23.ジョシュアは笑った
「えー、諸般の事情によりセストバル遠征にマニは欠席の運びと相成りました。彼女がこの場にいないことは非常に残念ですが、せめて俺たちは参加できない彼女のぶんまで旅行を楽しみましょう」
「………………ですから旅行ではないのですが」
たっぷりと返事までの間を設けてから、セリアは控え目なツッコミを口をした。あれだけ自信満々だったのに結局同行させられないんかい! という本当に言いたかったであろう台詞は俺にも想像がつくんだけど、彼女はそれをぐっと飲み込んだのだ。えらい。何があったのか説明を求められても困るのでスルーしてくれないかなー、と思っていたらまさしくセリアはその通りにしてくれた。うむ、さすがは優秀な我が秘書だ。
「それではイデア様と私だけで向かうことになるのですね」
「モロウやダンバスも一緒に行けるならそれが一番だったんだけどな」
特にモロウにはセストバル王国に関する生の知識がある。数年前から生まれ故郷であるこの地に戻ってきていたために少々のブランクもあるが、それでも内情に知見を有するアドバンテージは大きい。交渉の場に是非とも立たせたかった、がしかし。
セリアとは違ってモロウと顔を合わせるのが常に王城内であることからも薄々察せられるであろう通り、あいつは凄まじく忙しい男なのだ。俺を呼んだ際か俺のほうが呼んだ際にしか政務から離れない。というより離れられない。その他の時間は冗談抜きで常に仕事中だ……おお怖い。それがモロウを生かした理由であるとはいえ、いくらなんでもこれ以上扱き使えはしないよね。
ついてこいと俺が王様らしく一言命じれば喜んでついてくる気もするが──実際そんな顔をしていたし──そうやって連れ出したことで職務の負債が積み上がったり政務が滞ってしまうのではナンセンスだ。それはダンバスも同上。なので、俺の同行者はセリア一人ということになった。
「段取りのほうは?」
「恙なく。イデア様のトーテムも確かに届けられました」
「……送っといてこう言うのもあれだけど、よく受け取ってもらえたね。何かしらの罠とか疑わなかったのかな、セストバル王とその周辺は」
俺が転移するための目印。それを先んじてあちらの王城に送っておけば移動時間をがっつりと短縮できる。そういった旨の伝言も伝わっているはずとはいえ、『始原の魔女』が作った木彫りの像だ。いくら小さくて可愛らしいデザイン(だと俺は思っている)であっても危険物として取り扱われ、なんなら受け取りの拒否ないしは即刻破棄される可能性も十二分にあると考えていただけに、すんなりと懐に入れられたのが逆にびっくりである。
「用心はするでしょうが無下にはできないでしょう。王と王のやり取りなのですからそういった面には慎重になるはず……それに、仮にあのトーテムが罠であったとするなら送られてきた時点でどうしようもありませんから」
「でも向こうにだって宮廷魔法使いくらいいるだろう?」
ちょっと調べればわかるが、あのトーテムには俺の魔力がたっぷりと込められている。そうでないと跳ぶための目印にならないのだから当然だが、それを知らない者からすれば怪しさ満点のアイテムになってしまっている。
使われているのがエイドスの高次魔力なだけに、単に魔力を扱える程度ならともかく魔法使いを名乗れるような人間からすれば確実にぎょっとすること請け合いの、しかしその実なんの効果もないなんともイヤなプレゼントである。
「召し抱えられている魔法使いにまず調べさせることは間違いありません──だからこそ『どうしようもない』と判明するのです。最も対処に叶うであろう者が、如何とも手の尽くしようがないとしか報告することができないのですから」
「あ、そういうこと……」
調べたことでかえってね? まあそれもそうか。エイドスを知らない奴からするとお手上げなのは道理でしかなく、翻って宮廷魔法使いにどうしようもないのであれば他にどうにかできる人間がいるとも思えず、王城全体がお手上げになることもまた道理である。
……なんか無理矢理受け取らせたようでちょっと申し訳ないな。無駄に怖がらせている気がする。と思ったけどこれ、たぶん俺以外はこうなることを承知の上でトーテムを送ったな? 誓って言わせてもらうけど、俺にそんな企みはなかったよ。いや本当に。
「だけどとにかく、これで文字通りの一足飛びでセストバルにお邪魔できると。セリアの準備はもういいかな?」
「はい。日程が決まった段階で大方の用意は済ませていましたので」
セリアの使っている部屋は以前見たときと何も変わっていないようだったが、その足元には茶色のボストンバッグが置かれている。……ボストンという都市のないこの世界ではクラブバッグと呼ぶべきかな。あるいは単に旅行鞄のほうがわかりやすいか。膨らんでいるそれに衣類等の必要な物が詰め込まれているのだろう。
