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独と薬  作者: R.藤間
雪解けに覗く春の兆しに
79/84

12-04

 雪姫は生まれながらに魔女の運命を課せられていた。

 雪姫は神の力を持ち、神によって運命を捻じ曲げられ魔女と化した、神でも人間でもない存在である。

 ある集落の女が身籠っていた子は龍神の『施し』を受けてこの世に誕生した。それが雪姫だった。

 雪姫には神通力が備わっていた。それは人々の病を癒し、農地に恵みを与え、人間の暮らしを豊かにした。神の生まれ変わりとして、集落では崇められた。雪姫が『雪姫』たる所以がそこにあったのだ。

 母は言った。人間は試されているのだと。

 雪姫がその言葉の意味を理解したのは、自身が齢十四で成長が止まってから数年経過した頃だった。

 雪姫の神通力は、人々の恐怖の対象、あるいは私利私欲のために利用される対象に変わっていく。自身に備わる力は神の施しなどではなく、愚かな人間への呪いなのだと悟った。

 老いていく母はもう一度言った。人間は試されているのだと。

 神はもう一度人間を信じたいのだと。

 その運命を神はなぜ雪姫に課したのか、それは永遠に分かることはない。

 母を見送り、雪姫もまた人間を試すことにした。神から受けた『施し』を、雪姫もまた行ったのである。ただ違うのは、雪姫は人間を信じることはまるでできなかった。それどころか『施し』を与え裏切られるたびに、人間への憎悪、終わりの見えない苦悩に自らの運命を嘆くばかりだった。

 人間を信じたいのではない。そのようなものはどうでもよい。この運命から一刻も早く逃れたかったのである。



 ――藤ヶ崎悦子。

 悠久の時を生きてきた雪姫は様々な人間を見てきたが、悦子のような人間は、ある意味では初めてだった。別に驚くようなことは何もない。ただ、見ているこちらがもどかしさを感じさせられるものだから、つい口や手を出してしまったにすぎない。

 雪姫は自らの呪いを解くために、人間の営みに溶け込み、人間と関わらなければならなかった。そのなかで幾度か学校にも通うことがあった。悦子とはその時に出会ったのだった。

 ――期待していないのは本当だった。

 雪姫にとって、悦子と過ごした時間や関係性は、本当はきっと特別だった。

 あの晩――山上智恵の結婚報道を知り、悦子の元を訪れた理由もそこにある。雪姫はそれを認めないが、今となっては自身の行動の理由も理解できている。

「誰も、あんたに救ってほしいだなんて言っていないのに」

 悲惨な状況の水族館の屋上で、雪姫は独り言を呟いた。十二月だ。この時期は十六時には既に辺りは薄暗くなる。雪姫の独り言は静かに薄暗闇に消えていった。

 お姫様は真実の愛を見つけて呪いから解放されるらしい。

 おとぎ話の結末はいつだってこうだ。純粋無垢な真実の愛とやらは、理論や制約を凌駕する。

 しかし、雪姫は呪いを解くべく生きていたことを否定はしたくない。そこに愛や奇跡がなくたって、この世の理に従って堅実的なアプローチで結果を出そうとすることが愚かなはずがないではないか。誰だって、呪縛から解放されることを望み、そうして手に取りやすい方法を選ぶのは自然だろう。自身の築いた軌跡が無駄な努力だったなんて、そんなことは認めたくないのだ。

 ところが、結局のところ無垢というものは皮肉にも奇跡を起こしてしまう。だから、嫌いなのだ。

「あんたのこと、嫌いだった」

 瞼を閉じれば彼の日の悦子の姿が映る。理不尽な目に遭っても何も言わずにへらへらして。人に利用され続けて。

 あの晩もそうだ。雪姫の理不尽な苛立ちを受けても悦子はなお――。

「だから、雪姫の目的のために、あんたを利用してやるもんかって。雪姫なりの意地だったのに」

 馬鹿じゃないの。これじゃあ、何もかも台無しよ。

 雪姫は自身の目頭が熱くなるのを感じたかと思えば、大粒の涙が零れ落ちるのが分かった。敗北だと思った。雪姫は悦子なら――と心の何処かで期待していたのかもしれない。悦子に裏切られるのが怖かったわけでもない。本当のところは、呪いを解くための関係になりたくなかったのか、あるいは――。

「感傷に浸っているところ悪いんだけれど」

 不意に空間から現れた世良に雪姫は呆気にとられる。

「君には時間がない。君が望むものはきっとこの先にある」

 早く決断するといいよ、と世良は言いながら、新たに作った空間を手で示した。

 その様子を夕美は見つめるも、何の話なのかまるで分からない。そういえば、夕美が雪姫の至近距離まで移動できるように依頼したとき以降、世良の姿を見かけていないような気がする。雪姫の説得で緊迫していたので単純に夕美が意識していなかった可能性もあるが、どうやら世良は世良で何かしなければならないことがあるらしい。

 それはもちろん、おそらく――夕美はエリスに視線を向ける。音子と麗とともに現れた、あの真っ黒なゴシック・ファッションに身を包んだ背の高い女に関係があるのだろう。彼女こそ、魔女の人生を編纂したおとぎ話を世に公開している者であり、世良が共に行動しているその人に違いない。

 そうこうしている内に、雪姫は世良の空間へと向かう。一瞬動きが止まったかと思えば、雪姫は夕美たちのほうに振り返る。

「あんたたちには世話になったわね。もう永遠に会うことはないと思うから言っておくわ」

 ――ありがとう。

 雪姫はそう言うなり、空間の中へと消えていき、やがてその空間も完全に閉じられた。

 取り残された夕美たちは暫く呆然としていた。休む間もなく続いた怒涛の展開、立て続けに起こる異常事態、肉体的な損傷と疲労、精神の摩耗――それらを引き起こした脅威はもういない。急に訪れた安寧に夕美は意識を失いそうである。

 これからどうなるのだろう――夕美は辺りを見回す。

 悲惨な光景の広がる屋上で、随分と穏やかになった夜風だけが虚しく通り過ぎていった。

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