25.やろうよ戦争
イデア新王国とセストバル王国は隣国と言っても、間に別の国がないというだけでそれなりに離れている。その前提を再確認した上でジョシュアはセストバル王国周辺の事情について語り出した。
「我が国から見てそちらの新王国とはちょうど向かいの位置にあるもうひとつの隣国、『ステイラ公国』は国境で接するまさに隣人だ。彼の国の成り立ちは少々複雑なものとなっている。というのも、遥か昔には元々このセストバルの領地も含めて様々な小国家が乱立し争っていた歴史があるからだ。衝突と併呑が繰り返される中でやがて一方のステイラと一方のセストバルとに別れ、どちらが真の支配者となるかの最終戦が起こった。そこでは我が先祖である初代セストバル王が勝利を収め、広く領地を勝ち取ったと国史に記されている」
「勝ったのに得たのは一部の領地だけ? 流れからするとステイラそのものがセストバルに飲み込まれてなきゃおかしい気がするけど」
俺の疑問に「そこなのだ」とジョシュアは難しい顔をした。
「ステイラ公国は初代セストバル王に存在を許されたことで今に続く国家だ。何故本来の目的であった併呑をせずに別国のままとしたかは理由が記されていないのでわからない。ただ、争う内に損耗を嫌った両国間で一部領地の譲渡を手打ちとする取り決めがあったのではないかという説が有力だ。そのとき優勢だったセストバルを勝者とし、その後の不干渉を約束に致命的な傷を負う前に戦争を終わらせたのだろう、とな」
あり得そうなことだ。いくつもの小国の群れがふたつの大国に化けて争うことになれば、それまでの戦とはまるで規模が違ったはずだからな。戦争の最中に「これ以上戦い続けるとマズくね?」と我に返ったとしても不思議ではない。
そうなれば、追い込まれている側のステイラが敗北の汚名を被ってでも手早く戦いを終わらせようとするのは何もおかしくない。反対に追い込んでいる側のセストバルはそれを好機と見てより苛烈に攻め込みそうなものだが、初代王が敵国にも容赦をかけるほど徳のある人物であったか、それともセストバルにはセストバルで兵力や物資の余裕が実はなかったのか。
なんにせよ双方の合意を以って最終戦は終結したわけだ。
「しかしだ。なにぶん古い時代の話で、初めて経験した長い戦時中のことでもある。大まかなことは国史にこそ年表として残されているが、一連の出来事について詳しく説明された文書がどこにもないのだ。具体的に終結時どういった取り決めがあったのか、どちらに正当性があるのか判断のしようがない」
「正当性……?」
そんなものが戦争にあるはずもない。なので、強いて言うのであれば結局は勝った側が正しいということになるだろう。領地を勝ち取ったと表現しようと奪ったのだと表現しようとそこに違いなどない。今そこはセストバル王国のものになっている。それが全てだ。
「どうしてそんな古い話の正当性なんか気にする?」
「ステイラ公国が急にこう言い出したからだ──『初代ステイラ公の受けた屈辱をなんとしても晴らす。不当に土地を支配しているセストバル王国は速やかに我が国へ領地を返還しろ』とな」
「なんじゃそりゃ」
無理くり喧嘩を吹っ掛けてきているようにしか聞こえず、顔をしかめてしまう。そんなことを言われても無視すればいいんじゃないのか。と思ったけれど、路上の酔っ払い同士ならともかく国と国の対話においてそれは許されないようで。
「対外的な状況が悪い。確かに、途中で手打ちとなったにしてはステイラに比べ我が国の領土はとても広いのだ。約四倍はある」
「四倍も」
「そして向こうには当時書かれた締結文書が残っていて、そこに記されている以上の土地が私たちによって奪われていると主張している。これもまたこちらに文書が残っていない以上、上手く反論ができない」
「こっちにも文書はあるんだとブラフでも張れば……ってそんなことしても水掛け論か」
「その通りだ。無論、あちらの主張を認めれば旗色が悪いどころでは済まなくなる。なのでこちらにも文書があり、確認する限り内容が食い違っているようだと話を引き伸ばしているところだが……それもそろそろ限界に近い」
「限界になるとどうなる?」
「即時にステイラが侵攻を開始するだろう。最近では国境付近にこれ見よがしに兵を並べることまで行うようになっている。そこはただ広大な自然があるだけで村や街があるわけではないのだが……」
だったら最悪、面倒を避けるためにもそういった何もない土地くらいは渡してもいいんじゃないか。そう考えたのがわかったのだろう、今度はジョシュアが顔をしかめた。
「それは本当に最悪の事態を招きかねないことだ。土地を明け渡したという事例が次に何を誘うか。より我が国の中心地に近い位置にステイラが何を作るかもわかったものではない」
彼はそこに砦でも建てられて本格的な侵攻の足掛かりにされることを恐れているようだった。まあ、いきなり大昔のことを蒸し返して脅しまでかけてくるような国だ。それくらいのことをしてきてもおかしくはなさそうだと俺も思う。