セリアがそこで忘れ物とかのうっかりを犯すとも思えないので、確認を繰り返すことなく俺はその手を握った。
「じゃあ行くぞ」
「はい……」
初めての国を越える長距離転移ということでセリアは少しばかり緊張しているようだが、別に怖がる必要なんてない。パッと目的地について終わり。これ以上のことは何も起こらない。俺が何かしようと思わない限りはね。
◇◇◇
「ようこそお出でくださいました、イデア国王陛下」
相手からすれば突然の登場だったろうに、それに驚くこともなく白髪交じりの男性は深々と頭を下げて丁寧な礼を取った。そして淀みなく歓迎の言葉を告げてくる。見れば彼の手には俺が送ったアイテムがある……なるほど。玉座の間ではなく城の前にトーテムを持たせた案内人を立たせていたか。どういう用途で送った物なのかきちんと理解してくれているようで何よりである。
アルフよりも若いがどこか似通った雰囲気のある──つまりデキる執事っぽい雰囲気だ──彼の自己紹介もそこそこに王城へと招き入れられた。既に開かれていた門を通って使用人たちが並んで頭を下げている玄関から城内へ入って大きな階段を上り、その正面にはもう玉座の間が待っていた。同じ王城でもうちの城とは造りがだいぶ違うな。
そしていよいよご対面。玉座に関してはうち同様に人を見下ろせるよう少し高い位置に置かれていたが、煌びやかな服に身を包んだセストバル王と思しき壮年男性はそこから降りて立ったままの姿勢で俺を待っていた。これはまた、アピールに余念がないな。
あちらは呼びつけた側、こちらは呼びつけられた側。そしてクーデターも同然に王の地位についた要注意人物だ。真意がどうであれこうも直球に『対等』を示すのはやり過ぎなようでいて、案外そうでもない。これもまた備えて然るべき用心のひとつだ。
最初に目線がかち合っても黙って歩き、ここらでいいかと俺が立ち止まったのを見てから、彼の王は口を開いた。その表情には一見自然な歓待の意が微笑みとなって表れている。
「よくぞ参られた、イデア新王。即位から間もなく多忙な時期であったろうに、こんなにも早く我が申し出に応えてくれたことへ深く感謝し、また古き条約が今の時代にも確かに我らの間で結ばれていることを祝したい。……では、書面と使者を介さずに直接名乗ろう。私がこの国の王、ジョシュア・トラウデア・セストバルである」
朗々とした口上は俺にのみ向けられたものではなく、斜め後ろについてわかりやすく自分はただの付き人だと教えているセリアと、何より両側の壁に沿って立ち並ぶ幾人かの使用人と兵士にもよく聞かせているように思えた。なんというか彼ら、ちょっとピリピリしている感じがあるからね。特に兵士たちはただ形だけの護衛であくまで壁の飾りですよ、みたいな演技をしているが明らかに俺とセリアを警戒しているのが丸わかりだ。
そんな彼らに対し自らが率先して歓迎ムードを披露することでこのヒリついた空気感を変えようとしたのだろう。一応は訪れた側である俺のほうから名乗るよりも先んじて初手で『こっちの都合で呼び出してごめん』と言ってきたのもそれが理由だと思われる。そこまでしてもまだ兵士の険は取れていないが、それはまあ王の身を案じているからこそのものだと思っておこう。これはモロウから聞かされた通りでもある。
旧リルデン王国の王とは正反対で、セストバル王は謹厳であり贅沢とは無縁の人だという。何事にも手堅く取り組むその姿勢は政権を良い意味で安定させているが、その反面思い切った政策が取れない欠点も抱えている……だったかな? 兵士を御しきれていないながらによく慕われている様子なのを見るに、その評価もあながち的を外してはいなさそうだと思えてくる。
「歓迎に俺からも感謝を。旧リルデン王国に代わり立ち上がったイデア新王国の国王、イデアだ。こちらは従者のセリア」
セリアが黙って下げた頭を上げ直すのを待ってから、俺は続ける。
「セストバル王。ご存知の通り、血筋も何もなく急に国の代表になった身だ。教養もないものだから遜ったり敬語を使ったりするのは苦手なもので……王としては新参者の身だが、どうかこのままの態度で接することを許してほしい」
「そんなことであれば気にしないでくれ、イデア新王よ。私たちはあらゆる意味において平等の立場だ。私が其方に遜ることもなければ、其方が私に遜ることもない。そしてその証に、友として私のことはどうかジョシュアと呼んでくれないだろうか?」
「承ったよ、ジョシュア殿。なら俺のこともイデアと名だけで呼んでくれて構わない」
たたえた口ひげの奥でにっこりと嬉しそうにセストバル王──ジョシュアは笑った。
さて、この親しげなファーストコンタクトはお互いに予定調和。俺の口振りから新王国側としても此度の会談が決して望まざるものではないことの確信も得られただろうし……本題はここからである。




