104.お師匠様の物
普段は保健室を預かっているその女性教員が自身の背後で起きた異変に気付いたとき、まず疑ったのは『正体』だった。
「クアラルブル、先生……!?」
今し方同僚を背中から撃ち抜いた彼女は本物か。職員棟を落とそうとしている何者かは、現在の状況から見て用意周到かつ大胆不敵。そして単独犯とも限らないのだ。他の教員らがこぞって追いかけた上階にいる何某とはまた別に、その仲間が学院側の人物に化けて潜り込んでいたとしても不思議ではないだろう、と。
しかしそれ以上にしっくりくる推測も立つ。部外者が複数人も容易く侵入し、あまつさえ警備システムにまで干渉を終えているなどと仮定するよりも……内部犯。つまりは教員の中にこの混乱を引き起こした張本人がいる、という恐るべき可能性。無論そんなことは考えたくもない。そちらの仮説を信と見るなら、このクアラルブルが。教員の中でも皆から頼られる立場にある彼女こそが下手人だということになってしまう。
「っ……!」
振り向いた推定クアラルブルと目が合った彼女は、嫌な思考を振り払って杖を動かした。無詠唱の速攻はクアラルブルが得意とする技。それによって自分も沈められることを防ぐため、とにかく目の前の脅威へと対処する。相手の杖がこちらに向けられるよりも早く張った【シールド】は【プロテクション】の上位種。これならクアラルブルの代名詞でもある【ライトニング】も遮断できる。一応の安心を得た彼女は並行構築していた攻撃用呪文の魔法式を完成させようとしたが。
「! しまっ──」
バチン、という乾いた音だけを残してクアラルブルがその場から消えた。雷速の移動! 短距離に限定されるがほぼほぼ瞬間移動と変わらぬ速度で指定間を駆け抜けるその呪文を使った……「使えた」ということは、クアラルブルは男性教員を撃った時点でここまでを見越して備えていたことになる。マズい、と真横からの光を感じて自身がクアラルブルの想定通りに動いてしまったことを悟った彼女は、けれどそこから対応が間に合うはずもなく──。
「【ウォールシールド】!」
やられる、と覚悟したそこに支援が入った。【シールド】同士を連結させて巨大な壁を作り上げるその呪文最大の特性は、他者が張った【シールド】も連結の対象とできる点にあった。それによって障壁を広げて女性教員を無詠唱【ライトニング】から守ったのは、滑り込むように彼女の傍に駆け付けた若い男。クアラルブルと共に火災処理に当たっていたもう一人の教員であった。──少し離れた位置にいた彼を女性教員と共闘させるつもりはなかったのだろう。雷呪文を防がれたクアラルブルの眼差しから無言の反応が上がる。それに対し、横並びになった二人の男女もまた言葉を交わさずしてごく短時間での意思疎通を行い。
「【ウィンドブラスト】!」
「【ストーンバレット】!」
次の瞬間、彼らは合図もなしに【シールド】を取り払って攻撃呪文を唱える。完璧にタイミングを重ねた二人の魔法はクアラルブルから先制の機会と逃げ場を奪った。防御を間に合わせる余裕もなく彼女は風の破裂弾と無数の石礫を食らって──その身がばしゃりと散った。
「「!」」
水で出来た分身体。高度な水属性呪文によって作成されるそれがいつの間に本体と入れ替わっていたのか、魔法学術院の教員である彼らにもまったく見当がつかなかった。そして同時に、解けた分身体から生じた不自然なまでの『水量の多さ』に戸惑う。これには明らかに余剰の魔力が注がれている。が、いったいなんのために必要以上の水量を用意しなければならなかったのか? よもやクアラルブルが魔法式の構築でミスを犯すはずもなく、ではそこに何かしらの意図があることは確かである。
困惑は一瞬。自分たちの足元まで濡らした小さな波濤、その真相へ先に辿り着いたのは、よりクアラルブルとの付き合いが長い女性教員のほうだった。ハッとした彼女が男性への警告と共に行動へ移ろうとした、その途端に。
「ィぎッ……!!」
水を伝った雷撃によって女性教員は硬直し、あらゆる行動を封じられてしまう。その隣では男性も同じように全身を襲う感電の作用によって歯を食いしばったまま小刻みに震え、もはや何もできる状態ではない。彼よりも魔力防御──身に纏った魔力の質と厚みで左右されるものだ──に用心を置いていた女性のほうはまだしも肉体を守れ、辛うじて周囲の様子を探ることもできたが。しかしどうせ動けやしないのならそんな余裕はないほうがよかった……と、床一面に駆け巡る雷の中で唯一平気そうにしているクアラルブルが今まさに、こちらに向けてトドメの呪文を唱えんとしている姿を目に入れたことで女性教員は心の底からそう思った。
「【ライトニング】」
「──」
身動きを封じられいい的となっている二人は真っ直ぐ飛んできた雷によって諸共貫かれ、あっさりと意識を手放した。詠唱という念入りの強力化が果たされたその呪文をまともに浴びてはそうもなろう。結局のところ彼らは二人がかりでもクアラルブルに手傷のひとつも追わせられずに敗北したことになるが、それでも彼我の実力差を思えば、一分足らずだろうと持ち堪えてみせたというだけで充分に健闘したと言えるだろう。
瞬く間に仕事仲間三人を無力化させたクアラルブルは、しかしそのことに特段の感慨も見せずに歩き出した。
