まではっきりと──と言うにはまだやはりどこか、他人の人生を走馬灯の如く追体験しただけといった感覚ではあるが──思い出すことができた。まあここで記憶の内容の一から十までを詳らかにすることはしないが……その行為に特に意味があるとも思えないのでね。
ともかく。前世の仕事柄、俺は多くの『挫折した天才』を見てきた。……んん、この言い方はバイアスがかかっているというか「かけさせたがっている」というか、まるで罪の意識から逃れようとしているようで自分でも気持ちがよくない。故に言い直そう。才ある者を追い込み挫折させ、無為な廃人も同然にしてきたのが俺だったのだと。弁明しておくと天才を潰すこと自体を目的としていたのではない。目的のためには結果としてそういった被害、いやさ犠牲は避けられなかった。ただそれだけの話だ。
それに関わっていたのは当然に俺一人ではなく、むしろ俺は末端の一員として使い潰される側でもあったのだが。替えの利く一山いくらの人材というやつだ。だがなんの悪戯なのか俺は入れ替わりの激しい職場においても長く勤め、気付けば古参の一人としてそれなりの出世も果たしていた。最後には使われる側から使う側になっていた……けれど、そうやって人を動かす俺もまたもっと上から動かされている身。そこは結局のところずっとずーっと変わらなかった。
別に殊更悲しいと思って生きていたわけではないけども、しかしそこそこに虚しい人生であったことをよく覚えている。
……このままだと脱線してどこか見果てぬ荒野にまで列車が行ってしまいそうなので話を戻させてもらうが。とにかく俺が言いたいのは、多くの才能を消費してきた経験からもう二度とそんな真似はしない。そんな勿体ないことはしたくない、という意思表示である。その脆さ、その美しさを知っているからこそ、それを踏みにじってきた俺だからこそ大切に慎重に。今度こそ間違えずに育て上げてみせる──そういう傲慢で自分本位な約束をリネットと交わした。
敵以外との約束であれば可能な限り守る。それが俺の信条であるからして、必ずや彼女を一流に……否、一流以上に仕立ててみせようではないか。
「先生、少しいいですか」
「うん? なにかな」
決意を新たにしていたところ、ようやく息が整ってきたらしいリネットが何か教えてもらいたそうな目で見てくる。まだ立ち上がることはできそうにないのでひとまず俺も彼女の前に座り込んで、目線を合わせてから言葉の続きを待てば。
「アーデラさんから聞きました」
「アーデラ……ああ、そう言えばこの一月の間に君の様子を見るようにと頼んだっけな。彼女からの報告らしい報告はなかったけれど、何かあったの?」
変わったこととか、そうでなくても少しでも俺の耳に入れておくべきだと思えることであればすぐに知らせてくれ。と、アーデラには頼んでおいた。三弟子はいずれもがリネットの講師代わりを務めた経験があり、中でもアーデラは最も教え上手な教師向きの女だ。しばらく俺が見れない代わりに代替として彼女をあてがったのだが……もしやあいつ、また俺に対するちょっとした悪意を以て妙なことをしたんじゃないだろうな。それでもしもリネットに変なちょっかいをかけたのであれば許せないぞ。
「いえ、変なことは何も起きてませんしされてません。アーデラさんの授業はごく普通に始まって、ごく普通に終わりました。とてもためになったと改めて私からのお礼を伝えてもらえませんか」
「あ、そう……それはいいけど。じゃああいつから聞いたっていうのはなんのことだい?」
「イデア先生の本当の実力について、です」
「…………」
「私では大まかにしかわかりませんから。先生は強い。とても強い。アーデラさんやミルコットさん、ノヴァさん。先生に弟子として鍛えられたっていうあの三人も強いですけど、明らかにイデア先生はレベルが違いますよね。強すぎるくらいに強い。前からなんとなくそう感じてたんですけど、アーデラさんから確証を得ました。大人の姿になったイデア先生は言葉通りの『最強』。誰も敵わないどころか誰も挑む資格すらないくらいだ、と。そう教えてもらいました。よくないことでしたか?」
「ん……いや。何も隠し立てていたわけじゃあないんだけどね」
けれど殊更に打ち明けるつもりがなかったのも事実だな。
リネットが優れた魔法的感覚によって、未だ見せたことのない俺の真の実力についてもなんとなく察しがついていることは知っていた。そしてそれくらいの理解でちょうどいいとも思っていたのだ。俺の力、特に完孔体の底。底無しの底まで見通してしまった場合、どんなに努力しても「おそらく」辿り着けないであろう境地を目の前にして、リネットが何を思うか。それこそ挫折したり、あるいは上を目指すことが馬鹿らしいと感じるようになったりしないだろうか──そう恐れなかったと言えば嘘になってしまうだろう。
だけどもどのみち、この子が相手ではそう長く隠し通せるものではない。それだってわかり切っていることだったのだからぺらぺらと喋ってしまったらしいアーデラを叱るのではなく、むしろ良い契機をくれたと感謝でもしておくべきところなのかもしれない。
「確証を得た上で、訊きたいことがあるんです」
「訊きたいことね。それは何かな」
「イデア先生が目指す『先』について」
至極真面目に、真剣に。リネットは真っ直ぐに俺を見つめていた。




