108.誰にとって都合がいいのか
「誰もが開拓者となってしまえば。世界に秩序は訪れますか? 自分にこそ力を、そう追い求める者で溢れた世に安寧はあるのでしょうか? ──答えは否。収斂は無秩序に望めません。ご存知でしょうか、始原の魔女。あなたが姿を見せずまた見向きもしていなかった間に、人類がどのような惨状にあったのか。魔法の発展、その犠牲と称してどれだけ無為の死や残虐な行いがあったのか──」
ああ。それはダンバスからもちらっと聞いた話だな。
俺の実験に対して何も口出さない彼は、そもそも出す権利が己にはないのだと言った。現代の魔法使い、そして魔法界隈があるのは、魔法研究の創成期において人目にも付けられぬような人体実験を繰り返してきたからだと……その言い方からすると、だ。ルナリスは「無為の死」と称したが──そして実際、本当に無為と呼べるだけの死も数多くあったのだろうが──しかしそれら残虐な行為にも、この時代を支える一端があったことは確かなのではないか?
「ではその行いが現在も、この時代においても続いていたとしたらどうでしょう?」
「どうもこうも……まあ、人体実験がまだ当たり前に行われていたとしても、それだって昔よりは効率化しているだろうね。君が問題視している無為の死もぐっと少なくなっているはずだ。と言っても大小問わずこれだけの国があって、法整備も進んで。無法だった時代と同じように人をモルモットにして当たり前、なんてことにはまずなりようがないと思うけど」
「なりようがない。それが理解できているのなら、私たちがしたことの意味にも届くかと思いますが」
「んー? ……あ、そういうこと」
だから支配的であるのか。人々の指針を全て握ってしまうことの意義はそこなのだな……暴的自由を認めない。魔法国家なるものを作ったのも、そしておそらくは地方線を敷いたのも。狙いは大陸全体、人類そのものを統治して治世をもたらすこと。『魔女会談』は全ての国を左右する支配者たちの集いである──俺はそれを人間社会から隔絶した天上のものと考えていたが、これは間違いだったらしい。実際には人間のすぐ頭上にある蓋としての役割が会談に求められた最大の効果。即ち放っておいては欲望のままにしか動かない者たちを抑え込むための抑制装置であるのだろう。
と、悟った上で首を傾げる。
「でも。本当にそうなのかな」
「そうなのか、とは?」
「果たして放っておかれた人類は、そのまま暴走し続けるかな。魔法の可能性を追い求める気持ちがどこに辿り着くのかは、それこそ暴走の果てを見届けなければわからないじゃないか?」
「……クラエルがメギスティンを建てた理由を悟りながら、何故そのような考えに至るのでしょう。かの時代において見過ごせない犠牲があった、その果てに、何が待っていようともそれが人類にとって──また人類を導くことを使命としているクラエルや私にとっても、望むべからざる事態であることは星を読まずとも明らかではないですか。私たちは世の破滅を防いだのです」
「考え方の違いかな……そりゃ過渡期には色々とあるだろうけれど、発展の基礎は非効率の排除にある。現代人の観点から見て昔の人間が残酷なことをしていた、なんて、そう感じるのはごく当たり前のことだし、強制的な抑制がなくたっていずれは無法から脱却していたと思うんだよな。もちろん、今の人類社会の在り方とは少しばかり違っていただろうけどね。だがとにかく、君の言う秩序の収斂は起こったはずだ」
「私たちが作らずともルールは出来ていた、と? しかしそれは強者が設けるもの。小さな運勢の隆起、連続する偶然、運命のほころび。ほんの少しの差で生まれた君臨者が延々とそれ以外の民を食いものとする。仮にあなたの知見正しく人類にいずれ気付きが訪れたとしても、それで出来上がる世界は、治世と言うにはあまりに粗末な縦構造の社会となるでしょう」
「それ、今と何か変わりある?」
「……!」
「お前たちっていう強者が定めるルールに従っているのが今じゃないか。魔女か人類の上澄みか……上に立つのがどちらかという違いしかない。同じだよ、それは。開拓者を出さないことに躍起になるあまり魔法使いにしか目がいっていない君も、行く末もわからずひたすら自己の利益を求める愚者も。志は違えどそこに言うほどの高低はないだろう。どちらも等しく暴君だ」
「──ええ確かに、魔法研究を一手に担うこの国の民を操作し、世界中の魔法使いすらも意のままにせんとする私の行為もまた非常に残酷。そこに生じる犠牲も踏まえ露悪的で、嫌悪すべきことだとは認めましょう、しかし。その結果としてあなたの仰る通りに『今』があるのです。少なくとも魔法に魅入られた者たちが残虐の限りを尽くしていた時代は終焉を迎えた……会談の統治下にある世界、そこにある秩序とはなんら非難されるものでないと信じております。今一度かの時代に戻るくらいであれば、私は暴君の汚名を甘んじて受け入れましょう」
