24.侵攻
「快い返事を嬉しく思う。では、どうだろうか。友として迎えるにここは相応しいとは言えない。人の少ないところへ場所を移し、腰を据えてじっくりと話さないかねイデア殿」
「素晴らしい提案だ、ジョシュア殿。俺もそれができたらと思っていたところなんだ」
こちらの言葉を聞いてうむと頷くジョシュアだったが、一人の臣下はこのやり取りににわかに取り乱した。
「お言葉ですが陛下! 我らの歓待の意を示すためにもここは予定通りパーティーを開かれるべきかと。お食事や余興の準備も済んでおりますので──」
「やめないか。イデア殿は人目につくことを望んでおられない。歓迎会の開催は中止とする。即刻私たちが話せる部屋を用意せよ」
「か、かしこまりました……」
王と俺を狭い密閉空間に入れたくなかったのだろうな。ジョシュアは暗に護衛も傍に置かないと言っているようなものなので、これは慌てて当然だ。本来ならここでの挨拶が済み次第速やかにパーティー開演へと移行するつもりだったようだし、会談ならその最中にも行えるだろうと彼(ここまで案内してくれた執事とは別人だ)がもどかしく思うのもわかる。
しかし、ジョシュアとて我儘や気紛れでこんなことを言い出しているわけではないのだ。
互いを視認してから口を開くまでの短い間に俺がジョシュアを観察したように、ジョシュアも俺の一挙一動を観察していた。そして彼は目敏くも気付いている。俺が見ていたのはジョシュアだけに留まらず、この空間全体。とりわけジョシュア以外の人間の様子であることに。
向けられた警戒に対し俺もまた警戒で返したことを、この聡い王は見逃していない。それを『人目につくことを望んでいない』と評したのだ。翻訳するなら『落ち着かなくさせてすまない、人を払うからどうか大目に見てくれ』といったところか……さっさと移動を始めようとするのもその意思を伝えるためだ。
予定を守らせようとした使用人はジョシュアからぴしゃりと言われてもう口を挟めなくなったようだが、頭を下げつつも従うことに抵抗があるのが見て取れる。他の使用人や兵士も王の思わぬ行動に浮つき出している……行動にこそ移さないが、中にはもはや臨戦態勢に近い気配を放っている者まで出る始末。
おいおい、これじゃあまるで俺がジョシュアを操って誘導したみたいだな。真相はその逆で、一連の全てはジョシュアが誘導している。なのだがまあ、彼を守らんとする臣下から見れば状況が良くない方向へ転がっているようにしか思えないだろう。
「──『魔女は其の者の鏡となりて、相応しき恵みと災いを齎す』」
周囲を嗜めんと今一度ジョシュアが何かを言おうとして、それよりも先に例の口伝が玉座の間に響いた。
セリアだ。ここまで黙していた彼女が伏せていた目を上げ、静かに辺りを見渡しながら滔々と言った。
「我が国に伝わる文言です。謳われる『始原の魔女』の在り方はまさに鏡。対峙する者をそのままに映し出す。良き者に恵みを、悪しき者に災いを。敬意で以って接すれば敬意が、悪意を持って接すれば悪意が返ってくる。……イデア様は寛大な御方です。けれど残酷な一面も持ち合わせています。そのどちらを見ることになるかは全てあなた方次第であるとどうかご理解ください。繰り返しますが、我が王は鏡。恵みを欲するのなら自ずとすべきこともおわかりになるでしょう」
お二人の会話に割って入ってしまって申し訳ありません、と最後に謝ってからセリアはまた口を閉ざした。魔女の従者の慎ましくも堂々たる態度、そして言い放ったその言葉に周囲の者たちもハッとしたようだ。王を案じるあまりかえって彼を困らせていることに気付けたのだろう。まだ多分に不安の色はあるが、そこに剣呑さはほとんどない。
それを確かめてジョシュアは言う。
「謝らなくてもよい、まこと金言であった。私も人に誠意で接し、また向けられた誠意にはそれ以上の誠意で応えられる人間でありたいと思う──お前たちもそうしてくれるな?」
もう反対の声はどこからも出なかった。信用された、というのとはまた違う気もするけど……商談に入れるなら別になんでもいいか。さすがにあり得ないことだが、万が一にもジョシュアと二人きりになったところで俺のほうから彼に何かするつもりもない。
全てはそう、セリアの言う通り。そこでジョシュアが『始原の魔女』に何を望むか次第なのだから。
◇◇◇
侮っていたわけではなかったが、それでもまた認識が足りていなかった──ならば即ち侮っていたことになるのだろう。と、セストバル王は思わず吐いたため息を口内で嚙み殺した。
