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103.混乱

「ういー……ひっく」


 スキットルから酒を煽った中年男は、それをさっと懐に隠す。万が一にも人に見られないようにするための手慣れた所作だった。彼はガーディアンズに勤めている警備員の一人であり年季としてはベテランの部類に入る──が、ほろ酔いのままに担当地区をだらだら歩くその姿からは職務に対する誠実さが全くもって感じられない。


「ったく、急に呼び出されて冗談じゃねーぜ。今日は休暇だったはずなのによぉ……ひっく」


 とある新人がまとまった休みを──本来なら新人にそんなものはないのだが──いきなり取ったものだから、その皺寄せに遭ったのだ。注目株の女警備員ミルコット。これだから道理を知らない新顔は、と前々から快く思っていない相手の尻拭いをさせられていることに中年男は内心唾を吐く。


「手当てで増える給料なんざ雀の涙だしよ~。どーせ出世を諦めてる身、せめて俺のペースで働かせてくれませんかねぇ」


 ぶつくさと口から漏れる愚痴からも明らかな通り、彼に職務上の意欲というものは一切ない。上がつかえているこの会社で上手く昇進できるかは、結局のところお偉方とのコネを元々持っているor運良く作れるかで決まる……それなりにガーディアンズを見てきた中年男はそう結論付けていた。そして特に縁故もなく、また人に取り入るということが決定的に苦手な自分では、どうしたところで出世街道には乗れやしないととっくの昔に諦めてもいる。


 新人ミルコットも遠からずそういった境地に辿り着くだろう。今はまだ愚直にも成果を上げることを目指しているようで、実際彼女の活躍によって事件が未然に防がれた事例だって何件もある。ステイラバートには愉快犯・思想犯・単なる酔っ払い等々、種類を問わず侵入者がよく出没するのだ。しかして、侵入の動機は様々ながらにその正体の大半は栄光の魔法学術院への入学が叶わなかった『弾かれ者』、あるいは弾かれる資格すら持てなかった本物の才能無しであり、尋問で何を語ろうと根底にあるのが社会全体と自身の待遇への不満であることに違いはなく……そして中年男には彼らの気持ちが痛いほどによくわかった。


 ただし、ただでさえも碌でもない立場を一時の感情に任せてもっと台無しにしてしまうその軽率さに関してはまるで理解できなかったが。


 合理的になれるかどうかだ、と中年男は思う。親子ほど歳の離れた上司連中からのセクハラに耐えながら──ひょっとすればもう誰かのお手付き・・・・になっているかもしれないが──新人のままでは手当てもつかない夜勤にばかり当てられても文句を言わず、誰よりも不審者の捕縛に貢献している。そんな『馬鹿』なミルコットの様子に彼は辟易してやまない。何故ならそれは、合理的でなかった頃の自分自身の姿でもあるからだ。


「けっ……、うん?」


 そろそろ酔い覚ましに入っていないとマズい、と長年の飲酒勤務の経験から染み付いた時間配分の感覚がそう訴えてきていたが、予定外に仕事を増やされた今夜はいつも以上に酒を煽らずにはやってられない……などと言い訳にもならない弁明を自身に立てつつまたぞろスキットルへ伸ばしかけた手を、ピタリと止める。前方に見えた人影のためだ。


 初めは酔いが回り過ぎて別の担当者のエリアへ出てしまったか、あるいはいつの間にか用務員が出回る時間帯になっていたかと自分のミスを疑った中年男だが、すぐに思い直す。学院島の地図は頭に入っているし、体内時計も仕上がっている。それらはたとえアルコールに脳がやられていても決して狂わない正確さがあるのだ。どれほどへべれけになったとしても巡回するだけであればなんの支障もなく行える自信が彼にはあった──故に、目付きを真剣なものに変えた中年男はスキットルではなく腰に提げた警棒にそっと手を寄せながら、慎重にその影へと近づいていった。


「う……!?」


 不審者には大別して二種類いる。それは外見、とりわけ服装にこそ特徴が顕著に表れるものだ。何かしらの不満を訴えんとする思想犯は明確な目的を持ってやってくるために、恰好もまた見つかりにくさ、逃げやすさに重点を置いたものになる。対して勢い任せの愉快犯は取り立ててなんの特徴もない、つまりは普段着丸出しの出で立ちをしている。どんな服装をしていようが魔力による身体強化の術を心得ている者ばかりであるために取り押さえる際に決して油断はできないが──その強化した身体機能に物を言わせて市内から外堀を泳いで学院島に入り込むのが不審者の常套手段だ──しかし、相手がどんな姿をしていようと冷静沈着を保てるはずの中年男もこのときばかりはひどく驚愕させられた。


 まだ少し距離はあるが、シルエットからしても明らかだ。そいつは何も着ていない。全裸である。体型的に若い男、それもなかなかにガタイがいい。そんなのがさっきまで気持ちよく酔っていた自分とはまた別種の覚束ない奇妙な歩き方でだんだんと近づいてくる……経験豊富な中年男もこれまでに味わった緊張とは少々風味の違うものを嗅ぎ取りながら、まずは定例通りに不審者へ声をかけようとして──それを中断し、素早くベルトから警棒を抜き放った。そして無線機(低範囲だが携帯できるほど小型化に成功した魔力通話機の亜種)を通じて近場にいる同僚らへと報告を入れる。


