106.月光の魔女
上階部分の高さと同程度の深さが管理塔の地下にはあり、そして夜行館以上の厳重さと巧妙さで魔力による防御・隠蔽が施されその存在が明るみに出ることを防いでいる。クアラルブル始め並居る教師陣がちっとも勘付かないのも無理はなく、また学院島への侵入者もこの場所に辿り着けた試しはないだろう。万が一気付けたとしてもここに入り込むのは至難の業だ。
一例で言えば、形状や材質を問わずに足場へ潜れるようになったミザリィであっても『すり抜け』の無名呪文で管理塔地下を目指すことはできない……もし潜水ならぬ潜地が実行できたとて、目的の深度に辿り着く前に魔力で磨り潰されて藻屑となるのが落ち。要は結局のところ、ちゃんとした入口からお邪魔するに越したことはないのだ。
ラッキーにも秘密の地下の底まで穏便にやってくることのできた俺は──ここまでにひと暴れしなくてはならない想定も当然あった──快くも案内人を買って出てくれたモーデウスを鍵として、階段を隠していた扉と同じくなんらかの物理的ではない施錠が施されているその扉を開いた。すると。
「!」
ぶわりと風が出迎える。強烈な魔力風が開いた扉から飛び出し俺の肌を叩いてきたのだ。うむ、隙間が生じた瞬間にここまで匂い立つとは。やはり内部には相当な魔力が渦巻いているようだ。それを存じている様子のモーデウスは白い髭とローブをひらひら横風に揺らしながらもまったく動じることなく、そっとこちらに視線をやってから先に室内へ入った。俺もそれに続く。
「失礼致しますルナリス様。イデア様がお着きに」
円形、そして静謐。天井は高く卵型に広がり、床には紋様。……ここにも魔法陣か。それも学院島の魔法陣の基盤になるものだな。この規模での二重陣とは恐れ入った。やはりここがステイラバートの根幹であることは間違いないようだ──そして。
その主が、モーデウスではなく俺を見据えている。
「…………」
「…………」
これがルナリス。外見的にはディータよりもいくらか年上に見える、落ち着いた雰囲気の少女だ。薄緑色のローブ、その上からケープを羽織った静かな出で立ちは良いところのお嬢様といった風情だが、けれども。俺の視線に真っ向から応える彼女の瞳には常人では宿すことのできない、あからさまな力ある冷淡さが覗いていた。
無言で見つめ合った数瞬の後。ルナリスはおもむろに開いた口から、鈴の鳴るような麗かな声を出した。
「手間をかけさせましたねモーデウス。あとのことは任せてあなたは下がって結構ですよ」
「ルナリス様。是非ともこのモーデウスを御二方のご歓談の間御傍に置いて頂きたく──」
「下がって結構、と私は言いました。三度目も言わねばなりませんか?」
「いえ……過ぎたことを申しました」
どうぞお許しを、とすぐさま謝罪した老人に少女が鷹揚に頷く。そうなればモーデウスも後は退出する以外にすることがない。去り際、俺にも一礼する彼にこっちからも礼を述べたが、あまり嬉しそうではなかった。背後で扉が閉まる。
賢者が去り、場には魔女二人だけが残された。
「やはりこうなってしまいましたか」
と、ルナリスは憂う口調で唐突にそんなことを言った。やはり? それは奇妙な言い方だ。
「まるで俺の来訪を見越していたように聞こえるな、『月光の魔女』」
「星を読んだまでのこと。当然に見越していましたとも、『始原の魔女』」
けれど、とルナリスは続ける。
「運勢の道筋から知れたのは降り注ぐ災禍の兆候のみ。そこに私の予感を当て嵌めたことで正体にも見当がついたのです──否、それは元よりの心当たりだと申したほうが正確でしょうか」
「ディータと揉めたからかい? それとも『始原の魔女』そのものを指して言っているのかな」
「どちらも、ですね。いずれこうして悩まされる日が来ることを、星を読まずして私は知っていたのですから」
「ふうん……でも、その割には対応が疎かじゃないか。知っていたのならこの状況を避ける方法だってあったろうに」
「読めるからこそ、運勢に掉さすことはなるべく控えるものですよ。私が備えるのは事前ではなく事後の処置を慮るため。現にこうして、あなたは私との対話を選んでいる」
「なるほどね。確かにルナリス、君がいなければ到着早々に俺が何をしていたかは自分でもわからない。管理者である君の不在は、君とステイラバートにとって最悪の結末を招いていたかもしれないわけだ」
「ええ、そうでしょうとも、イデア。あなたとはそういう魔女なのですから」
どこまでも承知しているかのような口振り。察するに占いめいた何かと、会談メンバーとしての評価を踏まえた上で俺への心象が芳しくないのだと思われるが。それにしたってルナリスの言い草は少々変だ。いったいどうして初対面の相手から『そういう魔女だ』などと断定される台詞を突き付けられることになるのか? 不思議に戸惑う俺に、ルナリスは冷笑を浮かべた。
