110.天敵
ほう、と同時に薄く息を吐く。一人は感心、一人は安堵。自らの魔法が他者によって乱されるという初めての体験をするイデアと、イデアの魔法であっても己が魔力の特性は機能すると確認できたルナリス。閉ざされた地下空間にて、見下ろす少女と見上げる少女の視線が静かに絡み合った。
「ふ……どうしたのです? 余裕が失せたようにお見受けしますが」
魔法式を阻害し、魔力を薄める。静寂と狂気の体現者として『月光』の冠を預かったルナリスが得意とする戦法は魔法使い殺し。その餌食となってしまうのはたとえ高次魔力という純度の高い魔力を武器とするイデアであっても変わりなく、まさしく全魔法使いの天敵たる魔女が彼女であった。
「心中察せられますよ。ゾッとしたのでしょう? 無理もありません、さしものあなたであっても──いえ、誰よりも魔法に魅入られているあなただからこそ。唯一無二が他人の手で奪われること。その恐ろしさは各段であり、またこれまでに味わってきてもいないのでしょうから」
あなたは私に勝てない、と。声を張り上げるでもなく、けれど力強く断言したルナリスのそれは虚勢ではなかった。月光の力が通じると判明してしまえば確固たる実績が彼女の後押しをする。何せルナリスは魔力量を頼りとするある魔女と幾度となく争い、その全てにおいて勝利してきているからだ。
私闘厳禁の『魔女会談』において数えるのも馬鹿らしい回数繰り返されている喧嘩。何故そんなことが許されているのかと言えば、それが実質戦闘行為にも満たないような一方的な戯れに同じでしかないからだ。圧倒、圧勝、圧巻の連戦連勝──『至宝の魔女』に対しそれだけの戦績を叩き出しているルナリスは、魔女としてのスタイルを分類するなら至宝と同じタイプであろう始原にも自身が圧倒的に有利であることを確信していた。
「言うまでもないことですが、逃げ場などありませんよ。そのように天井へ身を寄せたところでそこもまた私が触れられる位置……この清風庵に入室した時点であなたに勝ち目はなくなっていたのです」
月光の魔力は発生源であるルナリスに対象が近ければ近いほど強烈に効力を発揮する。本格的にその脅威を味わうよりも早くに距離を取ったイデアの魔法的感覚の鋭さにはルナリスも舌を巻く思いだが、ここは既に領域内部。どう足掻いたところで物事の好転には繋がらない。効果的な手法を強いて挙げるとするなら、そもそもこの部屋に入らないという用心を事前にしておくべきだったのだ。それに関してはイデアもまたよく理解できているようで。
「言われなくてもわかっているさ。のこのこと虎穴へ飛び込んでしまったわけだ……あまりにも堂々としていたからここが君の領域だとも気付かなかったくらいだよ。扉を閉ざしたことによってそれは完成し、俺はもう逃げられない。……だけど逃げ場がないのは君も同じことだろう? そして虎穴に入らば虎児を得る、ってね」
魔力弾。真下へ落とす軌道で放たれたのは龍型に象られた魔力の塊。種類で言えば【マジックアロー】の類型であるその呪文の魔法式はごく簡素なもの。式の構築が絶えず邪魔される月光領域内にて組み上げるものとしては、被害が最小限に抑えられるという意味で最良の選択とも言えるだろう。とはいえ一般的な魔法使いが同じことをしても同じ結果にはならない。いくらある程度の距離を稼いでいると言っても涼しい顔で呪文を成立させるイデアは、やはりそれだけ技量が卓越した──否、逸脱した魔法使いであるということ。
しかし。発動は成っているものの魔法式が乱されていることに変わりはなく。完成度の落ちた呪文はその強度を失い、またルナリスに接近するほどに呪文に込められた魔力自体も減衰する……結果として、中途までは勇ましく突き進んだ魔力龍も一定以上近づいた時点でどろりとその身が蕩けるように崩れ始め、やがてルナリスの目の前で泡沫の如くに儚く消え去ってしまった。
「む……、」
「ご覧になりましたでしょう。呪文を撃てる程度に離れたとてなんら無意味。私に届く前にあなたの魔力が無力化されるという決まりきった結末は変えようがないのですから……」
「体を黒鉄化させたディータも回避を選んだくらいなんだけどな、今のやつは。それでもそんな有り様だと思うと確かに君の言葉も大袈裟じゃあなさそうだ。……かと言って鵜呑みにする前にもう少し試しておこうか」
「まだ信じるに足りませんか? それとも信じたくないのでしょうか。あなたの翼がとうに捥がれているという事実を」
「あはは。それは俺を地に落としてから言ってくれ──魔力触腕」
「!」
展開、圧縮、凝固。質量を伴う膨大な魔力で形作られた第三の黒い腕。瞬間的な工程で生まれたそれが動き出し、ルナリス目掛けて手を伸ばしてくるのもまた異様に素早く、そして並みならぬ腕力がそこには込められている。途轍もない代物だ、とルナリスはその術の恐ろしさを正確に感じ取る。先の魔力弾ですらも比較にならないほどの魔法的強度がこれにはある。どうして月光領域にてこんなものが作り出せるのかもはや脱帽ものである──だが、それがどうした。