「西地区三番、第二保管棟裏に不審者一名を発見。只今より捕縛に臨む。……至急応援求む」


 無毛かつ生気を感じさせない色味の肌。こちらを見ているものの意思が宿っているようには思えない虚ろな視線、濁った眼球。これは野放しにしてはいけない何かだ、とベテラン警備員の勘がやにわに男の体を動かした。もはや酔いなど少しも感じていない彼は不審者の不気味さにも怯まず、強化した脚力でひと息で接近。そのまま無警告で相手の頭部目掛けて思い切り警棒を振り下ろした。


「……ッ?!」


 なんの反応もなく、避けようとも守ろうともせずに不審者はその攻撃を全くの無防備のままで受けた──けれど、ここで衝撃を受けたのは警棒を叩きつけた側の中年男だった。頭蓋を陥没させるに容易い一撃、のはずが。多少の手加減はしたとはいえそれをまともに食らっておきながら、不審者はまるで平気そうにしている。よろけず、無表情で、打たれた箇所からは血の一滴すらも流れていない。


(硬い……! まさかこの野郎、この感じ──『魔化』されているのか!? そんな馬鹿な!)


 あり得るはずもない人体への魔化。しかし魔力での防御や、強化による耐久性の向上とは確実に一線を画した硬度。それを警棒越しの感触で確かめた中年男はその察しの良さ故に一瞬硬直してしまう。そのせいで不意に動きを見せた不審者への反応が遅れ、彼は胸ぐらを掴まれてしまった。


「こいつ!」


 手首のスナップを利かせて不審者の肘を叩く。可動方向に力が加われば構造的に関節部は曲がって然るべきだが、不審者の腕は不自然なほどビクともせず、また込められた力にも一切の弛みがなかった。


(なんてぇ力だ、振り解けない……どころか抵抗もできやしねえ!)

「うぉっ──!?」


 抗えず軽々と持ち上げられた男は抗えないままに軽々と放り投げられて。一瞬の浮遊感の後、その体で建物の窓をぶち破り内壁の柱部分をへし折って室内に転がった。「〜〜ッ、」頭部と背中を強く打ち、あまりの痛みに意識が遠のくのを感じた彼は最後っ屁として窓の外へ警棒を投げつける。それが不審者の顔へと命中したのは単なる偶然であったが、敗北した警備員に許された最後の行動としては間違いなく最上のものだったろう──しかしやはり、かなりの速度で鼻っ柱にぶつかった警棒にもなんの反応を示すでもなく、不審者は微動だにせず表情にすらも変化を見せない。


 ──狙い通りに応援が来る。なら、ひとまずこの個体はそのときまで適当に建造物でも壊させておこう。


 中年男がやられた現場から直線距離で四キロ程離れた女子寮のとある一室で、誰かが並列思考のひとつにそんな算用をしていた。



◇◇◇



 学院島のあちらこちらで奇怪な不審者が狼藉を尽くしている最中、その一件目がガーディアンズに認知される直前にて不可解な爆発が起きた職員棟は、今まさに混乱の坩堝にあった。


「クアラルブル先生、他の先生方は!?」


「下手人と思われる人影を追っていきました。どうやら犯人は上階に逃げたようですねー」


「なんと、逃げ場のない上に……!? いや警備を掻い潜ってこんなことをする奴だ、何かしら空を移動する手段を用意しているのかもしれませんな」


「どうやってかこの建物の防衛機構にも細工をしているようですし、必ず捕まえておいたほうがいいでしょうねー、今後のことを思えば。火災と二次被害への対応は私たちに任せて、どうぞ犯人の捕縛に加わってくださいー」


「むう……!」


 職員棟は講義の準備を行う場所であり、教員が寝泊まりするための施設でもある。院長、副院長が不在の今、学院内に次期副院長と呼び声高い彼女、クアラルブルが残っていてくれたことは幸運だった。と壮年の男性教師はその偶然を天に感謝した。彼女と、それから保健教諭を含めた火災対策班の顔触れを確認した彼はこの面子であれば任せて問題なしと判断する。


 講義で扱う繊細な道具や薬品も数多く置かれているために、一口に火災と言ってもここで起こるそれの危険性は見た目以上に極めて大きい。そしてこんな事態を引き起こした犯人のこと、他にも何か仕掛けている可能性は大いにある。が、それにもクアラルブルなら万全に対処してくれることだろう。


「確かに私が残っていてもあまり役立てそうにない。犯人を追うほうに回らせてもらいましょう!」


「はーい、そちらはお願いしますねー」


 平時と変わらない調子でいる彼女の様子に頼もしさを覚えつつ、杖を取り出しながら彼は先行している教員らに追いつくべく階段を目指し──そこでぶつりと意識を途絶えさせた。背中を見せた途端、クアラルブルの杖先から迸った小さな一閃の雷に貫かれたことなど彼にはまったく知る由もなかった。



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