14.安い取引
セリア曰く。俺が少女の皮を被った『何か』であるというのは、目敏い者であれば誰でも気付けることらしい。いや、皮も何もこのボディは純然たる少女の肉体ではあるのだけど、そうは言っても特別製なのは確かだ。通り一般的なそこらの女子と同列に語っていいものではないだろう。
しかし、そうは言っても見かけには少女である。こちらでは黒髪黒目が珍しいのはなんとなくわかっているが、それでもそこ以外の外見的特徴は皆無に等しい……ああ、そういえば目付きもなんか怪しいんだっけ? セリアが言うには。そこは自分じゃよくわからないな。
何が言いたいかというと。初見でも気付ける者はいるかもしれない。だがその正体にまで行き当たるのはさすがに難しいんじゃないか、ということだ。どんなに見る目があったとしても「妙な雰囲気の少女」、あるいは「不気味な少女」あたりの感想が精々で、俺が持つ力や始原の魔女の名にまで思い至れる人間はそういやしないはず。
という前提の下に見ると、この女がどれだけ不自然なことか。
「一目見た瞬間から……えらく取り乱していたな、お前は」
そう話しかけても牢の中の女はガタガタと震えるばかりで返事もしない。というよりできそうにない感じか。歯の根も合っていない様子なのでそれは仕方ないが、けれどこの恐慌ぶりはなんなのか。
視線を交わした時点でその目を大きく見開いて慌てだした。そして隣の連中を跳ばしたところで完璧に錯乱状態だ。……状況的に恐怖するのは理解できるが、しかし彼女のこれは今起きていることだけが原因だとは考えにくい。
「この指を見ろ」
ほんの少し。魔力風も生じない程度に魔力を動かして──これは俺にとって非常に難度の高いことだと理解されたし──指先に光を灯した。最低限度の光量しか置かれていない地下牢においてもその光は淡く小さなものだったが、女の瞳を吸い寄せるには十分だった。
「何も考えるな。恐れるな。ただ聞かれたことに真実で答えろ」
「は……い」
「それでいい。そうしている間、俺はお前に何もしない。それじゃあ最初の質問だ。お前は俺を知っていたか?」
「はい」
「どこで知った?」
「黒い森で」
「いつのことだ?」
「子どもの頃……年齢はわかりません」
「誰といた?」
「二人の兄と」
「その兄は?」
「どちらも二年前に死にました」
「黒い森にいた理由は?」
「迷い込みました。盗賊団からご飯を盗んで逃げたんです。そして魔女に出会って……追い返された。そのときのことはよく覚えていません」
「俺の姿に見覚えがあったから、あんなに慌てていたのか?」
「はい。見て、忘れていたものを少し思い出しました。『二度目はないぞ』と言われたことも……なので今度こそ殺されると思いました」
ん……こっちも思い出してきたぞ。森に子ども三人組の強盗が来たことを。なかなか殺意が高かった覚えがある。
だがその殺意は野生動物のそれに近かった。自分たちの命を守るための攻撃性。子どもだけで生きていこうとするとああならざるを得ないのが当時の景気だったんだろう。
殺して終いとするにはなんだかな、といった感じだったので始末はしなかった。丁重に追い返したパターンだ。本当ならしばらく預かってやってもよかったんだが、怖がらせてしまったせいか断固拒否されたのでただ見送るだけになった。こっちから頼み込んでまで居てもらう必要もない。
確かそのとき、また襲いに来たら今度は容赦しないからな、的なことを告げたんだった……気がする。
「で、今は何をしているんだ?」
「捕まっています」
「そうじゃない、どうして捕まったのかだ」
「隣の牢にいた男たちと荷馬車強盗を繰り返したせいです。場所を変えつつやっていたんですが、王都周辺の警備が強化されたばかりだと気付かず積み荷を奪い、それを受けて出動してきた騎馬隊に追い込まれて捕まりました」
騎馬隊、というのは市衛の一部隊だな。俺は白バイみたいなイメージを持っている。荷馬車強盗というのであればそいつらも馬に乗って襲っているだろうし、街の外が主戦場だ。そういうのを相手取るには捕まえる側にも優れた騎手がいる。……まあ、魔法使いならその限りじゃないがね。
「二人の兄は何故死んだ?」
「他の強盗団とかち合ったせいです。そういうときはどちらかが引いて縄張りから外れるのが暗黙の了解なんですが、あのときは互いにヒートアップしてしまって、争いになりました。こちらは四人、相手のチームは全員が死亡。そのあと新たに五人がうちに加入して今の十人になりました」
「血みどろじゃないか」
思わずため息をつく。これでは生かして帰した意味がない。いや、生きるために頑張ってきたというのはいいんだけど、この歳になるまでずっと境遇が変わっていないのがなんとも。他にもっと選べる道もあったんじゃないか?