「いいえイデア。実のところ、私はあなたのことなど何も知りません。ですがそれでも確信的なのです。そう例えば、クラエルがあなたの扱いを誤ったこと。それは取りも直さず否定のできない真実であると私は確信している──不干渉を信じて身の内に病巣の如く抱えるくらいなら、いっそ痛みを伴ってでも排すべきだと何度申し上げたことか。それができないのなら彼女は円卓など設けるべきではなかった……『魔女会談』の歪さはここにあると言えましょう。イデア、あなたにもその責が大いにあることを是非自覚していただきたい」
「んー……?」
「惚けずともよろしいでしょう。クラエルが会談を作った切っ掛けがあなたにあるというのは、魔女であれば誰しもが聞き及んでいること。原因はあなたなのです。そして、ディータの短絡性がなくともいずれその存在が円卓を殊更に歪ませることは目に見えていた。全ては星が描くままに……残念ですが、ええ、受け入れましょう。ですからイデア、あなたもここで思い直すべきなのです。私がそうさせてもいい」
ふむむ……? クラエルに切っ掛けを与えたのが俺だって? 言うまでもなくそんな覚えは一切ないのだが。実際、彼女だってディータ回収の折に俺と顔を合わせ、それが初めての対面であると言っていた。つまり以前から面識があったわけではなく、確実に彼女との接点は今のところあれが最初で最後だということだ……たぶん。
うーん、ひょっとするとモロウやマニのパターンみたいに実は昔に何かあったパターンなのか? いや、だとしたらどうしてクラエルがそれを隠そうとするのかがよくわからない。それに、ただの赤ん坊や幼子でしかなかったモロウたちと違ってクラエルは魔女であり、きっとその出自だって尋常のものではないだろう。いつにどんな出会い方をしていたとしても、さすがに再会してもちっとも思い出せないほどにクラエルの特徴を記憶から消し去るなんてことはいくら忘れっぽい俺でもあり得ないことだ──と思いたいのだが、どうなんだろうね。自分のことをどこまで信じていいのやら、対人記憶力に関してはちょっとあやふやなところがあるのでなんとも言えないなぁ。
まあ、それはともかく。クラエル当人に聞かねば判然としないであろう事実はひとまず置いておくとして、今はルナリスの主張に対してこそ注目すべきだろう。
「思い直せとはこれまた、君を訪ねた目的も承知しているような言葉だけれど。君はどこまで見えているんだ?」
「言ったはずですよ、星が見せるのは結末の予兆のみ。そこに何を置くかは私と、そしてあなた次第。故にこちらからも問わせていただきましょう……あなたがこの地で果たすべきものはなんなのかと」
「知るためさ。君みたいに星を読むような能もないからね。知りたいことがあれば自分の足、それから目と耳で調べ回って見聞きするしかないわけだ。──来てみて良かったと思うよ。おかげでこっちも原因を知れた。ずっと気になっていた違和感の原因をね」
「それは?」
「そっちこそ惚けずともいいだろう、終身名誉理事長。お前だろ? そしておそらくクラエルも……聞かせてくれないか。意図して魔法の開拓の道を狭め、新たな慮外の才能の開花を抑制しているその理由ってやつを。面倒だから騙そうなんてしてくれるなよ。場合によってはステイラバートの基礎たる魔法陣を吹き飛ばしてしまっても構わないと思っているくらいなんだ。たとえ君の邪魔が入ろうともね……だけどお互い本心じゃそんなことは望まないよな? またぞろ魔女同士の喧嘩が起こる、なんてことはさ」
「…………」
ルナリスの眼差しが冷然さを増す。わかっているとも。思い直せ、というのはこの我ながら乱暴な手法を選択肢に入れていることも含めての忠告なんだろう。だが、有無を言わず従えというのならそうするだけの意義も欲しいところだ。今のところその気にはまったくなれていない。何故なら俺は。
「知りたいだけなんだ。画一的な授業、広められた魔法体系。名称呪文などと統制された汎用の魔法式ばかりを学び、それ以外を等しく爪弾く現体制は明らかにお前たちという先達の開拓者によって敷かれた狭くて先のないロードマップ。単なるレールの上を走らされているだけに過ぎないよな。生徒も、教師も、国民も。だけでなく、メギスティンの外でさえも!」
「…………」
「そりゃあそうだ、だってこの国こそが魔法の研究・開拓の最前線。知識も技術も道具も全てはここが始まりで、他所はその後追いしかできていない。だけどその実メギスティンだって結局は、魔女の示す方向に従って盲目的に歩いているだなんて……何もかもが君らの掌上にして支配下。それが実に何百年間も続いている、と。そうでなければこの世界の魔法はもう少し可能性に満ち満ちたものになっていたはずだろうね。だから、教えてくれよ月光の魔女さん。魔法使いを育てることに注力する君が、何故その本旨にそぐわない真似をしているのかを──」




