22.腕一本
「あー、っと。なんでよろしくないか聞いてもいい?」
「他国の王と会談するわけですから。いくらアルフさんの指導を受けたとはいえ、新米の使用人がその場に居合わせられるだけのスキルを身に着けていると考えるのは少々無理があるでしょう」
うーむ……正論だ。本当に身に着けているにせよいないにせよ、それを試す場としては確かにリスキーではある。万が一にもマニの粗相で商談が水の泡になったり、そうでなくてもこちらが不利を被ったりといった事態になってはせっかくのチャンスが台無しもいいところだ。
だけど、逆に言えば。
「粗相を起こさないだろうと俺が確信できたなら、連れていってもいいと」
「……それが確認できたのなら同行させる意義もないのでは?」
「いや、自宅と出先じゃやっぱり勝手も違うだろうし貴重な経験になることは間違いないよ。なんだったら用意されるだろう貴賓室とかのプライベートな空間だけに置いておいてもいい。それならセリアの危惧する事態にはならない」
「…………」
セリアは返す言葉に困っているようだった。あるいは、何故そこまでしてマニを参加させたがっているのか疑問に思っているのかもしれない。
別に俺だって、王様になったからには何がなんでも使用人を傍に置きたいなどと張り切っているわけじゃあない。マニのスキルアップが目的だというのも嘘でこそないが、どちらかと言えば確かめたいのは彼女の能力よりもセリアのほうだ。
紹介からこっち、セリアはマニに対して若干壁がある。はっきりと言葉にこそしないものの、ふとこちらがマニの話題を出したときなんかに見せる一瞬の反応。ああいう部分にはやっぱり潜在意識が表れるものだ。それからするとセリアはマニのことをそもそも快く思っていない節がある。
嫌い、というのとはちょっと違うだろう。セリアだって初対面の出来事を引き摺っているわけでもなければ、まさか使用人という立場に嫉妬めいたものを抱いているわけでもないはず。なら何が引っかかっているのかと考えれば──やはり困惑が強いんだろうなぁ。簡単に言えば『どう扱っていいのかがわからない』。ほら、俺は四角四面じゃないけれど、セリアはかなりその気があるから。
マニは犯罪者だ。それも極刑に値する重度の。その点はモロウも同じだし、なんだったらやったことの規模で言えばマニよりも遥かに危険人物認定されるべき男でもある。けれど、母の仇討ちという私的な動機ありきとはいえモロウのそれが国を良化せんと大義を掲げたものだったのに対して、マニがやったのはあくまで自身のため。自分本位の殺人と略奪を繰り返したどこにでもいる弱者である。
国の腐敗の煽りを受けた被害者とも言えるし、しかしそれで殺人を正当化してきた凶悪な加害者なのも事実で。俺に仕えることで結果的に死を免れたところもモロウと共通してはいるけれど、死を受け入れた末でそうなった彼とどこまでも死なないためだけに──言い方は悪いが覚悟も考えもなく流されるままに──使用人のポジションに収まったマニとでは、向ける目も変わってくるだろう。
なので、嫌いというよりも苦手なのだろう。セリアの視点からではマニは不気味なことこの上ない少女でもあるだろうし。そういうのが咄嗟の態度になって出てしまう。今も、彼女の同行に難色を示しているのはそのスキルを疑問視していることだけが理由ではないんじゃないかと思う。
人と人のことだ、食べ物以上に好き嫌いが出るのは摂理である。とは理解しているけれど、行く行くは自宅の管理だけじゃなくもっとマニの仕事の幅を広げさせたいと計画しているだけに、俺と顔を合わせる頻度の最も高いセリアとの間に壁や溝があったままではちょっと困る。その間に立たせられるのは俺だからね。
ではそれを解消するにはどうすればいいか、と顎に手を当てても思いつく手段は限られていた。往々にして荒療治しかアイディアの出ない俺なので、今回も講じた策はごく単純。二人が一緒にいる時間を作ってやれば少しは馴染んでくれるんじゃないか、というものだ。
無論荒療治という言葉が示す通り、失敗すれば余計に仲が拗れる可能性も軽視できない程度にはあるが、まあそうなったらなったで仕方ないと諦めもつく。そのときは大人しくセリアとマニをなるべく対面させない方針に舵を切ろう。
「イデア様がそこまで仰るのであれば私に覆せるものではありません。ですが、くれぐれも事前確認を怠ることのないよう注意だけはしていただきたく」
「オーケイ、ちゃんと確かめる。マニが旅行にも耐えうる使用人になっているかどうかをね」
「旅行ではありませんが……」
控え目な訂正に頷きつつ、まあ大丈夫だろうと俺は楽観している。泊まり込みでみっちり使用人業を仕込まれているのだし、実際例のスイッチが入らずとも家の掃除は完璧にこなせるようになっているみたいだし──。
◇◇◇
「全然ダメじゃん……」