その果断さは真実自国に正当性があるのだと信じているようでもあるし、反対に正当性などないと知っているからこそセストバルに猶予を与えないようにしているとも取れる。
「本当に文書なんて残っているのかな……? 勝者よりも敗者のほうが敏感になるのはままあることだろうけれど、初めての大戦だったのはステイラだって同じだ。当時のセストバルにできなかったことを向こうがやれているとは考えにくい気もするけどな」
何かにつけ印書や物的証拠を残すのは近代的なやり方だ。国の成り立ちに関わるほどの大昔に、しかもこの世界で、かつてのステイラ公が果たしてそこまで用心深かったのかどうか。誇張抜きに支配者の言葉ひとつで戦争が始まりまた言葉ひとつで終わる時代というのは、俺の前世の世界にもあったのだ。とすれば、可能性としては。
「ステイラ公国こそがブラフを頼りに戦争を仕掛けようとしているのではないか──それは私も考えた。しかし、だとしてもどうすることもできない。向こうは『ある』と主張しあくまでも土地の奪還に拘っている。侵攻を開始されてしまえば最後、こちらも武力で抗うか両の手を上げて言われるがままに差し出すかしか残されていない」
「他の国に抑止力とはなってもらえないのか? いや、新王国以外でって意味だけど」
「以前までは最後の最後には中央の帝国に頼るしかないと考えていた。国同士の諍いにも躊躇いなく手を出せるほどの強国にな。だが、その見返りに要求されるものを思えばそれは本当に最後の手段だ。切りたくない手札しか持ち合わせがなく憂いていたところに……イデア新王国が誕生した」
ほーう、そういう時系列ね。
ステイラ公国を除き唯一の隣国である『旧リルデン王国』と、強大だという遠い地の『帝国』。このふたつぐらいしか頼れる手立てがなく、旧リルデン王国は端から選択肢から除外されていたせいで実質的に帝国しか寄る辺がなかったが、突如として新たな択である新王国が出現したと。しかもそこを治めるのは始原の魔女。リルデンにはなかった明確な力を持った存在である。
だとすれば、こうしてカビの生えた条約を動機に急ぎ会談を求めようとするのも頷ける話であった。
「そちらの置かれている状況はわかった。でもまだ俺を呼んだ理由にはなっていないな……具体的にジョシュア殿は、俺に何をさせたがっているのかな?」
「私は……民のためにありたいと思っている。この国を世界で一番住みやすい国にしたいのだ。今回のことはそのために武力を蔑ろにしてきたツケなのか。元より領土は狭くともステイラはセストバルよりも優れた軍事国家でもある。十数年前に当主が若き王子に代わってからはますますその方面に力を入れ、間を置かず宣戦布告にも近い宣言をしてきた。手を尽くして結論を先延ばしてきたがそれももう不可能だ。だが一度戦争となれば我が国に勝ち目はない……なので、イデア殿。恥を忍んで貴殿に頼みたい」
「うん」
「どうか、どうかこの国を救ってはいだけないだろうか。貴殿の、始原の魔女としての力によって」
「いいよ」
「──、」
呆気に取られる、とはこういう顔のことを言うのか。思いつめた表情だったジョシュアが途端に目をぱちくりとさせているのは少し面白かった。
そのまま二度、三度と瞬きを繰り返していた彼だが、やがて俺の返事が脳内に浸透したのだろう。小さくだが激しく首を振ってから「まことなのか」と訊ねてきた。それは俺というよりも自分の正気を確かめているような調子であった。なので、あえてすぐには答えず手元のカップに軽く口をつけ、少々焦らす。
「……ふぅ。良い茶葉なんだろうな、これ。美味いよ。だけど品があり過ぎていつものを飲み慣れているとちょっと刺激に薄いかな。良かったらジョシュア殿、お返しにあとで俺からも茶葉を渡そうか。うちでしか取れない種類のやつを」
「あ、ありがたく頂こう……して、イデア殿。先の返答についてなのだが」
「ああ。いいよ、と言った。『国交ノ結ビ』には広く互いに助力し合うことも約束されていた。それに従ってイデア新王国はセストバル王国の一助となりたい。と言っても、貸す力は国全体ではなく俺一人のものになるけどね。それでもいいなら」
「も、勿論だ。始原の魔女が力添えをしてくれるならまさに一騎当千。ステイラ公国の気勢も削がれるかもしれない。戦争を回避できる目途も立とう」
「いや、回避はしなくていいでしょ」
「なに……」
「やろうよ戦争。俺のことは伏せてさ、攻め込ませればいい。それを壊滅させたほうが口約束よりもずっと確実だろう? 武器を振るわないって言葉を引き出すよりも武器そのものを取り上げたほうがいい。この国の民の安全を真に願うなら、そうすべきだと俺は思うけどな」
そう言って優しく笑いかけてやる。するとジョシュアはなんとも言い難い目付きで俺を凝視し、ごくりとその喉を震わせた。