実に堂々たる振る舞いで胸に手を当ててそう言ってのけるルナリスの瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。……俺は別に彼女を非難しているつもりもないが、否定的な立場ではあるからな。そういった意見があることを認めた上で、それでも自分の行いは正しいのだと。そう主張できるだけの芯、確固たる主柱が彼女の中にはあるということだろう──しかしだ。ちょっとだけ俺の言い分を誤解している節があるので、そこはちゃんと訂正しておきたい。
「繰り返すけど、これは考え方の違いだよ。根本に何を見るか……いや、何を見たがっているかだ」
「何を見たがる、とは……?」
「君が君の支配下にある世界を是とするように。俺はそうじゃない世界だって是とするってことさ。犠牲は少なければ少ないほどいいと思う。無駄に死人が出るのは勿体ないからね。けれど、絶対的に忌避すべきものだとは思わない。どんなことにだって程度の差はあれど被害者ってのは出るものなんだから……そういう視点で言えば、犠牲ばかりの発展を遂げた先にあるものも是非とも見てみたいわけだよ。今とは異なる未来に辿り着いた魔法使いたちをね。魔法を局所的な場面で活用できる道具としか思っていない、現代の魔法使い。彼らがそうなってしまった原因が君たち会談にあるのなら──少しばかり腹が立つ。俺が言っているのはそういうことなんだ」
「これはまた、異なことを仰るのですね。永く何もしてこなかった始原の言葉とは思えませんが」
「確かに興味は持っていなかったけどさ。身の回りのことで忙しかったし、暇ができたらその暇を楽しむことに忙しかったし。君の言う通り黒い森の外にはまったく目を向けていなかった……でも、知ってしまったからには惜しくもなる。魔女の支配がなければ人はもっと面白い進歩を遂げて、魔法に新たな可能性をくれていたんだろうと思えばこそ。そうでない『今』に思うところも出るというものだろう?」
竜魔大戦の時代、同じ見た目のよしみでせっかく生かしてやった人類なのだ。そのことで人を自分の物だとか主張するつもりは毛頭ないが、けれど会談の存在意義に関しては──ルナリスが自身で信じているほど高尚なものではないと指摘したい。
「賢者モーデウスはこのステイラバートを君の箱庭だと口にした。それで言うなら世界そのものが君たち魔女の箱庭だよな……月光の。誰にとって都合がいいのか? 力に任せて基準を自分へと持っていくその横暴。それによって苦しんでいる者はいないのか? 君は完璧か? この世界は万全か? 違うよな、そうじゃない。不完全だ。遍く全ては欠陥品。俺も、君も、会談も。天に立つべき存在なんてどこにもいやしないんだ。それでもその地位を求めるのが俺たちなんだが……ふふ、当然だ。誰だって自分が一番大切だものな。そのために相応しい力があるだけに、魔女は人間よりも余程質が悪い」
「違う! 私は決してそのような排他的な考えは──」
「持っていない、と断言できてしまうなら。君は自覚なしの破壊者だ。理を曲げる立場にいながら理の創造者のつもりでいる。まるで神様だな。そんなに見下ろすことは楽しいかい?」
「っ、あなたは……ではあなたは、どうなれば満足だというのです!? そもそもこの世界に故も持たぬ身の癖に──」
「なんだって?」
聞き返せば、ルナリスはハッとして口元を押さえた。その仕草は言うつもりのなかったことを言ってしまったのだとより強く知らせるもの。失言の証拠となるものだった。この世界に故も持たぬ? 今、確かに彼女はそう言ったな。──知っているのか?
「おいおいおい。また聞きたいことが増えてしまったな」
「…………」
今度は表情にもはっきりと苦渋を示すルナリス。唇の結び方にも先以上の硬さがあるように見受けられる。それだけのミスだったということか。そんな顔をされては追及するのも悪いかな、とは思うけど。だがさすがにこれをスルーはできないな。
「どこでそれを知った? まさか自力ってこともないだろう。じゃあ誰かから聞いたのか……でも、そう多くはないはずなんだがな。俺が理想領域から実存性に渡ってきた存在だと承知している奴は」
申し訳ありません、と口内で囁かれた言葉。集中していなければ俺の耳にも届かなかったであろう小さな謝罪を挟んでから、諦めたようにルナリスは言った。
「『晴嵐の魔女』ですよ。会談の設立者クラエルは、あなたがこの世界の住人ではないことを存じている。そして秩序一派を作る際、私にだけその事実を教えてくれたのです。曰く始原の魔女は、幽世の如き高次世界よりの来訪者。私たちの世界という水面に落とされた一滴の猛毒であると──円卓が置かれた日、私は確かに彼女の口からそう聞き及びました」