忙しい中でもちまちまと時間を作ってマニの仕事ぶりを近くで眺めてみたわけだが。なんとまるでなっちゃいなかった! 以前よりは少しマシかな、という程度で使用人としてはろくなものではない。相変わらず引っ切り無しに物を壊すわ掃除してるんだか汚しているんだかわからない手付きだわ。ま、まったく仕事ができていない……。
いやなんで? 少なくとも俺がいない間には言われたことくらいちゃんとやれていたじゃないか……と、そこで腑に落ちた。ああ、そうか。その結果はおそらく俺が不在だからこそのものなのだ。
おかしいとは思っていたんだよね。アルフのマニに対する評は『気力に欠けるところはあるが物覚えは悪くない』というものだった。これ、前半には同意できるが後半には首を捻らざるを得ない。マニの物覚えがいい? いやいやそれはない。絶対に。トラウマの刺激と精神的負荷、それから俺の魔法の後遺症によって入浴することすら覚束なくなっていた彼女なのだから、何を教えるにも一苦労どころか十苦労は要する相手だったはず。
それに難なく仕事を教え込んだアルフはあまりにも指導が卓越し過ぎている、と恐れまで抱いていた俺だけれど。勿論彼の指導能力も高いのだろうが、それ以上にこの評価のズレの主な原因は──やはりトラウマにある。図らずも俺自身が言った通り、マニにとっての俺は『死の化身』に他ならない。幼い頃に抱いた俺への恐怖、それが父や兄らの死といったまだ克服できていない忌まわしい記憶や、更にはあの牢獄での体験とも一体となって常にマニを苛んでいるのだ。
つまり、俺が見ていることでのプレッシャー。死が少女の形を取って傍にいるという状況から生じる極度の緊張が、マニを仕事のできないメイドたらしめている最大の要因である。と、解体作業で見せたパフォーマンスが嘘のように落ちている謎にもようやくの説明がついた。
いや遅いよ……リーナ邸の厄介になる前に気付こうよ。と自戒しつつも、そりゃこんなの気付けないよと思いもする。まさか雇い主がいたら呪いめいたデバフかかるなんてそんな発想出るはずもない。ましてやマニはメイドであるからして、言うまでもなくこれは致命的な欠点となる。主人の傍に仕えられない傍仕えなんてトンチもいいところではないか。
「やれやれ参ったな」
待機を言いつけられて立ち尽くすマニを前に、俺はため息を吐く。これじゃあとてもじゃないがセストバル行きに同行なんてさせられそうにない。どこにいようと問題になるのはそこに俺もいるかどうかだ。リーナ邸での合宿中のように俺が顔を見せない環境なら、周囲からの評価もそこそこなメイドになれるのだろうけれど……出先でそんな状況を作ってやるのではそれこそセリアの言う通り、連れていく意義がまるでないことになる。
何かしらの矯正が必要か。俺が黙っていることで自分も彫像のようにじっと佇むマニを見つめながら、ふと思い出した。
そういえば、雇う対価の腕一本をまだいただいていなかったな。
最初は単に切り落として隻腕の不便さを味わってもらおうと考えていたのだけど、それだと雇っているこちらも不便することになるのでちょっと迷いどころではある。とはいえ約束は約束、ただ奪うだけとはしないまでもきちんと俺のために使わせてもらおう。
ということで思い付いたからには早速実行だ。
「マニ。腕を出してくれ」
「……はい」
察したのか、それとも無我か。返事とはほんの少し間を空けて俺の目の前に出された腕へと触れる。汚れも生傷もなくなって綺麗になった肌。背丈からはわかりにくいマニの年齢相応の若々しさを放っているそれを一撫でして──エイドスの解放。そして注ぎ込む。
「あうっ……!?」
「最初は痛むだろう。でもちょっとの辛抱だぞ。定着さえすればすぐになんということもなくなる」
思い付いたことは、部分的なエイドス化。人そのものを理想領域の一部に還元できるかという実験の傍流とでも言えばいいか。胴体さえあればなくてもいいといつもは切り離している手足だが、今回は逆に身体の末端のみにエイドスの魔力をぶち込み、その結果がどうなるのかの確認をする。
初挑戦なのでどういった事態にもなり得るし、予想の目途が立たない不安もあるにはあるが、そのぶん未知を拓く楽しみもある。どうせ失敗に終わったとて腕一本の喪失でしかないし、それは元から予定していた通りでもある。なので恐れずやってみよう。
ま、これまで魔力の注入自体は何度もやってきている。たぶん失敗なんてしないだろうが……と思ったけどこれ、案外ムズい。一部だけに定着させようとするのってけっこう大変なんだな。制御がどうにも……あ、あれ? なんかちょっとやり過ぎた気が──あ。
「ぁああァあああああああああっ!!?」
マニの絶叫が血塗れになった我が家の居間に轟く。……やっちゃったぜ。せめて地下室で始めればよかったかな。