真っ白なクロスのかけられたテーブルの向かい側に座すは、真っ黒な少女。夜の闇のように暗いローブと、それよりなお暗い濃淡のない黒髪。そしてただ黒く、ひたすらに黒いだけの瞳。ふたつの底無し穴のようなそれにじっと見つめられながらジョシュアは思い出す。小石の如く小さくも巨星の如き威圧感を持つこの両の眼が、ぎょろりと玉座の間を見回したあの一瞬──背筋にこれまで感じたことのない悪寒が走ったことを、彼は生涯忘れられないだろう。そう確信できるだけの悍ましき脅威がその眼差しにはあった。
恐ろしい。事前に打ち立てていた歓迎から会談の席につくまでの段取りを即座にひっくり返したのは、偏に配下の可愛さ故だ。ああしていなければどうなっていたことか。もしも、例えば兵士の一人でも直接的な無礼を働いていれば。目の前の少女は軽々とあの場を血の海に変えた上で、臆面もなく改めて会談に臨もうとしてくるのだろう。それは少女ではなく、王でもなく、魔女である。始原の魔女である。ジョシュアには予感よりも確かなものがあった。
尋常ならざる存在感を放つイデアに対し、王としての体面のために一見して対等でありながらも、しかし実情としては両掌を上に向けることになんの躊躇いもなかった。そうしなければ国が亡ぶと理解させられたが故に。
それを回避するために呼んだ者の手によって滅亡が引き起こされるなど、出来の悪いジョークにもなりはしない──。
おほん、と咳払いをひとつ。それを景気付けとしてジョシュアは席についてからの沈黙を破った。
「未だに……なんと言ったらいいのか。信じられない思いだよ、イデア殿。伝説の住人である『始原の魔女』本人が、こうして私の前に座っているなどと。少し前の私にそんなことを言っても一笑に付して終わりだろうな」
「無理もない、当人たる俺こそが一番それを信じられないんだから……ところで」
ジョシュアの多少砕けた物言いに何を思うでもない様子で、黒い双眸を一切揺らさずにイデアはこてりと首を傾げた。
「玉座の間に魔法使いがいなかったことが気になっている。まさか最初からいないなんてことはないだろう?」
「ああ、彼らなら……イデア殿の贈り物にひどく感銘を受けたようでな。歓迎の場に立ち会わせては失敗を招きかねないと判断して休ませているところなのだ」
まるで冗談のような話だがジョシュアの言に大きな嘘はない。転移のための目印であるという説明と共に受け取ったトーテムを、セストバル王国選りすぐりの魔法使いである臣下四名が総出で調べ上げたのだ。丹念に数日がかりで行われたその作業の結果は『罠発見できず。あるとすればおそらく解除は不可能』という短い報告だけに終わった。寝食を犠牲にして精も根も尽き果てた彼らをジョシュアは労い、短くない休みを与えた。魔法に疎いジョシュアには実感のできぬことだが、おそらく彼らにとっては連日爆発物と共に過ごしたようなものだろうと想像くらいはついたからだ。
イデアの訪問予定日までに復職できるのではないかという淡い期待もあったが、一人もまだ公の場に立てるほど復調できてはいない……が、今となってはそれでむしろよかったのだと思い始めていた。玉座の間では自分しか気付けなかったイデアの秘めたるプレッシャーを、魔法使いであればより鮮明に感じ取り中てられてしまったかもしれない。そうなればあの場で卒倒してもおかしくなく、それを受けて兵士が武器を手に逸ってしまう可能性も大いにあった。
図らずも危機を回避できたことにジョシュアは微笑む──我ながらよく自然に笑えているものだ、と王位を継承して以来最大級の緊張感に指先を震えさせつつ彼は続けた。
「やはり始原の魔女殿ともなれば、兵よりも魔法使いを気にされるか。紹介できないことを申し訳なく思う」
「いや、大したことじゃないんだ。ただトーテムを調べた感想を聞いてみたかっただけでね。……それよりも本題に移ろうか」
置かれているカップを少し寄せて、イデアはテーブルの上で手を組んだ。細く小さく白い指が重なる。何気ない仕草のひとつにも圧を感じ、知らずジョシュアは顎を引いた。唯一同室を許された筆頭執事とイデアの付き人たるセリアもまた、それぞれの主人の背後で起立し不動のまま僅かに表情だけを強張らせた。
「不躾ですまないが迂遠な物言いは好まない。俺を呼んだ理由があるならできるだけわかりやすく、単刀直入に教えてもらえると助かる。さあ、聞かせてくれジョシュア殿」
ジョシュアは了承する。元より彼女の要求を拒否できるはずもないが、しかしおためごかしに時間と神経を割かずに済むのは今の彼にとっても助かることだった。
「実は。我が国セストバルは──他国より侵攻を受けようとしているのだ」
恥部を晒すつもりで秘密を明かした彼は相手方から出るであろう反応を待ったが、されどイデアは動かない瞳を向けたまま先を促すのみだった。