どれだけの技量が、練度が彼女にあろうと関係ない。魔法的強度も同様だ。そういった魔法戦における重大な要素全てを無に帰すのがルナリスの月光の力である。その証明のために、彼女は迫りくる触腕を領域内に満ちる己が魔力で包み撫でた。
「消えなさい──」
魔力弾より念入りに融解す。本来なら強力極まりない魔法であるところの魔力触腕もルナリスの手にかかればなんということはない、単なる排除に容易い一呪文でしかなく。ほほう、とこの結果にはイデアもいたく感心させられたようだった。
「領域には領域相当を、と思ったんだけど。けれどこれだけ高次魔力を凝縮させたものでも太刀打ちできないとなると、ふむ。魔女封じの魔女の名は伊達ではないようだね」
「ようやくまことのご理解をいただけたでしょうか」
ならばこのまま彼女の望み通り、地に落としてやろう。月光の魔力を立ち昇らせたルナリスは魔力触腕にそうしたようにそれでイデアの小さな体を飲み込まんとし──ぴくり、と眉尻を揺らす。それはまさに敗北の瀬戸際、絶体絶命の窮地にいるはずの少女が唇を弧の形に曲げていたから。楽しくて可笑しくて堪らないと、真っ黒な瞳が真っ黒なままにそう告げていたからだ。
この状況で何を笑うことがあるのか、ルナリスが理由を問うよりも先にイデアが口を開いて。
「面白い、面白いよルナリス。君の力は非常にユニークでとても良い。俺好みの性能をしているよ。……だからこそ、下らない嘘をつくのは良くない。欺瞞で誤魔化すのは感心できないな」
「私に欺瞞など」
「あるだろう、君一流のブラフがそこに。まるでどんな魔法にも月光が有効かのような口振りで俺にそれを気付かせないようにした。だけど違うね? 確かに魔法式を乱され魔力を減らされ、大抵の呪文は呪文として成立しないし大概の魔法使いは魔法を使えない。けれど魔女ともなればこの領域内でだって呪文を唱えられるだろうし、そして一見無敵の月光にも相性というものはある……そうだろう?」
「……!」
「例えばこれとか」
上げられたイデアの手、その先の何もない空間から突如として砲弾が撃ち出された。驚く間もなく降ってくるそれへ月光の力を集わせたルナリスだが。
「くっ……、」
魔力弾のようにはいかず、逸らすことで精一杯。なんとか直撃のコースからズラすことはできたが、その代価として床の魔法陣へ強かに弾頭がぶつかり轟音を立てた。思わず顔をしかめたルナリスに、イデアは頷きながら「ほらね」と笑みを深めた。
「一旦物質化させてしまえば魔力の減衰だって怖くない。特にそれは魔力を貫くディータの黒鉄で作られた砲弾だから、なおさらにね。彼女、俺との相性は悪かったけれど君に対しては強いようだな」
「何故あなたが黒鉄を……?」
「戦利品だよ。何かに使えるんじゃないかと思って呪式魔化を施して仕舞っておいたんだ。まあ魔化による強化は案の定ほとんど用をなしていないようだけど、射出さえできれば上々かな。さあどうする? 彼女からの貰い物はあと百二十八個ほど倉庫に眠っているんだが」
「百二十八──」
「言うよりも見せたほうが早かろうね。ほれ」
やはり無音で、しかし途轍もない速度で。百二十八の砲弾が天井より降り注ぐ。重なり合った撃音が響く清風庵ことルナリスの魔力で満たされたその領域に、罅が入った。必死に身を守りながら一部の砲弾の威力を弱めんとするルナリスだが、あまりに数が多くそしてイデアの推測通りに物質化、とりわけディータの黒鉄こそを天敵とする月光の力では到底対処に追いつかなかった。魔法陣に内包された防衛機構が働き、どうにか持ち堪えてはいるものの、しかし黒鉄はこういった防御を突破する貫通力こそがその何よりの特徴であるからして。瞬きの内に損傷は軽視できないほどに広がり続け、今や床一面に深々と亀裂が走ってしまっている──そのことに、というよりもイデアの手癖の悪さを想定できなかった己に臍を噛むルナリスは、そこで頭上へ新たに出現した『弾』に瞠目した。
「見たことはあるかな? ディータの領域、その抜け殻である黒鉄城だ」
「なっ……、」
宙に浮かぶ黒鉄の城。清風庵の横幅をいっぱいに埋め尽くすそれが、一個の砲弾として落ちてくる。その光景はルナリスにとって悪夢以外の何物でもなかった。
「全部壊してしまうのは勿体ない気がして、これも砲弾と一緒に取っておいたんだ。いやぁ役に立ってくれてよかったよ。こんなにすぐ出番がくるとは思わなかったが」
ふざけるな、などと口にする余裕はなかった。もはや魔法陣へ意識を回すこともできず、ルナリスは巨城の落下に対しひたすら自己防御のために纏う月光へと全力を注ぎ──次の瞬間。
この世の終わりのような破壊音を轟かせてステイラバートの要たる二重魔法陣の基は粉々となり、地の底であるはずの清風庵に隠された床下……そこに秘された『それ』がイデアの目に露わとなった。