「はい、上の階には事前にたっぷりとトラップを仕掛けてますけどー……学術院の先生方は皆優秀ですし、私も追いかけて無事な人がいれば直接眠らせちゃいますねー。とりあえず半日くらいで……はーい」
握ったままの杖をぷらぷらと揺らしながら。反対の手に持ったトーテムを口に寄せてそう報告した彼女の足取りは魔法戦の合間にいるとは思えない、とても軽いものだった。
◇◇◇
「おお! どうしたねミルコットくん、君は確か休暇を取ったはずだったんじゃないか? わざわざ私の下を訪ねてくるとは何用かな」
「………」
「? おい、ミルコットくん?」
オラールの治安維持に貢献している民間警備会社『ガーディアンズ』の本社、の横にある宿舎のとある一室で、派遣課のトップであり自身の直属上司でもあるその男を前にミルコットはぼんやりとした表情で立っていた。質問を無視されて男は少々鼻白んだ様子を見せたが、けれどいつも通りに豊満な胸を隠しもしない彼女の出で立ちをこっそりと──しているつもりだ、本人にとっては──上から下まで眺めることですぐに気を取り直した。なんとも締まりのない笑みを顔に浮かべながら、彼は「それにしても」と言った。
「休日の、こんな夜更けに寄るくらいだ。さぞかし特別な用なんだろうな……そうかミルコットくん、わかったぞ! 君もようやくその気になってくれたんだな?」
「…………」
ミルコットはまだ答えない、何も言わない。普段からして無口な彼女だが今日は一段と口数が少なかった。その沈黙を男はいいように受け取る。
「なに、ちょっとした親睦会のようなものだよ。機を逃していたことだし今からでも是非やろうじゃないか! 私と君、二人きりでね……ぬふふ。良いところをいくつも知っているんだが、君は特別だ。中でも最高の店へと連れて行ってあげようじゃないか。君だけではお目にかかれないような豪華な食事が楽しめるぞ。その後のことは、ぬふ、そのときになってから決めようか」
豪華な食事。その部分にだけ反応してぴくりとミルコットの眉が動く。
「美味しいごはん、ですか? それはいいですね」
「そうだろうそうだろう、行きたいだろう?」
部下の一人から聞いた、彼女が何よりも食べることが好きだという話は本当であるようだ。とようやく返答があったことで男は食事の先にあるお楽しみを頭の中で鮮明に思い受かべる。ミルコットの入社当日から誘い続けた努力がようやく実を結ぼうとしているのだ、興奮は滾り冷めやらない。
試験運用の期間を過ぎてもまだ新人という扱いに留めているのはひとえに彼女の懐事情を苦しめるためであり、自分へ媚びを売らないことにはいつまでも冷遇されるのだぞと暗に伝えるためでもあった。あまり派手にやっては上の者から睨まれてしまうので塩梅には気を使うが、派遣課は己が城のようなもの。新入り一人の扱いくらいはどうとでも好きにできる。……これまでも色々とやってきた彼ではあるが、今ほど自分の立場に感謝したことはなかった。それほど目の前の少女は求めてやまぬ極上の存在なのである。
が、男にとって獲物たるその女の口から思わぬ言葉が漏れた。
「でも、課長とですか?」
「……当然だろう、私が持て成してやろうというのだから」
「それはヤです。だって課長、いつも偶然のふりして私のおっぱいとかお尻を触ろうとしてくるじゃないですか」
「な……、」
「そのことを話したらお師匠様が『一人くらいはいいんじゃないか』って言ってくれました。他にもべたべた触ってきて鬱陶しいのは社内にたくさんいたんですけど、誰か一人選べって言われたらやっぱり課長かなー、って」
「ちょ、ちょっと待てミルコットくん。さっきから君は何を言って──」
「あ、ごめんなさい。もう時間なので始めますね」
「時間だと?」
いったいなんの時間か、と訊ねることはできなかった。気付けば男は巨大な拳に殴りつけられ、デスクごと外壁を突き破って何もない宙へと叩き出されていたのだから。
「!?!?!?!?」
夜空を舞う彼は痛みと急転直下の事態に脳の処理が追いつかずにいた。現場仕事から離れて久しく以前は鳴らした魔力操作の腕前もすっかり錆び付いており、またミルコットの一撃があまりにも重かったことで既に意識が半分飛びかけているせいもあって──結果、ばしゃっと。何もできずに地面に激突した彼は壁に叩きつけられたトマトを連想させる無惨な姿となった。それを室内から確かめて、ミルコットは嘆息する。
「こんな凶悪犯を捕まえたんだぞ、とかなんとかいっつも自慢してたのに。なんだ、やっぱり弱いんですね課長……生きてたら追撃はしないであげようと思ってたのに、簡単に死んじゃった」
初めて顔を合わせた日、肩を叩く素振りでほとんど胸に重なる位置へ手を置かれた恨みをミルコットは忘れていない。そのときに何も言わなかったことで調子に乗ったのか、以来執拗にボディタッチを繰り返し、隙を見ては二人だけで会おうと連日のように誘ってきたりと異常にしつこく、争いを(平時は)好まないミルコットでもいい加減に我慢の限界だったのだ。
「申し訳ないですけど、ミルの体は血肉の一片までお師匠様の物なんです──お前如きの好きにはさせてあげないもんねーだ」
べー、と路上の肉塊へ子供っぽく舌を出したミルコットは、やにわに騒がしくなりだした建物内の喧騒を耳にしたことで振り返り、拳を構える。数人の男たちが扉を蹴破って入室すると同時、巨拳が彼らを出迎えた。




