2-01
「はい! はーい! 私、王子役に優海さんを推薦します!」
騒がしくもハツラツとした声が穏やかな教室に響いた。十月上旬のことである。
換気のため開けられた窓からは幾分涼しい風が吹き込むようになった。空が高く、憎らしいほどの快晴である。
そんな爽やかな天気の中での五時限目。音子のクラスでは学芸会について話し合っていた。教師は教壇の横に設けられた教員用の机で、生徒たちのテストの採点を行っている。生徒の自主性のため、というのは体の良い建前にすぎない。
「推薦ではなく、立候補を聞いているのだけれど……まあ、良いでしょう。優海さん、どうしますか」
「ええと、参ったなあ」
テストの採点に励む教師の代わりに、クラスを取り仕切る学級委員の雅薫子は、高揚している同級生に溜め息を吐きながらもそれに応じている。音子はぼんやりながら、学級委員という仕事はなかなかに大変なのだなと理解した。
薫子は黒髪のワンレンミディアムヘアーに赤縁の眼鏡が特徴的だ。背も高く、はきはきと話し、テキパキと働く、正しく学級委員という役職がピッタリな生徒である。自身が几帳面な性格ゆえか、少し神経質な面もある。
唐突に名前を出された隣の席の夕美は、困ったように笑っていた。満更でもなさそうだと薫子はぼんやり感じていた。
同級生のなかには夕美を特別視する、所謂ファンのような者もいるが、薫子からすれば夕美は「ただの転校生」に他ならない。転校してきたことを人並みに歓迎はしたし、夕美の持つ少し特異な雰囲気に惹かれるものもあった。ただ、学級委員の立場だけではなく、薫子の性格としても、夕美に対して特別何か働きかけようとは思わないのである。
ところで、総合学習という形式ばかりの名前の授業である。小学校ではそれを学級活動だとか学活だとかと呼んでいたか。つまるところ、クラスのための時間である。高校生となると、進路に関する話や自習といったように、何かとマルチな受験対策の時間に充てがわれることが多いかもしれない。
しかしながら、今日は本来同様クラスのための時間だ。十一月の学芸会についての話し合いのために設けられた枠である。
鈴蘭女子高等学校での学芸会は、他校でいうところの文化祭にあたり、校外からも人が集まる一大イベントである。一般的な文化祭のような模擬店の出店は無く、各クラスがステージを使った発表をするという一風変わった催し物だ。基本的には演劇を行うクラスが多いが、コンサートやファッションショーなども行うクラスもある。
それで、夕美のクラスは「人魚姫」のミュージカルをやるらしい。それは夕美の入学前から決まっていたようで、何でも、発言力の高い生徒が夏休みに劇団候の「人魚姫」のミュージカルを観劇し、いたく感動して提案したためだと夕美は聞いた。
「だって、優海さん、美人でしょう。色白だし、切れ長の目は涼やかで美しいわ。このクラスで王子を演じるなら優海さんしかいないと思うの」
困っている夕美に、冒頭勢いよく夕美を推薦した彼女はなおも畳み掛ける。周りの同級生たちも彼女に同調する始末だ。こうも周囲を固められては、夕美もノーとは言えない空気を感じ取ってしまう。
「推薦はありがたいけれど、この空気じゃ立候補もしづらいと思うよ」
「そのとおりよ、あなたは正しいわ。だから私は最初に立候補を尋ねているのよ」
薫子は進行を乱されて少しばかり腹を立てているようである。その証拠に、大袈裟に深いため息を吐いて見せた。
「仕切り直しましょう。こうなってしまっては仕方ないもの。自己推薦を含めてメインキャストに推薦したい人の名前を用紙に書いてちょうだい。もちろん、匿名でね。集計して明日の五時限目に発表するわ」
薫子は教室の隅に置かれている箱からプリントを取り出す。箱の中には余った保護者会のお知らせや印刷ミスされた小テストなど、雑多なプリントが収納されていた。印刷されていない面を再利用するための紙である。
薫子はそこから数枚のプリントを取り出すと手早く四分割し、教室の一番前に座る生徒に配付する。前の者は自分の分を取った後は後ろの席の者に渡し、クラス全員に紙が行き渡った。
「それじゃあ、よろしく。この後の時間で、脚本や演出、衣装担当を先に決めてしまいましょう」
薫子は手早く役割を黒板に書いてゆく。やがて、五時限目が終わる鐘の音が教室に鳴り響いた。