けど、孤児上がりの強盗の事情なんて俺はちっとも知らないしな。前王の治世じゃどこにも道なんてなかったのかもしれない。……ううむ。
「訊かなくても想像はつくが……御者はどうするのがお前たちのルールだ?」
「殺せるなら殺します。積み荷を奪って一刻も早く去ることが最優先なので逃げられたことも何度かありますが、大抵は襲う段階で殺せました」
「そうか」
情状酌量の余地は──なんて、そんなものは重要じゃない。俺にとってはどうでもいいことだ。俺が兄妹を逃がしたことで亡くなった命があるというのも、別に責任は感じない。そこは俺と関係のないものだと思うから。
ただし、この女自体は決して無関係とは言えない。
「罪悪感は抱えているか? 罪の意識はあるのかどうか。お前は殺しをどう思っていた? 重ねて命じるぞ、正直に答えろ」
「こ──殺すことには、いつも反対してました。ですが私は甘すぎると兄にも仲間にも言われました。少しでも情報を渡さないことが身の安全につながるんだと。それでも殺したくはなかったけど、最後は私も同意しました」
「どうして殺したくなかった?」
「父の死を、思い出すからです。二年前からは、兄らの死も」
「なのに殺せたのか」
「だって……そうするしかなかったから!」
うぅっ、と女は無造作に切られた短い髪を掻きむしって頭を抱えた。この反応で理解する。父や兄の死がトラウマになっているのは間違いない。セリアの裸を見られて云々とはわけが違う、マジの心的外傷だ。沈静化させてなおこれなのだからその傷の深さが窺える。
俺は指先の光を消した。
「名前は? お前の名前を言え」
「わ、私はマニ。マニ・セステッタ」
意識の狭小化は解いたがその余韻で女の目は虚ろである。口からは少し涎も垂れてきている。だがこちらの言葉は聞こえているようなので問題はないだろう。
「マニ。俺は死が因縁を払拭するとは考えない」
「え……?」
「まあ聞け。……お前を殺して終わりにするんじゃあ、それこそあの日生かした意味がない気がしてな。こんな場所でも馬鹿みたいに笑っていやがった男連中とは違って、お前には恐れがあった。自分が極刑だってことにも気付いていたはず。蘇った記憶と合わさって今のお前にとって俺は『死の化身』だ。そうだな?」
「はい……」
目の焦点が合ってきている。だが意識の焦点は完全ではないか。俺の話に集中して他を忘れるというのであれば、それもいいだろう。
「リーナとアルフを見て、使用人がいてもいいなと思った。ちょうど家も広くなったところだしな。セリアはあくまで公務の付き人だから私事の支えが他にあってもいいんじゃないかとな。──腕一本差し出せ。そして俺という恐怖の象徴の傍にいろ。その働きぶりで生かすに足る人間だと示せるのなら、マニ。お前を死から救ってやる」
「あ、あ……」
「安い取引かどうかはお前次第だ」
命に代えられるなら、腕の一本と従属くらいなんてことはない。と迷いなく言い切れるかは人によって異なるだろう。
特にマニのこれまでを思えば、ここで大人しく死を選ぶのもひとつの手ではあると思う。勿論、それを望むなら殺してやるし、それ以上の責め苦を望むのなら初めての女性の実験材料になってもらうつもりだ。だが。
「私に……もう一度チャンスをくれるのなら……私はそれに縋りたい、です」
「腕は?」
「差し出します」
「自由は?」
「差し上げます」
「よろしい。今日からお前は俺の従僕だ」
キシャン、と硬質な物の擦れる音がした。それはマニの首に首輪が結ばれた証明だ。鎖状のそれに目を白黒させたマニが手で触れようとした瞬間、首輪は空気に溶けるように消えた。もうそこにある感触すらもないだろう。
「弟子の躾け用にこしらえたものだ。それはお前に不自由を強制し、俺への反抗に該当するあらゆる行為を許さない。その代わり、それを嵌めている間は俺の『持ち物』だということになる。その意味するところはわかるな?」
「は、はい……」
「ますますよろしい」
頷き、マニも対象に入れて転移する。俺の魔力が通った物を持っているか直に触れている相手ならこうして一緒に跳ぶことができる。今回は首輪がアイテム代わりだ。行き先は俺の新居。
どてっ、と上手く立てずに転移先で尻もちをついたマニに俺は言う。
「ここがお前の職場だ。早速だが仕事をさせよう」
「………………」
我が家の地下で黒樹の拘束台に捕らわれている仲間たちを見て、マニは絶句している。その肩を軽く叩けば、大袈裟なほどに全身をビクリと震わせた。
「ある作業を頼みたい。そうやって役に立ってくれるなら、腕を貰うのは後回しにしてもいいよ」




